数年前に聞いていた“オニ”の存在。
滋賀県の民俗を主に取材してきた写真家のKさんが、話していた“オニ”の存在である。
聞き取りされた銭司の人たちがいうには、竿に“オニ”がある。
その“オニ”を立てる。
そして翌日に“オニ”は竿ごと倒す。
実は、直近になってわかったことは、当日に立て、当日に倒すようだ。
銭司の子どもたちが描いた“オニ”。
描いて、立てて、倒すという“オニ”とは、一体なんであるのか。
興味を惹かれる銭司の民俗行事にようやく出会える。
“オニ”を描く日は、正月明けの休みの日。
描く子どもたちは小学生。
3学期がはじまる前の日曜日に、公民館に集まる。
この年の令和4年は1月4日の火曜日になった。
年末年始の冬休み期間中であれば、子どもたちも集まりやすい。
そういうことで決まった日である。
午前10時に参集する子たちは小学6年生以下、幼稚園児や保育園児も参加できる。
なんでも、令和4年は8人であるが、うち6年生は2人。
だから、翌年に参加できる子たちは6人で描くことになる。
“オニ”の絵描きに“オニ”の足つくり。
どうやら足は、タコのような足であるが、タンザクを繋げたような仕掛けらしい。
これらが揃ってから、“オニ”を木に貼り付けるらしい。
これらの話を聞いていても、見ていないだけに実感はわかない。
4日は、私の都合があり取材はいけないが、8日の土曜日が本番らしく、その日はなにがあっても訪れたい。
そしてやってきた午前9時。
この日も同行の写真家K氏。
年末に行われた京都府加茂町銭司(ぜず)宮小谷に鎮座する春日神社の砂撒き。
この年は、遷宮仮宮期の砂撒きの位置は、例年と変わりなくであるが、門松を立てる位置は、春日神社向かい側にある建物の前に設営された。
正月三日は、勧請縄かけ。
そして、本日は宮座行事にあたるオニの竿立て。
4日に子供たちが描いた赤オニ、裏面が青オニのようだ。
かつては、春日神社の東・西両座の年長男児家、でつくっていた。
それぞれの西座、東座の年長家に集まり、描いていたが、現在は銭司の公民館。
昭和60年ころには、既に両座ともが、公民館集まりだったそうだ。
また、“オニ”立ては、両座の2本であった。
平成29年まではそうしていたが、少子化などから考慮され、1本立ちに移した。
なお、ブログ「歴史探訪京都から~旧木津川の地名を歩く会~」によって詳細な「銭司の鬼立て」記事を公開していた。
その記事によれば、小正月行事のようだ。
さらには、子どもたちの減少により、一度は中断。
ところが、その年に村で火事が起こった。
そのことがあり、長老の判断で復活し、続けてきた“オニ”立て行事。
はじめて拝見した赤オニ。
怖いオニでなく、柔らかい笑顔の様相の赤オニの角は1本。
史料によれば、赤オニの角は2本。
青オニの角は1本、とあったが、この年は逆だった。
オニを描いた模造紙。
そのオニは、何年も使いまわしてきた木造枠。
表に赤オニ、裏面に青オニを描く際は、かつて使用していた木枠のオニを見本(※たぶんに平成29年のオニであろう)に描くのだが、その年、その年の年長者が描くので、その子の気持ちが表れているのだろう。
その見本のオニは、消防団倉庫にあった。
許可を得て撮った旧い様態のオニは、次の年も、その次の年も見本にしていくだろう。
つまり、後でわかるが、一年、一年に新しく描いたオニは、破り捨ててトンドで燃やすのだ。
木枠は例年使用。
オニの絵は、毎年が替わるわけである。
朝9時に集まった人たち。
4日に用意していたオニとか葉付きの竹も確認したら、そろそろ上げようか、と動き出した。
予め、公民館の駐車場に掘っていた竿竹を支える穴。
深く掘った穴に竹を突っ込む。
4人がかりで立てていくオニの竿立て。
竹の葉がある先に、両座の赤・青オニを取りつけた。
木枠のオニだけに、重量は相当な重さだ。
外れないようしっかり括っているオニ。
