マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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加茂町銭司のオニ倒し

2024年08月04日 07時43分38秒 | もっと遠くへ(京都編)
この日の午前中、ほぼ一時間余りで立てた京都府木津川市・加茂町銭司のオニの竿立て

午後4時ころまで、空に向かってオニが睨んでいる。

その間に、どなたが来られるのか、そういう話は特になかった。

午後4時までの空白時間帯に、地域の民俗文化を見て回る。

一つは、同町の加茂町井平尾。

銭司からはそれほど遠くない井平尾の勧請縄を拝見していた。

その次に見ておきたい目的地は、同木津川市・吐師大宮神社である。

前年になるが、令和5年12月30日に遭遇した砂撒き

勧請縄を拝見するつもりが、なんと砂撒きもしていたとは・・・

その状況から、是非とも見ていただきたくご案内したが、都合があり、私一人の大宮神社参り

そうこうしているうちにお昼は、どうしようか、と迷っていた。

そのときにかかった携帯電話。

なんと、かーさんから緊急連絡に直ちに帰路に就けであった。



対応済ませて、再び訪れた加茂町銭司。

写真家K氏とともに撮影に入る。

早めに到着していたからこそ拝見できた加茂町銭司のオニ倒し。



二人がかりで倒そうとしていた。



一気に倒す、放り倒すのでなく、抱えてある方向に倒そうとしていた。



そりゃぁ、無理だと、一人が急いで・・・・・・間に合った。

倒す方向に誘導する抱える力。

緩んだ、そのときに、静かに、静かに、まるで音を立てないスローモーション映像のように見えたオニ倒し。



パサっと倒した駐車場敷地内に無事、着地した。

倒したオニ。



すぐさま近づく二人は父、娘の親子さん、と思ったが違った。

竿を浮かして、オニを取り外す。



敷地の端っこに移したオニを見てい女児。

一日限り、大空に浮かんでいたオニに、何やら話しかけているようにも見える。

動いた女児。



オニから離れるのか・・・そう、思ったが違った。

木枠から外しはじめた女児。

ビリビリ破るオニ。



これは、私がするんよ、といったかどうかわからないが、どことなく誇らしげな女児に熱い視線を感じた。

4日に描いたオニをビリビリ破る。

まさか、これこそオニ退治?

裏の青オニをビリビリに破いて木枠が残る。



合わせて表面の赤オニもビリビリ破り。

破りこぼしがないよう、すべてを木枠から外す。



その行為を見ていて思い出す。

かつての我が家であるが、年末の晦日に必ずしていたおふくろ。

たしか、大ばぁさんとともにしていた障子紙の貼り換え。

子どものころにしていた障子紙の貼り換えに、破って、破って・・・

障子のサンだけにしていた手伝い。

きれいに破って、きれいに剥がすのが気持ち良くてね・・・

まだ一桁台の子どもだったときのシーンを思い出した。



一方、とんどの櫓を組んでいた。

この組台は、風を通す櫓。

火の通りがいいから、上空へ、上空へと、火が煽る構造である。

その櫓に詰める材がいっぱいある。

今朝、早くに運んできた春日神社の門松やしめ縄などである。

青竹に松、梅の木の門松は、正月の神さんが帰ったら、役目を終える。

役目を終えた、しめ縄などの材は、とんどに燃やし、最終的には天に戻られる、ということだ。

オニの竿立て支柱に用いた才木(※割り木)も運んでいた。



サエキとも呼んでいた才木の仕組みは、シバシ用途である。

かつては、子どもたちが山行き。

木を伐り神社に持ち帰り、暖をとるシバシである。

ここ、春日神社に才木がある、と知った日は平成28年の12月30日。

シバシと呼ばれる薪の伐り出し。

一年に使う木材を溜めておく「シバシ(芝仕)

奈良・橿原に住んでいる元総代のMさんや大淀町・大岩区長のKさんらの体験話によれば、「芝をシに行く」だった。

つまりは、山の木材の伐りだしに小枝などのシバを集めてくる村仕事。

だから、シバシである。



ところで、櫓の内部に詰めたのはオニの足、破いたオニの面。

オニを立てた竿もまた、とんどに組み込む。

とんど櫓は、さらに材で固めていく。



と、同時に見た女児は、さらに木枠を綺麗にしていた。

オニの木枠は、翌年のオニになる。



大事にせなあかん、と考えて散り一つないようにしていた女児に拍手。

午後4時前に始まったオニ倒し、そしてとんどの櫓組みもそろそろ原型ができあがる。

このころの時間は、午後4時15分。

作業に慣れているからこそ、手順が早い。



そして、女児に声をかけた父親。

丁寧に、そして綺麗になっていく翌年用のオニの木枠。

清々しさを目撃していた私も、どこか親の目だったことに気づいた。

午後4時20分。



冬時間に、陽が沈む時間も早い。

夕陽のあたる時間帯にようやく終えた10日に行われるとんど櫓は、崩れないように周りをロープで締めておく。



小正月行事のオニ立て、オニ倒しは、かつて正月の13日に立て、14日に倒し、とんどの櫓組み。

15日が小正月のとんど焼きだった。

三日間の小正月行事を、二日間に短縮。

そして、祝日の成人の日は、小正月の1月15日だったが、政府意向のハッピーマンデー法によって、成人の日の祝日は、正月の2番目の月曜日に移行された。

つまりは三連休の確保。

観光業や運輸業などの活性化。

その目的に、祝日と週休2日制をつなげ、3連休以上の期間を増やし、国民の祝日の一部を従来の日付から特定の月曜日に移動させて連休の日数を増やしたワケだが、小正月の意味が飛んだように思える。

今年は、8日が土曜日で、10日が成人の日の祝日だから、その日程にそって、みなが集まりやすい日に決められたのである。

ちなみに、公民館に立てていた青竹である。



午前中に拝見していたオニの竿立ての時間帯に持ち込まれたもよう。

その時間帯は、無印だったが、再び訪れた午後4時の時間帯に見たその青竹に何やら文字が見える。

近づいてわかった、ソレは子どもたちの名前であった。

同性が4組か。



それぞれが兄弟姉妹のように思える8人の名前。

オニを破っていた女児の名もあるようだ。

別途、用意した青竹は、ミフシハン(三節半)に切断したカタチ。

このミフシハン(三節半)の青竹は、10日に行われるとんど焼きに出番があるそうだ。

(R4. 1. 8 SB805SH/EOS7D 撮影)


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