※みごとな三葉虫。 クリック♪
午前中から研究会で17名参加。
きょうの遅刻者はゼロ (ただし無断欠席が何名かいたようだ)
手合いがつき、パチリパチリと始まりだしのを見届けてから外へ出る。
数日間あわただしく過ごしたのと天気がよいのとで、近場へドライブすることになった。
行く先は 「広野」
特に目的はないが、なんとなく 「ひなびた」 「田舎」 のイメージがあったからだ。
高速に乗って (なんで高速を使うかよく分からなかったが) 三木で降りる。
市内を少し走ると、なんとも風情のある建物や商店が次々と目についた。
「ここイイなぁ!」
「ここで降りよっか」
近くに神社があるようだったのでそちらへ向かう。
細い道を人に聞きながらなんとか訪ね当てた。
大きな鳥居に 『大宮八幡宮』 と書いてある。
(どこにでもありそうな名前だなぁ) と思いつつ境内へ入った。
するとそこは思っていたよりも広く、鎮守の森を背景にして大きな本堂、能舞台、厄除け火箸の納められた祠、奥まったところには小さな弁天堂もある。
ほこりをかぶった能舞台に上がると、壁にオカメと般若の能面がかけられており、その下に清酒の大樽が数個並んでいた。
隣りのもうひとつの舞台にも、色あせた額や、誰だかわからない古いモノクロの写真が飾られている。
大昔にここの境内で行われたのだろうか、相撲の古い番付表もひっそりと掲げられていた。
神社を出てそこらを散策する。
古い小さなタバコ屋、昔ながらのハンコやさん、「塔婆あります」 と貼り紙のされた仏具屋。
日曜のせいか閉まっているところが多いが、店先の古びた看板を眺めるだけでもホッとする。
ちょうどお昼になっていた。
どこに入ろうかとキョロキョロしていると、ちょうど道の向こう側に 『ビストロ・ド・ノブ 西洋料理』 の文字が見えた。
Nの誕生日の続きで入る。
気取らない小ぎれいなレストランで、 「本日のおすすめランチ」 を注文。
コンソメスープ、サラダ、海老ドリア、アイスクリーム、紅茶であっさりと戴く。
厨房では若いシェフとその母親らしき女性が一緒で、妻がひとりホールを切り盛りしている (私だったらゼッタイに文句を言うだろうな)
外へ出るとすぐ隣りが観光協会だったので、Nが八幡神社まで戻りクルマを持ってくる。
その後、観光協会でもらったパンフレトを広げながら散策。
三木は思っていた以上に見所が多そうだ。
とりあえず 「湯の山街道」 というのを歩くことにする。
鮮やかな藍色の生地に、白文字で 『三木名産 包丁屋』 と染めぬいてあるノレンのかかる店があった。
この旧街道沿いでは、今でも多くの 「三木金物」 の店が残っている。
もう少し行くと、『ナメラ商店街』 に突き当たった。
「ナメラ」 とは、この周辺の 「滑原 (ナメラ) 遺跡」 から取った名前のようだ。
日曜のせいか、ここもほとんどの店がシャッターを下ろしている。
しかし、ここも先ほどとたがわずノスタルジックな看板が多く、ルンルン気分で歩く。
「グンゼクツシタ・メリヤス肌着」 「洋傘・ショール・雨合羽 イオロイ洋傘店」 「黒田歌謡教室」 「しゃれた服地とお誂え カンナ」 「男服飾 ハリマ屋」 などなど・・・。
私は三度のメシより ‘古い看板’ がスキかも知れない
短い商店街を抜けると大通りへ出た。
向こうでNが手を振っている。
(ナンだろう・・・)
近づいてみると、枯れヅタのからまった古いトタン屋根の店で、外に沢山の鳥かごが出してある。
青や水色のセキセイインコ、仲のよさそうなオレンジローラーとレモンカナリア、それに和鳥のカゴもいっぱい積み上げられており、すばしっこく動くメジロやウグイス、お腹の茶色いヤマガラもいた。
(ワァ~ッ) と思いパシャパシャ写真を撮っていると、突然ヌッと男性が現れた。
男性は年の頃70代前半、
前歯は欠け頭はボウボウ、するどい目つきでこちらをジロリと一瞥する。
(あじゃ~・・・これはヤバイかな) と思ったが、話してみると気さくないい人だった。
