木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1063 彦根の桜と歴史探訪(1)彦根城内堀

2014-04-18 08:00:00 | 名所旧跡

 久しぶりに友から彦根城の桜と歴史探訪に行かないかとの誘いをうけました。 これを断る所以は全くなく、二つ返事で行く事になりました。 いつものことですが、友の計画は大変に緻密であり、経済的、効率的なのでありがたい上に、今回も車の運転までやってくれるので、こんないいことは他にはありません。

 2014.04.08(火)、天気も朝からきっちり晴れて、風も雲一つもなし!。 絶好の”さくら日和”、朝7時30分我が家に迎えに来てくれた車に乗せてもらい、国道306、421を通り彦根へと向かったのでありました。

 

 彦根には9時過ぎに到着し、まずは「彦根城・大手門」から・・・ 

 

 桜は”どんぴしゃり”状態の時期にきました。 さすがは彦根城、堀の水もたっぷりあり美しい内堀から息つく暇を惜しんでの撮影となりました。

 

丁度、屋形船が通り、絵に花を添えてくれました。(参考までに、乗船料金はさくら祭り期間中は¥1500(通常¥1200)とかなり高い、内堀内を運航)

 彦根観光協会によれば・・・

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

 

 

 

 

 下の橋は急な黒門山道を経て、天守閣に直行する「黒門橋」。 

そして「黒門」。

 

ここはいわば”裏門”、藩主が客をもてなす「鳳翔台(茶室)」に天守閣から直行できるようになっています。

 

このあと天守閣に向かうが、それは後述としたい。