ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

3628    聖天通り、ミツヤ、エヴァンゲリヲン

2013-03-01 10:07:36 | Weblog
ようやく3月

朝。
チーズトーストをかじりながらPCを開くと、久々で書いていたブログにコメントが入っていた。
思わずウルウルッとくる。


この日は雨模様で、予想最高気温は16度。
棋士カレンダーを受け取りに、午後からNと一緒に福島へ。
書籍にサインの間、小雨の中30分ほど、ひとりで聖天通りをぶらつく。
“売れても占い商店街” のノボリがはためく中、村山さんのお母さんが利用していたクリーニング店
年代物の月星の看板のあがる古い履物屋さん、婚約当時、Nと入ったキンキメガネ(神吉さんソックリの店主さんだった)、スポニチのSさんお気に入りのスエヒロなど、なつかしい気持ちで眺めつつ歩く。
さらに進むと、震災で避難中に何度か入ったマルイチという中華料理やさん、小さな喫茶店リベラ。
そして、突き当りの広い道路の向こう側に、当時お世話になったK林九段のマンションや、突然の余震にあわてて飛び出したガストが現れる。
あの頃は息子も小学生、一緒に避難してきたオバアちゃんもまだ元気だった。
今は車イスの母とも、背中にリュックをかついで、十三バイパスを歩いたり、あちこちへ買い出しに行った。
妹夫婦にはまだ子どももなく、義弟は勤め先の会社へ掃除に通っていたようだ。
当時理事職だったNは何かとあわただしく(被災した職員、棋士も多かった)、昼間はほとんど居なかったように思う。
ちなみに父は、ひとりガンコに自宅へ居残っていた。

K林さんのマンションで一週間お世話になり、そのあと森家3人が村山さんのマンション(ライラック)へ移り、みんなバラバラになるのだが
船越くんの事もあり、やはり、この最初の一週間の記憶が1番生々しく残っている。

そんなことをわずかな時間思いめぐらしたあと、元来た道を戻る。
途中、道を左に折れながら、当時通った銭湯 「聖天湯」 の前へ出る。
シャッターの降りたお風呂屋さんは、以前よりかなり小さく見える。
当時のある晩、お風呂屋さんから出たあと、ちょっと大きな余震があった。
その時に、真向かいに並ぶ長屋風の家のひとつから、メガネをかけた女の人があわてて飛び出して来たのが
なぜかものすごく印象深く残っている。
今はすっかり新しく建て変わっていて、当時の面影は無い。

それから、すぐそばの聖天さんへ入る。
敷地内の保育園から響く子どもの声もなつかしい。
たくさんの狛犬を見ながらうろつくうち、雨脚が強まり、ブーツのつま先が冷たくなってきた。
聖天通りを出て、福ろうじへ入り(トイレを借りようと思ったのだが、人けが無かったのでやめた)
さてどうしようと思っているところへNから連絡が入りホッとする。
ビッグイシューを買って梅田へ出て、三番街のミツヤでグラタンセットを食べたあと、パ●ソニックへ行くNと別れる。


夜は、借りていたエヴァンゲリヲンのDVD(姪と荒木三段のオススメ)の序と破を立て続けに観るが
人物の声が小さいのと、戦闘シーンの音が大きいのとで、リモコンのボリュームをしょっちゅう上げ下げしなきゃならないのが大変だった。
それにしても、メインのシーンで 『♪きょうの日はさようなら』 や 『♪翼をください』 が流れるのにはちょっとビックリした。
そのあとカレーを作る。
今回は久しぶりにジャワの中辛。

N、12時ちょっと過ぎに帰宅。
すぐにテレビをつけ、A級順位戦を観ていた。
谷川さんが助かり、羽生さんが挑戦者に決定。

トロトロになって就寝。


おわり

コメント (2)
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