マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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旧都祁村白石町・天日干し3日目の刺しさば

2020年12月15日 09時34分32秒 | 民俗あれこれ(干す編)
第二弾に作る刺しさばも樽で塩漬けしておいた。

塩分たっぷり仕込んだ塩漬け。

何層にも積み上げる刺しさばの仕込み作業を経てから干す工程に移る。

漬ける日数はどれくらいなのか聞きそびれたが、店主に電話をした写真家のKさんが、つい3日前に干し始めたと伝えてくれた。

14日に収録した刺しさばは、5日間の毎日に繰り返す天日干し。

真っ黒とまではいかないが、ほぼほぼのこげ茶色に変色していた。

干してからどれくらいの経過があってこげ茶になっていくのか。

毎日に寄せてもらって記録すればいいのだが、そういうわけにはいかない日々の事情がある。

天日干しはだいたいが朝の9時ころに干して日が陰る前よりずっと前の午後4時くらいに引き上げると話していた。

ならば、その時間に間に合うように、と思って車を走らせる。

午後3時過ぎ、天理東口から入った名阪国道である。

東の方角の雲が黒色になっている。

西から東へ流れる風向き。

黒雲は大和高原に入り込んでいたが、ごく一部だけ。

青空に白い雲が広がっている。

しかし、だ。

暗雲ともなれば雨が降る。

そうとなれば大急ぎで干している刺しさばを回収しなければならない。

カンピョウ干しでもそうだが、暗雲ともなれば大急ぎで下ろさなければならない。
これは急がねば、と車を走らせて、駐車場に着いた時間は午後3時44分。



店主のTさん、雨が降ってくるな、と判断されて、干していた刺しさばを回収していた。

一枚、一枚を丁寧に扱ってとろ箱に詰めていた。

ドンピシャのジャストタイミングである。

大方の作業は済んでいたが、ラストの枚数を入れている最中だった。

結局、雨は降らなかったが、だいたいが4、5日間も干す。

回収した刺しサバは明日も干すという。

一旦、引き上げてお店の倉庫に収納した。

気温に天候具合。

雲の動きなどの日照りの状態を判断して干す日数、時間を決めているからいつも同じ日数にならない。

この日も一旦回収した刺しサバは、明日になるか、それも明後日か・・。

サバの日焼け具合も判断材料。

こうしてこげ茶に変色するのは脂がのっている証拠だそうだ。

ちなみに干したサバは焼津産の鯖。

仕入れ先は奈良県中央卸売市場。

大和郡山市の馬司町にある大きな市場である。

そこのある商店にお願いして用意してもらった焼津産の鯖。

仕入れた鯖を売り物の刺しさばに加工する。

手間のかかる作業を経て店前に看板を掲げて売り出す。

店先に掲げた看板は手書き。



「江戸時代から続く都祁の刺さば」とある。

三日前からの売り出し中の看板を見た人たち。車で通行する人も思わず車を停めてまで買っていく。

刺しさばの味を知っている人、すべてが買うわけではないが・・・。

この年の3月に山と渓谷社が発刊した『サバが好き!』に掲載してくださった私のコラム。

タイトルは「刺鯖は塩辛い」である。

主に大和郡山、天理市内を送迎していた通院患者さんから聞き取った刺しさば体験。

記憶を語ってくれたのは、聞取り当時が80歳以上の高齢婦人。

16人の人たちは、一様に口にした「サッサバ」。

「サシサバ」の名で呼ぶ人もいたが、すべての人たちがしょっぱかった、と味の思い出を話す。

その体験談を聞いていた私は、巡り合えた取材地の山添村で売っていたサシサバを買った。

聞取りした一人のおばあさんが食べたいと云っていたので購入して持っていったら、そんなん食べたくないと・・。

記憶は記憶のままでありたかったのかもしれない。

手元に残ったサシサバは我が家に持ち帰って食べた。

そのときの食感が、むっちゃくちゃ塩辛かったことから、タイトルを“塩辛い”とした。

執筆したコラムにオチがある。

是非とも、購入して味わっていただきたい『サバが好き!』。

頁をめくる度に美味そうなサバ料理が・・。

見ているだけで涎が出そうになる。



ところで今回仕入に発注した枚数は120尾。

すべてが焼津産であるが、実は20枚ほどはノルウエー産のサバも注文したそうだ。

追加に頼んだノルウエー産の鯖も刺しさばに加工する。

脂がのってるのはノルウエー産。

だから焼津産よりもさらに濃くなる天日焼け。



この方が美味いという店主であった。

(H30. 7.20 EOS7D撮影)


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