飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム~花、あふち(センダン)

2012年04月30日 | 更新情報
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妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし
我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
   =巻5-798 山上憶良=


 妻の死を悲しみ、私の涙がまだ乾かぬうちに、妻が生前喜んで見た庭の楝(=栴檀)の花も散ってしまうのだろう。という意味。

妻を亡くした大伴旅人に奉った歌。作者の山上憶良(660~733年)は、百済からの渡来人であり、藤原京時代から奈良時代中期に活躍した。漢文学や仏教の豊かな教養をもとに、貧・老・病・死、人生の苦悩や社会の矛盾を主題にしながら、下層階級へ温かいまなざしを向けた歌が収められている。

「楝の花」は古名で現在の栴檀(せんだん)の花のこと。センダン科センダン属の落葉高木。街路樹や公園などによく見かける。5~6月、新しくのびた枝の葉腋から長さ10~15㌢の複集散花序をだし、淡紫色の小さな花を多数開く。果実は薬用にし、核は数珠の玉に使う。
ちなみに、「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)の諺はよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指すらしい。
万葉集には「楝の花」の歌は4首ある。

私の息子が通っていた幼稚園が、松戸市千駄堀にある「栴檀幼稚園」。
当時はなんと変わった名前だろうと思っていたが、しばらくしてセンダンの木の名前だとわかった。栴檀の木をみると当時を思い出す。

 この万葉歌碑は名古屋の東山動植物園内の万葉の散歩道に置かれている(2010/12/24写す)。



こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム(関東):千葉県、木更津市馬来田 馬来田の嶺ろ

2012年04月23日 | 万葉アルバム(関東)

馬来田(うまくた)の 嶺(ね)ろの笹葉の 露霜の
濡れて我(わ)来(き)なば 汝(な)は恋ふばそも
   =巻14-3382 作者未詳=


 馬来田の山の笹の葉に置く露に濡れながら私が帰って行ったなら、あなたは私を恋しく思うだろう。という意味。

 防人として遠く旅立とうとする男の心の歌。

馬来田は木更津から小櫃川に沿って上り久留里との中間にある田園地帯である。

上総国望陀(まうだ)郡が万葉でいう「宇麻具多」だといわれており、現在の袖ヶ浦市・木更津市を流れる小櫃川流域で、今も望陀の地名が残っている。万葉の「馬来田の嶺ろ」は広くこの辺一帯の丘陵をさすのではないかと思う。

この歌の歌碑も木更津市真里谷と袖ヶ浦市袖ヶ浦公園に見られる。

この写真の万葉歌碑は木更津市真里谷の馬来田の武田川左岸畔に建てられている。
武田コスモス・菜の花ロードとして地元で整備し自然景観の保存がされ、武田川に沿って桜並木とコスモスが植えられている。訪ねた4月には満開の桜の花と菜の花が印象的だった。(2012年4月14日)


一方、こちらの万葉歌碑は袖ヶ浦市袖ヶ浦公園に付属する万葉植物園に設置されているものである。
袖ヶ浦市は木更津市と接しており、「馬来田の嶺ろ」の故地とも比定されている。





万葉歌碑マップ探訪:千葉県袖ヶ浦市、袖ヶ浦公園 万葉植物園

2012年04月18日 | 万葉歌碑マップ 探訪


  (万葉植物園案内図:図をクリックすると拡大します)

 袖ケ浦公園は、袖ケ浦市のほぼ中心に位置し、四季折々の花を観賞することができる市民の憩いの場となっている。大小2つの湖沼とこれを囲む丘陵地が大部分を占める水と緑あふれる公園で、下池周辺には、軽食も楽しめる花のテラスやわいわい広場、中央広場があり、上池には郷土博物館や万葉植物園などの施設が揃っている。

万葉植物園は郷土博物館の付帯施設で、万葉集に詠まれている約160種類の植物の中から、105種類を選んで栽培し、詠まれた歌の歌碑を設置している。万葉集には馬来田(まくた)に関する歌が2首選録されており、上総国望陀(まうだ)郡が万葉でいう「宇麻具多」だといわれている。現在の袖ヶ浦市・木更津市を流れる小櫃川流域で、今も望陀の地名が残っている。
万葉歌碑はこの馬来田の歌碑1基と万葉植物10基の合計11基設置されている。
園内は手入れが施されており、四季折々草花を楽しむことができそうだ。


万葉植物園全景



1.馬来田の嶺ろ
  馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の
  濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも (巻14-3382)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


2.むろのき
  鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに
  相見し妹は 忘れえめやも (巻3-447)大伴旅人 →詳細は万葉アルバム