むかしは猛禽類 (タカ、ハヤブサなど) をたくさん飼い慣らしていた事もあったそうで、店の奥に貼られた写真を指差しながら、色々興味深い話を聞かせてくれた。
「こういうのは生きたウサギや犬、ニワトリやモルモットを食わせないとダメで、買ってきた高級な肉のカタマリなんかやっても、1時間後にはダンゴにしてすぐ吐いてしまうんですわ」
あと、和鳥を数多く置くのは条例違反だそうで、それが原因でこのお店やおじさんに対しての風当たりもかなり強く、この春にはとうとう店をたたむとの事だった。
都会のビルの中の小ぎれいなペットショップなんかより、このサンサンとふりそそぐお日様の下でシュッシュッと霧吹きの水をかけて貰っている鳥達の方がずっと健康的でシアワセだと思うのだが・・・
おじさんにお礼を言って先を急ぐ。
三木義氏の墓碑がある 「本長寺」 、そのむかし物資を運搬するのに使われた高瀬舟の底板を利用しているという美しい 「船坂塀」 。
「福乃太 (フクノフトリ) 」 「葵鶴 (アオイツル) 」 などの文字が描かれたノレンと、美しい杉玉のぶらさがる古い造り酒屋。
途中どうしてもトイレへ行きたくなり、近くの金光教の敷地内にあるトイレを使わせて貰った
そろそろちょっと疲れてきた頃、『ギャラリー湯の山』 と書かれた建物前に差しかかった。
(コーヒーでも飲めるのかな~) と思い立ち止まる。
建物の前には、異常にジャンボサイズのアンモナイトや、まるでアラビアンナイトにでも出てきそうな古壷が並べられている。
(うわっ!・・これゼッタイにまがい物だろうなぁ) と思いつつも面白いので写真を撮っていると、建物から出てきたおじいさんに 「良かったらこちらへどうぞ♪」 と招き入れられる (ああ・・メンドクサくなければいいけど)
中へ一歩入って驚いた。
部屋中いたるところに大小のアンモナイトや三葉虫の化石がゴロゴロしているのだ。
そしてそのほとんどがモロッコから出土と書かれている。
「あの・・これ全部ホンモノですか?」 とオズオズ尋ねると、案内のおじさんは一瞬ニヤリとして、「ハイ、全部ホンモノですよ」
聞くと、今までもかなりの回数モロッコへ行かれているとの事。
去年も12月に行かれたばかりだそうだ。
モロッコまでは20時間ほどかかるらしい。
アンモナイトが段々マキマキになっていく過程、現在のイカやタコとの関連性など、熱心に教えて下さる。
「こちらもお見せしましょう」 と奥の部屋へ通される。
そこは十露盤資料室で、大小さまざまなソロバンが並べられていた。
播州算盤、堺ソロバン、大正時代に使われていたという ‘お銚子そろばん’ というものもあった。
「こちらもどうぞ」 と、さらに奥の部屋へ向かう。
ここは、江戸時代から続いていたという、三木職人による 「染形紙」 「染布」 の展示室だった。
武士のカミシモにも使われていたという、細かい凝ったデザインの染形がかべいっぱいに並べられている。
まるで時代を超越したかのような、まったく古臭さを感じさせないモダンな雰囲気のデザインなのに驚く。
卓越したセンス、指先の器用さ、集中力と根気・・・・
どれも人並み異常に要求される職人さんたちが、この三木に沢山いたのだと思うとちょっと感動だった。
ただ、現在では残念なことに、この 「紺屋形」 と呼ばれる染形の技術を持つ職人さんは1人もいないとの事だ。
アンモナイトの部屋へ戻り、Nはアンモナイトのストラップ、私はアンモナイトのイアリングにするか三葉虫の置物にするかさんざん長考したうえ、アンモナイトのイアリングを選ぶ。
今度の祝賀会のときにはゼヒつけていこう♪
それにしてもハンパなコレクションではなかった。
アンモナイト、三葉虫好きの人にはルンルンお墨付きの館です
「湯の山ギャラリー」 を出ると、すでに西日が傾いていた。
再び元きた道を戻り、ナメラ商店街を抜けて駐車場へ戻る。
「最高の日だったねぇ♪」 とすっかり満足して高速へ乗ったが、途中道がわからなくなり、けっきょく大渋滞に巻き込まれ大変な目にあった (私はお腹が痛くなりとてもツライ思いをした)
本日の標語・・・「楽あれば苦あり」
