マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和高田市奥田・N家の独り作業の稲架けにイノコのデンゴロモチ詞章を知る

2024年01月17日 08時53分25秒 | 民俗あれこれ(干す編)
御所・池之内のハデカケを撮影してきた

ときには、時間的に余裕ができたこの日。

休憩を兼ねて入店した道の駅御所の郷

とっておきの買い物を済ませても、夕刻までの時間は、まだまだ余裕がある。

こういうときこそ、ぶらぶら探してみたい暮らしの民俗。

御所市内を外れたこの地は初めてだ。

奈良県の平坦部から東の山々を眺め、御所の葛城山とも離れてきた。

東の山、西の山の稜線さえわかれば、だいたいの位置はわかるが・・

カーナビゲーションが示す、ここは大和高田市の西の端。

葛城市からみれば、東の端。

走行していた国道24号線・忍海辺りの信号を東に向けて曲がったのであろう。

どの道を走行してきたのか、途中経過がさっぱり記憶にない。

集落は見えるが、近場ではない。

今は、時期が時期だけに、稲刈り作業中の田園を探していた。

ここ奥田の田園地付近に停車した時間帯は午後2時40分だった。

ハゼカケもあるから稲刈りは、もう済んでいたのだろう。

そのハザカケに一人の男性の動き。

二条刈りの小型バインダーで刈り取った稲を、するするっと藁束にしてくれるバインダー。



ぽん、ぽん、ハザの近場に置いていく。

ここも同じように、掴んだ藁束を分割。

3割、7割分け、或いは4割、6割分けに順次架けていく様子がよくわかる、その動きは交互に。

3割、7割分けなら、次は7割、3割分けの藁束を架ける。

こうしておけば、隙間なく、しかも崩れにくい架け方。

男性がしていた作業をしばらく見ていた。

見ていた場に近づいてこられたので、そのときにお声かけ。



撮影、聞き取りなどの承諾を得て緊急取材。

昭和27年生まれのNさんの実家は、そこ、だという。

稲作、畑作仕事ができなくなった老親。

年老いた親の代わりにNさんが作業する稲田の耕作地。

所有する土地は、そんなに広くはないが、田んぼはそのままにしたくない。

自動走行する稲刈りに、自動藁束止めのこの農機は、重労働を支援してくれる。

なんせ、お一人でされている一連の農作業だけに助かる二条刈りの小型バインダー農機。

「カコ」の呼び名をもつ構造物。

木材を組んで、縦一列の稲架け。

朝7時からはじめた農作業。

午後3時のこの時間帯。

中央を残して周囲すべてに稲架けを済ませたい。

刈り取った稲束は天日干し。

甘くて、ふっくらなご飯が炊ける天日干し

「カコ」は、2段に稲架け。

田んぼに広げた農機が刈り取った束を集めて、「カコ」に架ける。

その繰り返しに、2段目も被せるように架ける。

残りは後日。

設備の準備や、片付けもいれた通しの4日間。

すべてが一人作業なだけに4日間もかかる。

ちなみに稲架けする構造物を「カコ」と、呼ぶ地域は多い。

平成29年の1月15日の民俗取材

小正月に小豆粥を枇杷の葉にのせて巡拝していた明日香村・上(かむら)のFさんが話していた「カコ」。

3本脚を組み、水平に据えた稲架け道具を、そう呼んでいた。

また、本日の午前中に取材していた御所市・池之内のU家も同じく、呼称は「カコ」。

大淀町・大岩に住む知人のKさんに、高取町丹生谷のNさんも、そろって「カコ」と呼んでいた、と伝えてくれた。

広範囲に亘る「カコ」の名称。

奈良県北部や東山間地の地域では聞いたことがない。

十津川村や五條市・旧大塔村だった永谷などでは「ハダ」・「ハデ」、「ハゼ」。

地域によって呼称はそれぞれ。

なぜにそのようになったのかわからないが、地域的な生活文化面が寄与している、としか思えない。

話題は、大和高田市奥田のNさんの語りに戻そう。

昨年は中国大陸南部の国、ベトナムデルタ域から風にのって飛来したウンカにやられたが、微々たる領域に収穫はほぼ確保できた。

それでもウンカ被害に見舞われた、と申請したら補助金が出た。

収穫したお米は、野球部活動する2人の孫がほとんど食べてしまう。

そういえば、こんなことをしていたな、と回顧してくれた貴重な詞章。

子供のころにしていた、と突然に思い出した詞章は、「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」。

いわゆる、亥の子行事に囃していた「デンゴロモチ」の詞章である。

おじいさんがつくった「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束。

子どもたちはその藁束を手にして、地面を叩いていた時代。

60年も前のようだ。

集落をめぐり、各家から菓子などをもらっていた、と話してくれた。

Nさんが10歳くらいのころ。

集落の子たちとともに行動していた亥の子行事。

一部ではあるが、今でも記憶に遺っているのもすごい。

当時の体験は、おそらく対象年齢を卒業するまでであったろう。

「ここのよめさんいつもろた3月3日に・・・」の詞章。

現在は、実施されていないが、かつて行動していた明日香村・下畑の事例にあてはまる。

「いのこのばんに おもちつかんいえに はしでいえたて かやでやねふき うしのくそでかべぬって ここのよめさんいつもらう 三月三日のあさもらう」であった。

村史によれば、檜前(ひのくま)は「亥の子の晩に 餅つかん家は 箸でいえ建てて 馬のフンで壁塗って ボボの毛で屋根葺いて ここの嫁さんいつもろた 三月三日の朝もろた イワシ三匹 酒五合 しんまい藁で祝うたろう もうひとつおまけに祝うたろか」と、囃す。

近隣の上平田の詞章は、「いのこのばんに もちつくいえは はしのいえたてて うまのけで やねふいて ここのよめさん いつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやる」

越は「いのこのばんに もちのつかんいえは はしのいえをたてて うまのくそで やねふいて しんまいわらでいおてやろ ここのよめさんいつもろた 三月三日のあさもろた いわし三匹 さけ五合 しんまいわらで いおてやろ」

しかも、である。

Nさんが体験した「デンゴロモチ」と呼ぶ藁束の名称が明日香村の上平田、越にもみられるし、高取町の森も同じ。

同町の佐田とか、大淀町の上比曽もほぼ同じ
だが、3月3日であったり、正月の3日とか、5月3日の事例もある。

日付けの違いとか、前後の囃し詞の違いは、地域性な訛りに多少の変化がついた、ということだろう。

亥の子行事は、大和高田市だけでなく明日香村や大淀町。

高取町にもあった、ということだ。

・・・あと少しの作業に、飲み干す一杯が潤す喉の渇き。

すぐ近くに設置している自動販売機にあった飲み物を購入し、のどを潤してから、またひと仕事。

雨が降るとの予報にもう少しの作業。

自宅に戻って、ひと風呂浴びて、一杯飲んだらぐっすり寝てしまう。

疲れは就寝でとれる。

朝になったらスッキリする、この4日間の農作業。

定年退職後も勤めている業務用エアコンの会社。

大阪府警に常駐する維持管理の仕事にも携わっている、と・・・

難しい仕事でもないが、維持管理に目が離せない。

そうはいっても事業所に連絡するだけやから、と笑っていた。

(R3.10.10 EOS7D/SB805SH 撮影)


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