3.ほうのき
  我が背子が 捧げて持てる ほほがしは
  あたかも似るか 青き蓋 (巻19-4204)僧恵行 →詳細は万葉アルバム


4.やまぶき
  山吹は 日に日に咲きぬ うるはしと
  我が思ふ君は しくしく思ほゆ (巻17-3974)大伴池主 →詳細は万葉アルバム


5.まつ
  岩代の 浜松が枝を 引き結び
  ま幸くあらば また帰り見む (巻2-141)有間皇子 →詳細は万葉アルバム


6.もも
  春の園 紅にほふ 桃の花
  下照る道に 出で立つ少女 (巻19-4139)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


7.まゆみ
  南淵の 細川山に 立つ檀
  弓束巻くまで 人に知らえじ (巻7-1330)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


8.にわとこ
  君が行き 日長くなりぬ 山たづの
  迎へを行かむ 待つには待たじ (巻2-90)衣通王 →詳細は万葉アルバム


9.ふじ
  藤波の 花は盛りに なりにけり
  奈良の都を 思ほすや君 (巻3-330)大伴家持 →詳細は万葉アルバム


10.しだれやなぎ
  浅緑 染め懸けたりと 見るまでに
  春の柳は 萌えにけるかも (巻10-1847)作者未詳 →詳細は万葉アルバム


11.ゆずりは
  いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉の
  御井の上より 鳴き渡り行く (巻2-111)弓削皇子 →詳細は万葉アルバム

万葉アルバム~花、うのはな(ウツギ)

2012年04月16日 | 更新情報
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ほととぎす 鳴く声聞くや 卯(う)の花の 
咲き散る岡に 葛(くず)引く娘子(おとめ)  
   =巻10-1942 作者未詳=


 ほととぎすの鳴く声を聞きましたか、卯の花が咲いては散る丘で葛を引いている娘さん。という意味。

 ウツギ(空木)、ユキノシタ科ウツギ属。ウノハナ(卯の花)とも呼ばれる。
茎が中空のため空木と呼ばれる。「卯の花」の名は空木の花の意、または卯月(旧暦4月)に咲く花の意ともいう。
5月下旬から7月にかけて、円錐花序を多数だし、直径1~1.5㌢の白い花が密に垂れ下がって咲く。
ウツギには、ヒメウツギ、マルバウツギ、サクラウツギ、ウラジロウツギ、バイカウツギなど種類が多く、ホトトギスも迷うくらいである。

 ウノハナは万葉集に24首も登場する。その多くが、霍公鳥(ほととぎす)とセットで詠まれている。唱歌「夏は来ぬ」の「卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて・・・」でもセットで詠まれていてお馴染みである。


こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム(関東):茨城、筑波山 天の原・・

2012年04月09日 | 万葉アルバム(関東)

天の原 雲なき宵に ぬばたまの
夜渡る月の 入らまく惜しも
    =巻9-1712 作者未詳=


 筑波山に登って、頭の上に広がる雲ひとつ無い夜空を見上げると、そこには漆黒の闇に煌々と光を放ち美しく輝く月が浮かんでいる。この月が、やがて沈み消えてしまうのは、何とも惜しいことだ。という意味。

この歌の題詞に、筑波山に登りて月を詠む一首とあり、筑波山の上で詠んだ歌だとわかる。
「ぬばたま」は、ヒオウギの漆黒の実のことをいい、「黒い・暗い・夜」の枕詞に用いている。
  →万葉アルバム参照

この万葉歌碑は茨城県つくば市のつくばテクノパーク大穂のセンター道路の工業団地脇に建てられている。。
広い工業団地の中に万葉集20基、風土記の歌2基、古今和歌集3基、他に2基の、計27基の歌碑が点在している。

万葉アルバム(明日香):甘樫橋東

2012年04月02日 | 万葉アルバム(明日香)

今日もかも 明日香の川の 夕さらず
かはづ鳴く瀬の さやけくあるらむ
   =巻3-356 上古麻呂=


 今日もまた、夕方になるとカジカの鳴く飛鳥川。その川の瀬は清らかだろうなあ。という意味。

「夕さらず」=夕去らず、とは(夕を離れない意から)夕べごとに。夕方はいつも。
「明日」を「明日香」にかけて「今日」と対比させているところも面白い。

奈良遷都の後に、明日香の故郷を偲んで詠んだ歌だ。
作者の上古麻呂(かみのこまろ)については伝未詳である。

この万葉歌碑は甘樫橋東に建っている。
甘樫丘の麓を飛鳥川に沿って東に進むと甘樫橋にぶつかる。