マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

工事中の下ツ道歴史広場

2024年09月08日 07時39分22秒 | 民俗を観る
大淀町・大岩の平日喫茶のきまぐれや写真展を終えて、帰路に就く。

途中に立ち寄る地産地消売りの野菜や果物。

気に入った商品を買って戻ってきた住まいは大和郡山市。

京奈和道路の最北部を走る大和北道路。

まだ、工事中のようだが、何をつくっているのだろうか。



角地にあったモニュメントに「下ツ道歴史広場」とある。

そうか、ここは名阪国道郡山ジャンクション工事中に発掘、発見された「下ツ道」の一部。

「下ツ道八条北遺跡」は、奈良県大和郡山市の最南部。

八条町の一角にあたる。

八条町の北隣は伊豆七条町。

地元民は、親しみを込めて「ひっちょう」、「はっちょう」と呼ぶ地区である。

両村とも、伝統的な民俗行事のいくつかを取材したことがある。

また、すぐ近くに天理市南六条北との境界にあたる。

平成23年12月18日、発掘された「下ツ道八条北遺跡」の現地説明会に参加し、これはすごい、と思った。

解説が、終われば、すべてが地下に戻される。

二度と見ることのない貴重な「下ツ道八条北遺跡」発掘調査

指定文化財の概要もネットに見つかる。

発掘調査後に意見を求められたことがある。

私の思いは、そのまんま、とはいわないが、むかし、むかしの下ツ道が、足元に見えるようにしてほしい、と訴えた。

土を被せて、地中に再び戻すことも大切だが、例えばクリアーで、透明な物質によって全面保護できないか、と思った真っ平のクリアーな地面。



その場に立てば、丸々見える発掘調査痕。

そんなのがある公園にしてほしい、と願ったが・・・

で、完成に近づき、ほぼ全容が見えてきた下ツ道歴史広場



この時点では、明白ではないが、便所棟や東東屋棟もわかる。

ただ、気になるのは、まともに受ける風の向き。



西から吹く風は、とても冷たい。

東屋棟なんて、柱に屋根があるだけ。

壁は一枚もない東屋棟は、まともに受ける風から逃げようとしても無理がある。



円形広場もあるが、スケートボード・花火・BBQ・焚火は禁止。

そりゃそうだろ。

もちろん、自転車・バイク・自動車の乗り入れ禁止。

当たり前だのクラッカー、といいたいところだが、都市部で流行りだしたハンドル付電動キックボードなどのパーソナルモビリテイは、出禁だろう。

これらについて詳しい情報パネルがそろうみたい。

直接、下ツ道歴史広場とは関係はないが、天理の石上神宮と、その領域にあたる布留の郷。

その境界を示す「傍示浚え 榊立神事(※ほうじ浚え さかきたてしんじ)」解説板が設置されていた。

幾度となく、民俗行事を取材していた天理市南六条町北方・三十八神社。

平成20年の10月1日に行われた布留の境界に立てる榊立て神事。

当時、榊を立てた境界は、大和郡山市伊豆七条町・横田町を流るる川

東から流れてくる上流は、大和郡山市・元柳生集落。

水路を辿れば、ここのすぐ角地に榊を立てていた。

立てていたのは、南六条町北方の二人の頭屋。

西に連なる布留の山々を観ていた。

望郷を眺めるような立ち姿に思わず、シャッターを押していた。

あれから云十年経った。



ジャンクション工事によって、南に数百メートル移した、と碑文に書いてあった。

前年の令和3年10月24日に、撮っていた横田の信号。



北寄りの工事は、既に高架橋も工事が進んでいる大和北道路

数年も経てば、橋脚は何本になっているのだろうか。

また、地下トンネルの行方は・・

(R4. 2. 4 SB805SH 撮影)
(R3.10.24 SB805SH 撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。