ロープは3本。
しっかり引っ張って立ち上げる。
3方に長いロープ。
固定する箇所は決まっているのだろう。
その間に、穴にはめた竹をしっかり固定させる。
太めの椎の才木(※一般的には割り木)を打ち込み。
何本も打ち付けて支柱が傾かない、いや倒れないようにガッシリ詰める。
ロープも解けないようにしっかり結ぶ。
時間にしておよそ20分の作業に、無事立ち上げたオニの竿立て。
現在は1本になったが、西座・東座それぞれが上げた2本時代の写真を拝見した。
カタチは今とまったく同じ。
ヒラヒラ、風に泳ぐ足の長さ、本数も同じ。
今日のように、木津川から吹く風があれば、なんとも気持ちいい景観。
見てわかるオニのカタチはまさに神社様式の千木(ちぎ)。
銭司の神が大空に届くかのように立てた。
葉付きの竹はおそらくヒモロギであろう。
神が降り立つ場所。
つまりは神座。
とんどもその謂れがある。
銭司の西座・東座それぞれの神。
だからこそ、銭司の宮座行事である。
このような形式を拝見するのは初めてだ。
神聖なオニの竿立てであるが、なぜにオニなのか。
さっぱりわからぬ銭司のオニの竿立て行事。
一旦は、ここで解散する。
この日の午後4時前に、再び集まってくる。
6時間ほど立っていたオニは、倒されるのである。
一日、数時間限りのお披露目を終えたオニは役目も終えるようだ。
撮影・取材していた私たちも解散。
午後までの時間を有効に使いたく、すぐ近くに立ち寄りたい同町の加茂町井平尾にこれより向かう。
ちなみに、消防団倉庫に木津川市消防団の消防車を停めていた。
出番はないと、思われるが市内でトンド焼き行事をする地区がある。
そこへの出動に待機しているようだ。
もちろん、ここ銭司のトンド焼きは10日である。
ここオニの竿立てをした駐車場で実施されるトンド焼き。
朝は早く、午前7時と聞いている。
(R4. 1. 8 SB805SH/EOS7D 撮影)
滋賀県の民俗を主に取材してきた写真家のKさんが、話していた“オニ”の存在である。
聞き取りされた銭司の人たちがいうには、竿に“オニ”がある。
その“オニ”を立てる。
そして翌日に“オニ”は竿ごと倒す。
実は、直近になってわかったことは、当日に立て、当日に倒すようだ。
銭司の子どもたちが描いた“オニ”。
描いて、立てて、倒すという“オニ”とは、一体なんであるのか。
興味を惹かれる銭司の民俗行事にようやく出会える。
“オニ”を描く日は、正月明けの休みの日。
描く子どもたちは小学生。
3学期がはじまる前の日曜日に、公民館に集まる。
この年の令和4年は1月4日の火曜日になった。
年末年始の冬休み期間中であれば、子どもたちも集まりやすい。
そういうことで決まった日である。
午前10時に参集する子たちは小学6年生以下、幼稚園児や保育園児も参加できる。
なんでも、令和4年は8人であるが、うち6年生は2人。
だから、翌年に参加できる子たちは6人で描くことになる。
“オニ”の絵描きに“オニ”の足つくり。
どうやら足は、タコのような足であるが、タンザクを繋げたような仕掛けらしい。
これらが揃ってから、“オニ”を木に貼り付けるらしい。
これらの話を聞いていても、見ていないだけに実感はわかない。
4日は、私の都合があり取材はいけないが、8日の土曜日が本番らしく、その日はなにがあっても訪れたい。
そしてやってきた午前9時。
この日も同行の写真家K氏。
年末に行われた京都府加茂町銭司(ぜず)宮小谷に鎮座する春日神社の砂撒き。
この年は、遷宮仮宮期の砂撒きの位置は、例年と変わりなくであるが、門松を立てる位置は、春日神社向かい側にある建物の前に設営された。
正月三日は、勧請縄かけ。
そして、本日は宮座行事にあたるオニの竿立て。
4日に子供たちが描いた赤オニ、裏面が青オニのようだ。
かつては、春日神社の東・西両座の年長男児家、でつくっていた。
