Ⅳ・学外体験より(1)
私たち仲間六人の学外下宿外での行動範囲は東京に慣れるに従って広がっていった。その学外行動の中心に居たのが札幌出身のS君で、私たちが在京中に体験したものの殆どは彼の提案によるものだった。
(1)・ビール工場見学
これは仲間六人のリーダー的存在S君の発案であった。とにかく彼は誰よりも社交家で活動的、そして世話好きであった。絶えず私たち仲間のために何かを目論んでいた。彼は或る日恵比寿の「エビスビール」の工場見学を計画して連れて行ってくれた。彼が東京に来て得た人脈の紹介によるものだった。見学の後に振舞われた冷たい生ビールは彼のお蔭であり、それは夏の暑いさ中の一服の清涼剤であった。
(2)・日比谷野外音楽堂
或る日の夕食直後のことで、まだ勉強への意欲が湧かない時間帯であった。彼の発案で急遽日比谷の野外音楽堂へ出掛ける事になった。私のクラシック音楽への関心は、この度一緒に上京した夜学時代の友人の影響もあり、更にその後ラジオ番組の「音楽の泉」で次第に身に入りつつあった時代である。それに生のコンサートは初めてのことであったから、誰よりも早く彼に賛同した。それで結局仲間の全員が、勉強前の腹ごなしを兼ねて出掛けることになった。
音楽堂に着いた時にはまだ早く観客も疎らであった。私たちは物珍しさから、その辺りを見物に走り回り、肝心のコンサートが開かれてからは、暑さと疲れで演奏の中ほどは寝入ってしまった。
余り定かに記憶していないが、確かに「朝比奈 隆」指揮の「ベートーヴェンの第五」であった筈である。この指揮者は後年勤務地の炭砿事業所の娯楽会館に来て、演奏会の指揮をした事があった。確か夏の繁忙期だったが、とても懐かしく思えて、仕事の遣り繰りをして妻と駆けつけたものだった。
(3)・江ノ島へ
またまたS君の計画で、朝食後彼から言い出されたことで、今日は土曜日で午後の授業は無いから、学校から真っ直ぐ江ノ島見物に行こうかとのことだった。
江ノ島のことは名前だけは良く知っている景勝地で、私たち道産子(
ドサンコ)には魅力充分な場所である。みんなの意見は一も二も無く賛成であった。その日の一時半丁度に新宿駅に集合して、小田急線に乗り込みその終点で降りた。後は海辺まで歩き海水浴場などを眺めながら橋を渡って島に到着した。島全体がお土産品売り場で占められていた。呼び込みの声の多さに圧倒されながらも「そこの慶応の学生さん・・・特に安くしますよ」の声に釣られて、小ぶりの店に入ってしまった。私が被っていた丸帽が標的にされたわけである。貝殻細工の多い土産品の中から、妻へのお土産として可愛いらしい花瓶を買った。結局お土産を買わされたのは帽子を被っていた私だけであった。これもここに来た記念であろうと満足していた。
江ノ島を望む
※・続く・・・
私たち仲間六人の学外下宿外での行動範囲は東京に慣れるに従って広がっていった。その学外行動の中心に居たのが札幌出身のS君で、私たちが在京中に体験したものの殆どは彼の提案によるものだった。
(1)・ビール工場見学
これは仲間六人のリーダー的存在S君の発案であった。とにかく彼は誰よりも社交家で活動的、そして世話好きであった。絶えず私たち仲間のために何かを目論んでいた。彼は或る日恵比寿の「エビスビール」の工場見学を計画して連れて行ってくれた。彼が東京に来て得た人脈の紹介によるものだった。見学の後に振舞われた冷たい生ビールは彼のお蔭であり、それは夏の暑いさ中の一服の清涼剤であった。
(2)・日比谷野外音楽堂
或る日の夕食直後のことで、まだ勉強への意欲が湧かない時間帯であった。彼の発案で急遽日比谷の野外音楽堂へ出掛ける事になった。私のクラシック音楽への関心は、この度一緒に上京した夜学時代の友人の影響もあり、更にその後ラジオ番組の「音楽の泉」で次第に身に入りつつあった時代である。それに生のコンサートは初めてのことであったから、誰よりも早く彼に賛同した。それで結局仲間の全員が、勉強前の腹ごなしを兼ねて出掛けることになった。
音楽堂に着いた時にはまだ早く観客も疎らであった。私たちは物珍しさから、その辺りを見物に走り回り、肝心のコンサートが開かれてからは、暑さと疲れで演奏の中ほどは寝入ってしまった。
余り定かに記憶していないが、確かに「朝比奈 隆」指揮の「ベートーヴェンの第五」であった筈である。この指揮者は後年勤務地の炭砿事業所の娯楽会館に来て、演奏会の指揮をした事があった。確か夏の繁忙期だったが、とても懐かしく思えて、仕事の遣り繰りをして妻と駆けつけたものだった。
(3)・江ノ島へ
またまたS君の計画で、朝食後彼から言い出されたことで、今日は土曜日で午後の授業は無いから、学校から真っ直ぐ江ノ島見物に行こうかとのことだった。
江ノ島のことは名前だけは良く知っている景勝地で、私たち道産子(
ドサンコ)には魅力充分な場所である。みんなの意見は一も二も無く賛成であった。その日の一時半丁度に新宿駅に集合して、小田急線に乗り込みその終点で降りた。後は海辺まで歩き海水浴場などを眺めながら橋を渡って島に到着した。島全体がお土産品売り場で占められていた。呼び込みの声の多さに圧倒されながらも「そこの慶応の学生さん・・・特に安くしますよ」の声に釣られて、小ぶりの店に入ってしまった。私が被っていた丸帽が標的にされたわけである。貝殻細工の多い土産品の中から、妻へのお土産として可愛いらしい花瓶を買った。結局お土産を買わされたのは帽子を被っていた私だけであった。これもここに来た記念であろうと満足していた。
江ノ島を望む
※・続く・・・
何時もpoloさんには分をお褒め頂き、嬉しいやら面映いやらで一杯です。
あのお土産を買ったのは、丸帽子を被っていたためでした。それなのに老妻の喜びように照れ臭く面食らったものでした。それも今は懐かしい想い出です。
20歳も年上のお兄さんと大の仲良しなんて、熊子さんにとってはお父さんのような存在ですね。羨ましいです。
乗ったのは確か新宿からの小田急線でした。当時の私の頭には「江ノ電」は無かった思います。
ここだけの話ですが、慶応ボーイは恥ずかしいです。後で解りますが挫折しましたから・・・。
研修中のコメント本当に感謝しております。