昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

釧路市の市内循環バス

2007-07-19 20:49:22 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
                       釧路市内循環バス

            

 先日の午後のことでした。前を走る市内循環バスの車体の後部に、啄木の短歌と肖像が掲載されているのを見かけました。
              
               しらしらと氷かがやき
              千鳥なく
              釧路の海の冬の月かな

            
 石川啄木とは、大変縁の深い釧路ならではのことだと、つくづく思いました。

               さいはての駅に下りたち
              雪あかり
              さびしき町にあゆみ入りにき
                          
            
 この短歌は、石川啄木が明治41年1月21日の夜、初めて釧路入りしたときに詠んだとされています。

 夭折の薄倖の詩人と言われるなかでの、啄木の北海道での足跡は、まず函館に渡ってから、小樽・釧路と移り住み、そのいずれの町で新聞記者として活躍しておりました。なかでも釧路時代は、わずか76日間に過ぎませんでしたが、華やかでかなり充実したもので、啄木の26年間という短いの人生で、もっとも恵まれていたと伝いられています。
 
 その例が、歌碑として市内に残っています。
 
               小奴といひし女の
              やわらかき
              耳朶などもわすれがたかり

   
 気鋭の詩人であり、また短歌の口語化の実践者だったいわれているように、短歌などはすべて一般的な言葉で語られています。
 こうして多くの人々に愛される啄木ですが、その半面「嘘つきとか借金王・泣き虫など」であるとかの、悪い話も無いわけではありません。
しかしそれらの真偽は別にして、私も大フアンの一人で若い頃には、歌集・詩集や小説などを読み耽ったものです。そして柄にもなく啄木にあこがれて、似たような短歌を作っては喜んでいたものでした。

 なお釧路市内には、啄木の歌碑25基が、米町公園をはじめとして、おもに橋南地区に建てられ、今に残っております。

「しらしらと・・・」ではじまる歌碑の一つが米町公園にあります。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も啄木フアンです。 (sibuya)
2007-07-19 21:25:03
釧路へは義兄が釧路労災病院へ入院見舞いに
20年ほど前に訪れただけですが 啄木の碑が
こんなにたくさんあるとは知りませんでした。
札幌大通り公園の銅像や函館の湯の川温泉にある
啄木の銅像しか知りませんでした。
「しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の
冬の月かな」が大好きな詩です。
じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2007-07-19 22:40:02
啄木がその後の日本文学の原形を作ったのだという人が多い。貧乏、病苦、夭折の三つを味わわなければ文学の神髄に達することはできないとさえ言う人もおります。<東海の小島の磯の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる>も北海道での作ですね。私は「一握の砂」が好きです。胸をえぐるような作品で輝いています。
Sibuyaさん今晩は (じゃこしか)
2007-07-20 20:21:00
 コメント有難うございます。
 美唄から移転してもう40数年にもなりますが、実のところ10ヵ所しか知りませんでした。
 美唄通過の折に、詠んだとされている「石狩の美国といえる停車場の・・・」や、函館のは知っておりますが、美唄時代には、月に一度の割りで出札していながら、札幌のはまったく気が付きませんでした。
 今は出札することも少なくなりましたが、その機会のおりには探して見ます。また出来ましたら、ぜひ美唄にも行きたいものと考えております。

poloさん今晩は (じゃこしか)
2007-07-20 20:22:01
 Poloさんのおっしゃるとおりで、逆境はその人それぞれの人間性に影響することでしょうね。人間性の深みや大きさなどは、おのずとそこから生れそなわるのだと思います。
「東海の小島の磯・・・」は、私も大好きな歌歌です。いずれにせよ、啄木の短歌は共感できるものが多いです。それが魅力てきで多くの人たちに愛されているのでしょう。

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