昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

亡妻の病い

2011-12-12 17:26:08 | 日々の雑記
      ※ 死ぬときは 二人一緒と 云いし妻
           独り淋しく この世を去れり
      

       ※倦むほどに 看病したいと 願いしが
           妻早々と 我が許を去る
      

 今年の三月半ば過ぎのこと、妻は身体の不調を訴えるよう様になりました。
どうやら右側の脇腹に時おり激しい痛みが出ると言いながら、膝用の貰った湿布薬を貼って凌いでいました。
 私も妻の言うように、単なる寝癖か筋肉痛だろうと軽く思っていたのですが、
四月にもなってから、永いこと通院していた総合病院で診てもらいましたが、原因も分からず痛みは一向に治まりませんでした。
 それどころか、五月に入ってからは、その痛みは頻繁に出て来るようになり、
やがては耐えられないほどにもなって来たのです。
 この間血液検査はもとよりCTやMRIなどの検査を加え、更に大腸に胃ガンの内視鏡検査もやりましたが、痛みの原因はまったく判りませんでした。
 そうこうしている内に五月の半ばになってから、今までの検査に加えてエコーを実施したところ、ようやく胆嚢の異状が見付かり、それも胆管が詰まっていることが判りました。
 胆汁が流れなくなった結果から、肝臓にも影響を及ぼして痛みを発生させていることが判ったのです。
 しかし病状はかなり進んで居る上に、場所が場所だけに摘出は無理と言うことで、即入院して癌の進行を止めながら胆汁を体外に出す処置がなされました。
 点滴による抗がん剤の効き目は良くて間もなく退院が出来て、外来で受けるほどになりました。しかしそれも束の間でした。間もなく副作用のためか、全身に黄疸が出て来たうえに、吐き気とか目まいなどに襲われようになりました。
 直ちに再入院して抗がん剤点滴は中止され、次の処置は胆嚢に管を通して胆汁を体外に排出する手段がとられました。
 この効果も良くて、毎週末の外泊さえも許されるまでに持ち直したのですが、
廃液バッグをぶら提げて歩く姿は、見るからに痛々しくて可哀相でした。
 出来ることなら時おり替わってやりたいと、しみじみ思ったものです。特に院内で、点滴の支柱を押して歩くのは、やりきれない思いでした。
 
 その後一進一退を続けながら十月に入り、遂に家庭でのホスピスが宣告され、通院の傍ら訪問看護で過ごすておりましたが、再度入院して個室に入ってから一週間目、ついに帰らぬ旅・・・あの世に旅立ったのです。
 ただ救われているのは、妻の最後がまさにー眠れるがごとくーそのものだったことで、また唯一つ無念で恨めしいのは、15年ほどN総合病院に3ヶ月毎に通院して、その都度血液検査を受けていたうえに、年に一度は胃がんに大腸がんなどの検査を受けてきたのに、今度の病気が見付かったときは既に手遅れだったことです。

      ※ 涙もて 描く臨終の 妻の顔
         安らかなるに 癒されており