飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 い香保せよ・・・石段上

2011年08月29日 | 万葉アルバム(関東)

い香保せよ なかなかしけに 思ひどろ
くまこそしつと 忘れせなふも
    =巻14-3419 作者未詳=
 

伊香保の川の瀬・・・忘れられない。この他は意味不明。

「い香保せよ」を伊香保の川の瀬よ、「忘れせなふも」:「なふ」は東国語の打消の助動詞。

この歌碑の説明文には、
 伊香保にいる背=背の君よ、あなたは、この頃私のところのなかなかし(仲子=妹)に、大変な想いをかけていなさるようですが、私は何時かあなたと寝たことがある、このことは決して忘れないですからね・・・くやしい。
とあった。かなり大胆な解釈であり、そうだとすると生々しい歌である。

この歌は専門家のあいだでも解釈のしようがないといわれている難解な作品のようだ。
万葉仮名表記は
  伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母
となっている。

伊香保温泉といえば石段街。
伊香保温泉のシンボルである石段街は、江戸末期から400年の歴史を持つ最も温泉情緒が感じられる観光スポット、最上部から下部まで約360段の石段の下には温泉が流れ、各旅館に分湯される小間口が見られる。


 峠三叉路(歌碑は左側植込み付近)
この万葉歌碑は伊香保温泉間近の峠三叉路に建っている。

万葉アルバム 花、ひめゆり

2011年08月25日 | 万葉アルバム(自然編)

夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の
知らえぬ恋は 苦しきものそ               
    =巻8-1500 大伴坂上郎女=


夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花は、人に知られない。そのように相手に気づいてもらえない心に秘めた恋は苦しいものです。という意味。

相手も回りもわからないまま恋が進行するつらさ、すなわち片思いを歌った。

大伴坂上郎女は、万葉集の女流歌人としては、指折りの人で、佳品を多く遺している。異母兄の大伴宿奈麻呂との間に、坂上大嬢(さかのへのおおいらつめ)と坂上二嬢(さかのへのおといらつめ)とを生んでいて、この大嬢が家持の妻となっっている。
坂上郎女の歌は万葉集に83首もあり、女性歌人では一番多いが、悲しい恋や、ときめく恋の歌は見受けられない。

多感な歌人で穂積皇子(ほづみのみこ)をはじめ藤原麻呂や大伴宿奈麻呂、大伴百代(ももよ)らと愛人関係にあったとされるが、この歌の相手は特定できないようだ。

「姫百合」は、本州南部の山地に自生し、小さくて可憐なユリの花。茎の先に濃いオレンジ色の花を上向きに開く。

万葉集に「ひめゆり」の歌はこの1首のみである。

万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 伊香保嶺に・・・水沢観音

2011年08月22日 | 万葉アルバム(関東)

伊香保嶺に 雷(かみ)な鳴りそね わが上(へ)には
故(ゆえ)はなけども 児らによりてぞ
   =巻14-3421 作者未詳=


 伊香保の山の雷さま、どうぞ鳴らないで下さい。私は気になりませんが、いとしいあの娘が怖がりますから。という意味。

「伊香保嶺(いかほね)」は群馬県の榛名山。「雷(かみ)な鳴りそね」は、」はカミナリ+禁止の意の副詞ナ(ナとソの間に動詞の連用形をはさみ、禁止の意)+鳴ルの連用形+禁止の終助詞ソ+ひとに希望、依頼をする終助詞ネで、鳴ラナイデホシイ。「故(ゆゑ)」は支障。「子ら」のラは音調を整えるための接尾語。「よりてそ」のソは、指定を表す終助詞ゾの上代語。(中西進編「万葉集」講談社文庫、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店等を参考)

この万葉歌碑は伊香保の水沢観音境内に建っている。

水沢観音は、推古天皇の御代、上野国司高光中将の菩提所として建てられた伝えられている。万葉の頃すでにこの土地に祀られた寺である。
坂東三十三観音霊場16番札所。宗派は天台宗。
水沢観音本堂は本尊に千手観音をまつる江戸時代、天明7年(1787)の建築で、棟唐破風は鮮やかな彫刻が施されている。
六角二重塔は、6体の地蔵尊が安置されていて、回転式になっていて、真心を込めて左に3回廻すと願いがかなうと伝えられている。

万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 上毛野・・榛名湖 コナギ

2011年08月18日 | 万葉アルバム(関東)

上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ)
かく恋ひむとや 種求めけむ
    =巻14-3415 作者未詳=


 上毛野の伊香保の沼に植えた子水葱の成長するのがこんなに待ち遠しくてたまらないのならいっそのこと子水葱など植えるのではなかった。という意味。

今の苦しみの元になっている恋焦がれの種など、始めから求めるのではなかった・・・なんと苦しい事だろう。ということを歌っている。

「伊香保の沼」は一般に榛名山上の榛名湖をさすとされている。
山麓の古代農耕人にとって榛名山が、労働につけ恋愛につけ日常生活の共通の拠り所として慕われていたのだろう。