それぞれの西座、東座の年長家に集まり、描いていたが、現在は銭司の公民館。
昭和60年ころには、既に両座ともが、公民館集まりだったそうだ。
また、“オニ”立ては、両座の2本であった。
平成29年まではそうしていたが、少子化などから考慮され、1本立ちに移した。
なお、ブログ「歴史探訪京都から~旧木津川の地名を歩く会~」によって詳細な「銭司の鬼立て」記事を公開していた。
その記事によれば、小正月行事のようだ。
さらには、子どもたちの減少により、一度は中断。
ところが、その年に村で火事が起こった。
そのことがあり、長老の判断で復活し、続けてきた“オニ”立て行事。
はじめて拝見した赤オニ。
怖いオニでなく、柔らかい笑顔の様相の赤オニの角は1本。
史料によれば、赤オニの角は2本。
青オニの角は1本、とあったが、この年は逆だった。
オニを描いた模造紙。
そのオニは、何年も使いまわしてきた木造枠。
表に赤オニ、裏面に青オニを描く際は、かつて使用していた木枠のオニを見本(※たぶんに平成29年のオニであろう)に描くのだが、その年、その年の年長者が描くので、その子の気持ちが表れているのだろう。
その見本のオニは、消防団倉庫にあった。
許可を得て撮った旧い様態のオニは、次の年も、その次の年も見本にしていくだろう。
つまり、後でわかるが、一年、一年に新しく描いたオニは、破り捨ててトンドで燃やすのだ。
木枠は例年使用。
オニの絵は、毎年が替わるわけである。
朝9時に集まった人たち。
4日に用意していたオニとか葉付きの竹も確認したら、そろそろ上げようか、と動き出した。
予め、公民館の駐車場に掘っていた竿竹を支える穴。
深く掘った穴に竹を突っ込む。
4人がかりで立てていくオニの竿立て。
竹の葉がある先に、両座の赤・青オニを取りつけた。
木枠のオニだけに、重量は相当な重さだ。
外れないようしっかり括っているオニ。
ロープは3本。
しっかり引っ張って立ち上げる。
3方に長いロープ。
固定する箇所は決まっているのだろう。
その間に、穴にはめた竹をしっかり固定させる。
太めの椎の才木(※一般的には割り木)を打ち込み。
何本も打ち付けて支柱が傾かない、いや倒れないようにガッシリ詰める。
ロープも解けないようにしっかり結ぶ。
時間にしておよそ20分の作業に、無事立ち上げたオニの竿立て。
現在は1本になったが、西座・東座それぞれが上げた2本時代の写真を拝見した。
カタチは今とまったく同じ。
ヒラヒラ、風に泳ぐ足の長さ、本数も同じ。
今日のように、木津川から吹く風があれば、なんとも気持ちいい景観。
見てわかるオニのカタチはまさに神社様式の千木(ちぎ)。
銭司の神が大空に届くかのように立てた。
葉付きの竹はおそらくヒモロギであろう。
神が降り立つ場所。
つまりは神座。
とんどもその謂れがある。
銭司の西座・東座それぞれの神。
だからこそ、銭司の宮座行事である。
このような形式を拝見するのは初めてだ。
神聖なオニの竿立てであるが、なぜにオニなのか。
さっぱりわからぬ銭司のオニの竿立て行事。
一旦は、ここで解散する。
この日の午後4時前に、再び集まってくる。
6時間ほど立っていたオニは、倒されるのである。
一日、数時間限りのお披露目を終えたオニは役目も終えるようだ。
撮影・取材していた私たちも解散。
午後までの時間を有効に使いたく、すぐ近くに立ち寄りたい同町の加茂町井平尾にこれより向かう。
ちなみに、消防団倉庫に木津川市消防団の消防車を停めていた。
出番はないと、思われるが市内でトンド焼き行事をする地区がある。
そこへの出動に待機しているようだ。
もちろん、ここ銭司のトンド焼きは10日である。
ここオニの竿立てをした駐車場で実施されるトンド焼き。
朝は早く、午前7時と聞いている。
(R4. 1. 8 SB805SH/EOS7D 撮影)