昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

想い出日記(夜間高校:1)

2005-03-15 21:01:58 | じゃこしか爺さんの想い出話
   ☆ 受験のきっかけ
 夜間高校へ入る気になったきっかけが何だったのか・・・今はその記憶も曖昧ではっきりしない。昭和22年の夏、樺太から引き揚げて来て先ず落ち着いたところが道央(札幌市の近く)のとある大手の炭砿町だった。私が15歳の時である。そしてその年の秋家計を助けるため炭砿の職に就いた。十五歳と言えば当然新制中学生の筈だが、私の学業は終戦の翌年で終わっていた。言うなれば「国民学校高等科2年中退」これが私の学歴である。

 就職してからも猛烈に勉強がしたいと思った事もあったが、何よりも早く仕事に慣れる事が先決であったから、何時の間にかそんな思いは脳裡から消え去り、仕事に追われまた恋に現を抜かす日々が続いていた。そんな生活に対して朧ろ気ながら疑問を抱き始めた頃だった。炭砿の共同浴場の壁に貼ってあった「夜間高校の生徒募集」の広告を眼にした時だった。
 極く簡単な広告文だったが、一瞬雷に打たれたような強い衝撃を受けた。全く忘れ果てていた勉強に対する思いが沸々と湧いてくるのを感じた。

 職場の同僚たちを見ると、旧制中学卒または新制中学卒ばかりで、高等科2年中退なんていうのは私一人くらいなものだった。気が付いて良くみると就職して既に4年も経っているのに一番下っ端で、責任ある部署にも就けず何時も置いてきぼりを食っていたのである。それに高等科2年生と云っても名ばかりで、戦時中は専ら援農と開墾に明け暮れ、戦後はソ連の使役に駆り出されて、本来の勉強などは殆どして来なかった。
 そんな状態で過ごして来た私は余りにも物知らずであった。それまでに悔しい思いを何度かしていたので、その生徒募集の広告は神の啓示に等しかった訳である。

 逸る心に矢も盾もたまらず早速く翌日の昼休み昼食を後に回して、高校の仮設事務所の在る中学校へ駆けつけ願書を手にした。往復約4キロの道程の半分は駆け足だった。

 ☆続く

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