 コナギ
「小水葱(こなぎ)」は芹などと同じように、水田や湖沼に自生するミズアオイ科の一年草。ミズアオイに似るが全体に小さい。夏から秋、青紫色の花を開く。花を染料に用いた。昔は野菜として栽培もされていたようだ。


この万葉歌碑は、伊香保温泉の奥の湯元飲泉所横にある。

万葉アルバム(関東):群馬、伊香保 伊香保ろの・・・水沢周辺

2011年08月17日 | 万葉アルバム(関東)

伊香保ろの 夜左可(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば
    =巻14-3414 作者未詳=


 伊香保の高い井堰の上に現れる虹がはっきりと見えるように、人目につくまで一緒に寝ていられたらなぁ。という意味。

「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山周辺をさす。「夜左可(やさか)」は地名であろうが、所在不明。「井手(ゐで)」は水をせき止める設備。「虹(のじ)」はニジの上代東国方言。「顕(あらは)ろまでも」のロは、連体形ルの上代東国方言。虹が現れることと人目につくことの両方の意味がある。「さ寝 (ね)」は共寝をすること。「さ寝(ね)てば」は、下二動詞サヌの連用形+完了ツの未然形+順接仮定の接続助詞のバで、供寝ヲ続ケタナラバの意。なお、虹には不吉な印しの意味があり、末句のバには不安の心がある、との説もある。(中西進編「万葉集」講談社文庫、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店 等による)

岩波書店編では夜左可(やさか)は八尺(やさか)で八尺もある高さの井手としているが、新潮社編では夜左可(やさか)を地名ととらえている。
一説では、水沢のあたりに八坂の塔の跡があったり、井出野という地名も残っていることから水沢周辺とみることができる。私はこちらの説を採りたい。

この万葉歌は伊香保に3基も建っている。(水沢観音駐車場、水沢観音植物園、伊香保神社)水沢2基は万葉仮名、伊香保神社は楷書表記である。

この万葉歌碑は水沢観音の駐車場付近に建っているものである。

歌碑は楷書表記だが、歌碑裏に説明文(右手)および4枚の銅版(左手)をはめ込んだ副碑には、和洋両文で説明がなされている。

 水沢観音は水沢山の中腹におよそ1300年前に開かれた天台宗の寺で坂東三十三観音第16番札所となっている。東京へ三十三里、日光へ三十三里、善光寺へ三十三里と霊験あらたかな場所に位置して、ご利益を授かることができる観音様として親しまれている。
参道には江戸時代から作られていた水沢山から湧き出た名水で作られた手打ちうどんである「水沢うどん」を売る店が軒を連ね"日本三大うどん"に数えられている。


万葉歌碑マップ探訪:群馬 伊香保温泉 万葉歌碑群

2011年08月11日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(伊香保温泉とその周辺マップ:クリックすると拡大表示します)

 伊香保温泉とその周辺(水沢観音・長峰公園・森林公園)に万葉歌碑が11基建てられており、伊香保温泉の6基は散策しながら訪ねられるが、周辺部の5基は車利用でないと訪ねられないところだった。
(→2011/8/5-6伊香保路の旅参照

伊香保の名は、現在は伊香保町の町名としてのみ残っているが、万葉の頃は現在の榛名山一帯を指していたようである。

万葉集第十四巻の東歌の中には伊香保を歌った歌が9首あり、伊香保には9首全部の歌碑がたてられている。3~11の歌碑で全て地元書道家・佐々木心華氏の訓読の揮毫によるもので、これらの歌碑には碑文と現代語訳の案内板が添えられている。
この他に1~2は黒澤春来の原文の揮毫である。


1.水沢観音 駐車場
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


2.水沢観音 植物園
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


3.水沢観音 境内
  伊香保嶺(ね)に 雷(かみ)な鳴りそね 吾が上(へ)には
  故はなけども 子らによりてそ 巻14-3421 作者未詳
  →万葉アルバムへ


4.伊香保温泉 峠三叉路
  伊香保せよ 奈可中次下 思ひどろ
  くまこそしつと 忘れせなふも 巻14-3419 作者未詳
  →万葉アルバムへ


5.伊香保温泉 湯元飲泉所横
  上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ)
  かく恋ひむとや 種求めけむ 巻14-3415 作者未詳
  →万葉アルバムへ


6.伊香保温泉 石段街下(旧ハワイ公使別邸隣)
  伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありと言へど
  吾が恋のみし 時なかりけり 巻14-3422 作者未詳
  →万葉アルバムへ


7.伊香保温泉 ロープウェイ見晴駅 展望台
  伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく
  人とおたはふ いざ寝しめとら 巻14-3409 作者未詳
  →万葉アルバムへ


8.伊香保温泉 ロープウェイ不如帰駅前 文学の小径
  伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) 吾が衣(きぬ)に
  着きよらしもよ ひたへと思へば 巻14-3435 作者未詳
  →万葉アルバムへ


9.伊香保温泉 伊香保神社境内
  伊香保ろの 八尺(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
  顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば 巻14-3414 作者未詳
  →万葉アルバムへ