おわり
午前中から研究会で17名参加。
きょうの遅刻者はゼロ (ただし無断欠席が何名かいたようだ)
手合いがつき、パチリパチリと始まりだしのを見届けてから外へ出る。
数日間あわただしく過ごしたのと天気がよいのとで、近場へドライブすることになった。
行く先は 「広野」
特に目的はないが、なんとなく 「ひなびた」 「田舎」 のイメージがあったからだ。
高速に乗って (なんで高速を使うかよく分からなかったが) 三木で降りる。
市内を少し走ると、なんとも風情のある建物や商店が次々と目についた。
「ここイイなぁ!」
「ここで降りよっか」
近くに神社があるようだったのでそちらへ向かう。
細い道を人に聞きながらなんとか訪ね当てた。
大きな鳥居に 『大宮八幡宮』 と書いてある。
(どこにでもありそうな名前だなぁ) と思いつつ境内へ入った。
するとそこは思っていたよりも広く、鎮守の森を背景にして大きな本堂、能舞台、厄除け火箸の納められた祠、奥まったところには小さな弁天堂もある。
ほこりをかぶった能舞台に上がると、壁にオカメと般若の能面がかけられており、その下に清酒の大樽が数個並んでいた。
隣りのもうひとつの舞台にも、色あせた額や、誰だかわからない古いモノクロの写真が飾られている。
大昔にここの境内で行われたのだろうか、相撲の古い番付表もひっそりと掲げられていた。
神社を出てそこらを散策する。
古い小さなタバコ屋、昔ながらのハンコやさん、「塔婆あります」 と貼り紙のされた仏具屋。
日曜のせいか閉まっているところが多いが、店先の古びた看板を眺めるだけでもホッとする。
ちょうどお昼になっていた。
どこに入ろうかとキョロキョロしていると、ちょうど道の向こう側に 『ビストロ・ド・ノブ 西洋料理』 の文字が見えた。
Nの誕生日の続きで入る。
気取らない小ぎれいなレストランで、 「本日のおすすめランチ」 を注文。
コンソメスープ、サラダ、海老ドリア、アイスクリーム、紅茶であっさりと戴く。
厨房では若いシェフとその母親らしき女性が一緒で、妻がひとりホールを切り盛りしている (私だったらゼッタイに文句を言うだろうな)
外へ出るとすぐ隣りが観光協会だったので、Nが八幡神社まで戻りクルマを持ってくる。
その後、観光協会でもらったパンフレトを広げながら散策。
三木は思っていた以上に見所が多そうだ。
とりあえず 「湯の山街道」 というのを歩くことにする。
鮮やかな藍色の生地に、白文字で 『三木名産 包丁屋』 と染めぬいてあるノレンのかかる店があった。
この旧街道沿いでは、今でも多くの 「三木金物」 の店が残っている。
もう少し行くと、『ナメラ商店街』 に突き当たった。
「ナメラ」 とは、この周辺の 「滑原 (ナメラ) 遺跡」 から取った名前のようだ。
日曜のせいか、ここもほとんどの店がシャッターを下ろしている。
しかし、ここも先ほどとたがわずノスタルジックな看板が多く、ルンルン気分で歩く。
「グンゼクツシタ・メリヤス肌着」 「洋傘・ショール・雨合羽 イオロイ洋傘店」 「黒田歌謡教室」 「しゃれた服地とお誂え カンナ」 「男服飾 ハリマ屋」 などなど・・・。
私は三度のメシより ‘古い看板’ がスキかも知れない
短い商店街を抜けると大通りへ出た。
向こうでNが手を振っている。
(ナンだろう・・・)
近づいてみると、枯れヅタのからまった古いトタン屋根の店で、外に沢山の鳥かごが出してある。
青や水色のセキセイインコ、仲のよさそうなオレンジローラーとレモンカナリア、それに和鳥のカゴもいっぱい積み上げられており、すばしっこく動くメジロやウグイス、お腹の茶色いヤマガラもいた。
(ワァ~ッ) と思いパシャパシャ写真を撮っていると、突然ヌッと男性が現れた。
男性は年の頃70代前半、
前歯は欠け頭はボウボウ、するどい目つきでこちらをジロリと一瞥する。
(あじゃ~・・・これはヤバイかな) と思ったが、話してみると気さくないい人だった。
