釧路市生涯学習センターで今日から開催された、樺太資料移動展を見て来た。
樺太は私が16歳まで生まれ育った云わば生まれ故郷であって、先日この開催予告があったときは是非とも見たいものと思っていた。
市内には樺太出身者か、またはそれに関心有る方が相当数居るとみえて、駐車場は満杯状態で30分ほど待たされて漸く入場できた。
会場の入り口には今回の移動展の象徴でもある、「樺太日露国境二号標石」が赤い座布団状の布の上に置かれて在った。撮影して見たが刻印の文字は永年の風雨に曝された所為ではっきりとは読み取れなかった。
資料のパンフを見ると、菊の紋章の周りに「大日本帝国境界」とあり更に右側の面には「天第二號・明治三十九年」の刻印があるのが分かった。
会場に所狭しとばかりに並べられた多くの資料の中には、生まれ育った町の写真や地図などがあった。それらを見てやはり一番先に想い出されるのは、終戦時民間防衛隊の一員として出動したまま約59年今なお行方不明の父親である。隣の島でありながらそう簡単には訪れる事の出来ない外国、今は唯々冥福を祈るのみである。
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