10.長峰公園
  上毛野 伊香保の嶺(ね)ろに 降ろ雪(よき)の
  行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり 巻14-3423 作者未詳
  →万葉アルバムへ


11.森林公園管理棟前
  伊香保ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに
  将来(おく)をなかねそ 現在(まさか)し良かば 巻14-3410 作者未詳
  →万葉アルバムへ

万葉アルバム 野草、うはぎ(ヨメナ)

2011年08月10日 | 万葉アルバム(自然編)

春日野に 煙(けぶり)立つ見ゆ をとめらし
春野のうはぎ 採みて煮らしも
   =巻10-1879 作者不詳=


春日野の方に青い煙が立ちのぼっているのが見えるけれど、あれはきっと、乙女た
ちがヨメナを摘んで煮ている煙に違いない。という意味。

万葉時代に春日野と呼ばれていた所は、今の奈良公園の一帯。
遠くから春ののどかな風景を眺めて想像をめぐらしている。

「うはぎ」は現在のヨメナ(嫁菜)と呼ばれているもの。秋には淡紫色の可憐な花が咲く。
ヨメナは3月頃、萌え出る若芽を摘みとり、生の葉を天ぷらや汁の実にする。かるくゆでたものはおひたしやあえもの、炒め物に、細く刻んでご飯に散らして蒸らすとヨメナ飯が出来る。

万葉アルバム(関東):千葉・流山、諏訪神社 いざ子ども

2011年08月04日 | 万葉アルバム(関東)

いざ子ども 狂業(たはわざ)なせそ 天地(あめつち)の
堅(かた)めし国そ 大倭(やまと)島根(しまね)は
   =巻20-4487 藤原仲麻呂=


さあ人々よ。たわけたことをしてはいけない。大和の国は天地の神々の固めた国であるぞ。という意味。

「たはわざ」は、常軌を逸したこと・愚行・軽率な行為などの意。
天平宝字元年(757年)、橘諸兄の子・奈良麻呂が打倒仲麻呂のクーデターを画策したが、失敗に終わったときに、藤原仲麻呂が作った歌だ。

仲麻呂は、配下を子ども扱いにして、威圧的に命じているようだ。得意満面の仲麻呂はその後、淳仁天皇のもとで恵美押勝の名を賜り強権政治に走ったが、孝謙上皇・道鏡との対立から藤原仲麻呂の乱に至り捕らえられ斬首された。

 千葉県流山市の諏訪神社にこの万葉歌碑が立っている。
この土地と藤原仲麻呂は特に関係があるわけではないが、天地の神々の固めた国という表現から神社にふさわしいとされ立てられたのだと思う。

万葉アルバム(奈良):磯城郡、三宅の原 あざさ(アサザ)

2011年08月01日 | 万葉アルバム(奈良)

うちひさつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き
夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ
通はすも我子(あこ) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ
蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ
大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押へ刺す
うらぐはし子 それぞ我が妻
   =巻13-3295 作者未詳=

父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道の
夏野の草を なづみ来るかも
   =巻13-3296 作者未詳=


(長歌)三宅の原を通り、じべたに足踏み込んで、夏草を腰でかき分けして、どういう娘さんが通っているのかね。それはそうさ、お母っかさん、お父っつぁん、なんか知るまい。その人はね、真っ黒な髪に真木綿で、あざさ型に結び大和産の黄楊の櫛おさえしている素晴らしい私の妻だよ。
(短歌)両親に内緒で彼女の所に通い続けた。夏の三宅は草いきれでムンムンしていた。暑いのによく通ったものだなあ。

青年の心の弾むような歌である。

万葉集に出てくる「三宅の原」は、古代天皇の稲作の御料地「屯倉(みやけ)」、「屯田(みた)」のことで、現在の「三宅町」及びその近傍辺りとされる。

”あざさ”は、現在のアサザの花のことをさす。
蜷(ミナ)は田螺(タニシ)の古名で「美菜」即ち美味な食べ物の意とされている。
蜷の腸(ワタ)は黒焼きにして食べたり眼病などの薬とされていたようだ。

アサザの花
万葉名「あざさ」、現代学名「アサザ」(ややっこしい!)

アサザは「池や沼に生えるリンドウ科の多年生水草で、夏の午前中に黄色い五弁の花を咲かせる。花の大きさは3~4センチ。花は早朝に開き昼頃萎むが、次々と開花する。「絶滅危惧種」に指定されている。

万葉集で「三宅の原」の花として詠まれている。

この万葉歌碑は磯城郡三宅町伴堂にあり、三宅の原をよんだ歌の歌碑(犬養孝氏揮毫)が平成8年(1996年)3月に建立された。

また聖徳太子が飛鳥と斑鳩を往復したという伝承のある直線道路「筋違道」(太子道)が三宅の原を斜めに走っていた。三宅町には太子道の痕跡が残る。

三宅町黒田の太子道
太子は、毎日、愛馬の黒駒に乗ってこの道を通り、三宅町屏風の地で休憩を取ったと言い伝えられ、屏風の杵築神社にはこの様子を表した絵馬が、白山神社には太子が腰を掛けたと伝えられる「腰掛石」が残されている。