むかしは猛禽類 (タカ、ハヤブサなど) をたくさん飼い慣らしていた事もあったそうで、店の奥に貼られた写真を指差しながら、色々興味深い話を聞かせてくれた。
「こういうのは生きたウサギや犬、ニワトリやモルモットを食わせないとダメで、買ってきた高級な肉のカタマリなんかやっても、1時間後にはダンゴにしてすぐ吐いてしまうんですわ」
あと、和鳥を数多く置くのは条例違反だそうで、それが原因でこのお店やおじさんに対しての風当たりもかなり強く、この春にはとうとう店をたたむとの事だった。
都会のビルの中の小ぎれいなペットショップなんかより、このサンサンとふりそそぐお日様の下でシュッシュッと霧吹きの水をかけて貰っている鳥達の方がずっと健康的でシアワセだと思うのだが・・・
おじさんにお礼を言って先を急ぐ。
三木義氏の墓碑がある 「本長寺」 、そのむかし物資を運搬するのに使われた高瀬舟の底板を利用しているという美しい 「船坂塀」 。
「福乃太 (フクノフトリ) 」 「葵鶴 (アオイツル) 」 などの文字が描かれたノレンと、美しい杉玉のぶらさがる古い造り酒屋。
途中どうしてもトイレへ行きたくなり、近くの金光教の敷地内にあるトイレを使わせて貰った
そろそろちょっと疲れてきた頃、『ギャラリー湯の山』 と書かれた建物前に差しかかった。
(コーヒーでも飲めるのかな~) と思い立ち止まる。
建物の前には、異常にジャンボサイズのアンモナイトや、まるでアラビアンナイトにでも出てきそうな古壷が並べられている。
(うわっ!・・これゼッタイにまがい物だろうなぁ) と思いつつも面白いので写真を撮っていると、建物から出てきたおじいさんに 「良かったらこちらへどうぞ♪」 と招き入れられる (ああ・・メンドクサくなければいいけど)
中へ一歩入って驚いた。
部屋中いたるところに大小のアンモナイトや三葉虫の化石がゴロゴロしているのだ。
そしてそのほとんどがモロッコから出土と書かれている。
「あの・・これ全部ホンモノですか?」 とオズオズ尋ねると、案内のおじさんは一瞬ニヤリとして、「ハイ、全部ホンモノですよ」
聞くと、今までもかなりの回数モロッコへ行かれているとの事。
去年も12月に行かれたばかりだそうだ。
モロッコまでは20時間ほどかかるらしい。
アンモナイトが段々マキマキになっていく過程、現在のイカやタコとの関連性など、熱心に教えて下さる。
「こちらもお見せしましょう」 と奥の部屋へ通される。
そこは十露盤資料室で、大小さまざまなソロバンが並べられていた。
播州算盤、堺ソロバン、大正時代に使われていたという ‘お銚子そろばん’ というものもあった。
「こちらもどうぞ」 と、さらに奥の部屋へ向かう。
ここは、江戸時代から続いていたという、三木職人による 「染形紙」 「染布」 の展示室だった。
武士のカミシモにも使われていたという、細かい凝ったデザインの染形がかべいっぱいに並べられている。
まるで時代を超越したかのような、まったく古臭さを感じさせないモダンな雰囲気のデザインなのに驚く。
卓越したセンス、指先の器用さ、集中力と根気・・・・
どれも人並み異常に要求される職人さんたちが、この三木に沢山いたのだと思うとちょっと感動だった。
ただ、現在では残念なことに、この 「紺屋形」 と呼ばれる染形の技術を持つ職人さんは1人もいないとの事だ。
アンモナイトの部屋へ戻り、Nはアンモナイトのストラップ、私はアンモナイトのイアリングにするか三葉虫の置物にするかさんざん長考したうえ、アンモナイトのイアリングを選ぶ。
今度の祝賀会のときにはゼヒつけていこう♪
それにしてもハンパなコレクションではなかった。
アンモナイト、三葉虫好きの人にはルンルンお墨付きの館です
「湯の山ギャラリー」 を出ると、すでに西日が傾いていた。
再び元きた道を戻り、ナメラ商店街を抜けて駐車場へ戻る。
「最高の日だったねぇ♪」 とすっかり満足して高速へ乗ったが、途中道がわからなくなり、けっきょく大渋滞に巻き込まれ大変な目にあった (私はお腹が痛くなりとてもツライ思いをした)
本日の標語・・・「楽あれば苦あり」
おわり