飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):山の辺、巻向川

2011年04月25日 | 更新情報
(写真更新しました)


ぬばたまの夜さり来れば巻向(まきむく)の
川音(かはと)高しも嵐かも疾(と)き
    =巻7-1101 柿本人麿歌集=


暗闇の夜がやってくると、巻向川の川音が高くなった。嵐が来ているのだろうか。という意味。

「巻向」は、奈良県桜井市の穴師(あなし)・巻向を中心とした一帯。「巻向川」は、巻向山の主峰「弓月が岳」と穴師山の間から車谷の村落に沿って西に流れ下る小さな谷川である。
「ぬばたまの」は夜にかかる枕詞で真っ黒という意。
人麻呂が妻の家で一夜を明かした時の歌なのだろうか。
電灯のない時代、ぬばたまの漆黒の闇があたりを包み、川音だけが谷間に響いている。
闇の中で川音に耳をそばだたせている人麻呂。
「巻向川の川音が昼間に比べて高くなってきている。上流の巻向山は今はもう嵐かもしれん。これは激しいぞ!」
漆黒の闇に、響き流れる川の音というのが実に印象深く、また近くの川音から遠くの山の嵐を想像するという遠近感のある歌で、私の大好きな歌のひとつである。

 この万葉歌碑は山の辺の道、桜井穴師の里の巻向川の近くに建っている。

万葉アルバム 花、さくら

2011年04月18日 | 万葉アルバム(自然編)

あしひきの 山の間照らす 桜花
この春雨に 散りゆかむかも
   =巻10-1864 柿本人麻呂歌集=


山の間を照らすように咲いている桜は、この春雨に散ってしまうのだろうか。という意味。

 万葉人には桜の花の時が近づくと花が咲くのを待ち望む心が、咲いた桜が春雨にぬれて散ってしまうと花が散るのを惜しむ心が、ある。現代人よりも自然に咲く花に対する愛着が強く感じられるようだ。

 万葉の頃はサクラといっても自然に咲く桜、すなわち山桜であった。



 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)

万葉アルバム(奈良):山の辺、穴師坐兵主神社

2011年04月11日 | 万葉アルバム(奈良)

天雲に 近く光りて 鳴る神の
見れば畏し 見ねば悲しも
   =巻7-1369 作者未詳=


天雲の近くに光る雷(かみなり)のように、見れば恐れ多いし、見なければ悲しいし。という意味。

この歌を詠んだ人が恋したっている人を雷にたとえた歌で、恐れ多い程に身分が高い人だったのだろう。

山辺の道の穴師の里の奥深い山裾に穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)がある。
穴師坐兵主神社は訪れる人が少なくひっそりとたたずんでいるが、山奥に似合わず小さいが瀟洒な伽藍を目の当たりにする。垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったといわれている。なんと紀元前の話である。三つの神社を合わせて祀っているため、神殿はいずれも三ツ屋根造りとなっている全国にその例を見ない神社なのである。

この万葉歌碑は神社の片隅に置かれている。

万葉アルバム 花、つつじ

2011年04月06日 | 万葉アルバム(自然編)

水伝ふ 磯の浦廻(うらみ)の 岩つつじ
茂(も)く咲く道を またも見むかも
   =巻2-185 作者不詳=


 水が沿って流れている岩のみぎわの曲がり角にある岩つつじが盛んに咲くこの道を、再び見ることができるであろうか。という意味。

日並皇子(ひなしみのみこ)の死を悲しんで舎人(とねり)たちが作った歌の一つ。

『万葉集』に詠まれた「つつじ」は九首ある。
「つつじ」と単独で詠まれないで、「岩つつじ」や「白つつじ」と詠まれている。
「岩つつじ」は、大岩を裂くように生えるつつじを意味し、現在の「さつき」の原種とされており、山野に生えるミツバツツジが近いといわれている。  

 この万葉歌碑は名古屋の東山動植物園内の万葉の散歩道に置かれている(2010/12/24写す)。


こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。