マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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加茂町銭司のオニの竿立て

2024年07月30日 07時58分07秒 | もっと遠くへ(京都編)
数年前に聞いていた“オニ”の存在。

滋賀県の民俗を主に取材してきた写真家のKさんが、話していた“オニ”の存在である。

聞き取りされた銭司の人たちがいうには、竿に“オニ”がある。

その“オニ”を立てる。

そして翌日に“オニ”は竿ごと倒す。

実は、直近になってわかったことは、当日に立て、当日に倒すようだ。

銭司の子どもたちが描いた“オニ”。

描いて、立てて、倒すという“オニ”とは、一体なんであるのか。

興味を惹かれる銭司の民俗行事にようやく出会える。

“オニ”を描く日は、正月明けの休みの日。

描く子どもたちは小学生。

3学期がはじまる前の日曜日に、公民館に集まる。

この年の令和4年は1月4日の火曜日になった。

年末年始の冬休み期間中であれば、子どもたちも集まりやすい。

そういうことで決まった日である。

午前10時に参集する子たちは小学6年生以下、幼稚園児や保育園児も参加できる。

なんでも、令和4年は8人であるが、うち6年生は2人。

だから、翌年に参加できる子たちは6人で描くことになる。

“オニ”の絵描きに“オニ”の足つくり。

どうやら足は、タコのような足であるが、タンザクを繋げたような仕掛けらしい。

これらが揃ってから、“オニ”を木に貼り付けるらしい。

これらの話を聞いていても、見ていないだけに実感はわかない。

4日は、私の都合があり取材はいけないが、8日の土曜日が本番らしく、その日はなにがあっても訪れたい。

そしてやってきた午前9時。

この日も同行の写真家K氏。

年末に行われた京都府加茂町銭司(ぜず)宮小谷に鎮座する春日神社の砂撒き。

この年は、遷宮仮宮期の砂撒きの位置は、例年と変わりなくであるが、門松を立てる位置は、春日神社向かい側にある建物の前に設営された。

正月三日は、勧請縄かけ。

そして、本日は宮座行事にあたるオニの竿立て。

4日に子供たちが描いた赤オニ、裏面が青オニのようだ。

かつては、春日神社の東・西両座の年長男児家、でつくっていた。

それぞれの西座、東座の年長家に集まり、描いていたが、現在は銭司の公民館。

昭和60年ころには、既に両座ともが、公民館集まりだったそうだ。

また、“オニ”立ては、両座の2本であった。

平成29年まではそうしていたが、少子化などから考慮され、1本立ちに移した。

なお、ブログ「歴史探訪京都から~旧木津川の地名を歩く会~」によって詳細な「銭司の鬼立て」記事を公開していた。

その記事によれば、小正月行事のようだ。

さらには、子どもたちの減少により、一度は中断。

ところが、その年に村で火事が起こった。

そのことがあり、長老の判断で復活し、続けてきた“オニ”立て行事。

はじめて拝見した赤オニ。

怖いオニでなく、柔らかい笑顔の様相の赤オニの角は1本。



史料によれば、赤オニの角は2本。

青オニの角は1本、とあったが、この年は逆だった。

オニを描いた模造紙。

そのオニは、何年も使いまわしてきた木造枠。

表に赤オニ、裏面に青オニを描く際は、かつて使用していた木枠のオニを見本(※たぶんに平成29年のオニであろう)に描くのだが、その年、その年の年長者が描くので、その子の気持ちが表れているのだろう。

その見本のオニは、消防団倉庫にあった。



許可を得て撮った旧い様態のオニは、次の年も、その次の年も見本にしていくだろう。

つまり、後でわかるが、一年、一年に新しく描いたオニは、破り捨ててトンドで燃やすのだ。



木枠は例年使用。

オニの絵は、毎年が替わるわけである。

朝9時に集まった人たち。

4日に用意していたオニとか葉付きの竹も確認したら、そろそろ上げようか、と動き出した。

予め、公民館の駐車場に掘っていた竿竹を支える穴。

深く掘った穴に竹を突っ込む。

4人がかりで立てていくオニの竿立て。



竹の葉がある先に、両座の赤・青オニを取りつけた。

木枠のオニだけに、重量は相当な重さだ。

外れないようしっかり括っているオニ。

ロープは3本。

しっかり引っ張って立ち上げる。

3方に長いロープ。



固定する箇所は決まっているのだろう。

その間に、穴にはめた竹をしっかり固定させる。

太めの椎の才木(※一般的には割り木)を打ち込み。



何本も打ち付けて支柱が傾かない、いや倒れないようにガッシリ詰める。

ロープも解けないようにしっかり結ぶ。

時間にしておよそ20分の作業に、無事立ち上げたオニの竿立て。



現在は1本になったが、西座・東座それぞれが上げた2本時代の写真を拝見した。

カタチは今とまったく同じ。



ヒラヒラ、風に泳ぐ足の長さ、本数も同じ。

今日のように、木津川から吹く風があれば、なんとも気持ちいい景観。

見てわかるオニのカタチはまさに神社様式の千木(ちぎ)

銭司の神が大空に届くかのように立てた。

葉付きの竹はおそらくヒモロギであろう。



神が降り立つ場所。

つまりは神座。

とんどもその謂れがある


銭司の西座・東座それぞれの神。

だからこそ、銭司の宮座行事である。

このような形式を拝見するのは初めてだ。

神聖なオニの竿立てであるが、なぜにオニなのか。

さっぱりわからぬ銭司のオニの竿立て行事。

一旦は、ここで解散する。

この日の午後4時前に、再び集まってくる。

6時間ほど立っていたオニは、倒されるのである。

一日、数時間限りのお披露目を終えたオニは役目も終えるようだ。

撮影・取材していた私たちも解散。

午後までの時間を有効に使いたく、すぐ近くに立ち寄りたい同町の加茂町井平尾にこれより向かう。

ちなみに、消防団倉庫に木津川市消防団の消防車を停めていた。



出番はないと、思われるが市内でトンド焼き行事をする地区がある。

そこへの出動に待機しているようだ。

もちろん、ここ銭司のトンド焼きは10日である。

ここオニの竿立てをした駐車場で実施されるトンド焼き。

朝は早く、午前7時と聞いている。

(R4. 1. 8 SB805SH/EOS7D 撮影)


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