石川県能登の千枚田をテレビが放映していた。
その映像に刈り取った稲穂をハデに架けている姿が映し出される。
干す竿は10段くらいある。
そこに架けている稲架けの名は紹介されなかった。
名は何というのだろうか。
ネットで調べてみれば「ハザ干し」だった。
能登のハザ干しのような形態は日本各地で見られるようだと伝えていた。
現況は知らないが、長野県の北部・木曾谷(木曽福島町黒川谷)・伊那谷南部。
支える木材は「ハザアシ」と呼ぶ地域もあるが、伊那谷では「ハザクイ」だった。
水平の竿を「ハザ木」と云うのは石川県能登。
「ハザ」は漢字の「稲架」を充てているようだ。
能登の放送から数日後。
またもや多段のハザカケを報じる映像があった。
場所は山形県のとある地。同じように10段くらいの竿が並ぶ。
ここは十津川村の内原(ないはら)。
滝川よりほんの数km走ったところにある集落地。
山間地の道は近いようで遠い。
深い渓流に沿ってアスファルト道が続く。
かつては砂埃が舞う地道だった。
奥へ行くにつれて谷間は深くなる。
その最上流にある集落が内原(ないはら)である。
その手前に奥里(おくさと)の集落がある。
奥の里よりもさらなる上流が内原。
そこより数kmも行けば笹の滝に入る分岐路に着く。
入るといっても車路ではない。
歩きで滝を目指す。
今回の目的地は滝ではなく「ハダ」である。
支流滝川に架かる橋を渡れば急勾配に建つ集落がある。
稲刈りを終えた集落に点在する多段型のハザ架け場。
ずっとこの場に佇んでいたい原風景がここにあった。
2年前の平成26年8月末に訪れたときだ。
山間傾斜地に建つ集落にある構造物の用途はなんであろうか。
それを確かめたくて訪れた内原(ないはら)。
今では使うことのない橋を渡る。
その橋は朽ちていないがなんとなく故郷を思い出す情景を描く。
その橋を入れて対岸にある稲架けを撮る。
近くまでいけば架けた稲穂がよく見える。
2年前に拝見した構造物は稲架けをする道具であった。
水平に何本かの竿がある。
太目の支柱に水平の木材もあれば金属ポールで設えた構造物もある。
また、稲架け構造物はあるが、稲架けがまだのところもある。
想像していた以上に感動する景観に引き寄せられるように足が動く。
民家の奥に畑がある。
そこで腰を屈めていた老婦人に声をかけた。
83歳のおじいさんが数日前に梯子を架けて刈り取った稲を架けていたという。
しばらくすれば旦那さんが戻ってきた。
実はこの場にくるまでに出合っていた。
対岸に軽トラが停まっていた。
何やら作業をしていたが、離れていたので声はかけられなかった。
そこでされていたのは稲刈り。
午前中もしていたが、ついさっきも見にいっていたという。
ご主人がいう干した稲の色である。
青い色は今朝刈り取ったばかりの稲。
青い色という稲の色は実際には緑色。
全国どこへ行っても、或はニュースや報道で伝える色は緑色ではなく、常に「青々としている」表現だ。
それはともかく稲を架けて干す構造物、或はその作業をご主人は「ハデ」と呼んでいた。
稲穂があるのは稲刈りバインダーのおかげ。
「ハデ」は9段か7段が基本。
偶数はないと言い切る。
木製の「ハデ」は大工さんに作ってもらった。
費用がかかるので金属パイプを買ってきて組んだという。
青いのは今朝に刈り取ったが、他は先週やその前に刈り取った稲穂。
なるほど。
稲刈りして架けた時期は干す期間によって色変わりするのである。
「ハデ」に稲を架ける順序は下から、である。
上からであればいちいち垂れた部分を手で避けて架けなければならない。
そんな面倒なことは誰しもしない。
見て当然の順序である。
ところで、だ。
梯子に登った旦那さんに稲束を渡していたという奥さん。
手が届かなくなる高さになればどうしているのか。
高齢者には無理がある手渡し。
どのようにしていたのか、それから5日後に訪れた際に知った。
「ハデ」に架けて天日で干す稲架けは昔からこの地でしている。
ここ内原の集落では当家を含んで2軒である。
かつては奥里もしていたらしい。
ここより下った滝川。
そこでもしていると話すが、それは拝見していた。
奥里はかつて7戸。
今は5戸になったという。
ここ内原集落は11戸。
昔は30戸もあったというから相当数の人たちが住んでいた村。
他家がしているという「ハデ」の景観も撮っておこうと思って急な坂道を歩いてみる。
以前は3軒でしていた「ハデ」架けも今は2軒。
ご主人が作付け、栽培してきた稲の品種は粳米のアキタコマチ。
糯米の方はヒデコだそうだ。
これらは早稲の品種。
十津川村はどこでも早稲になるらしい。
こうして干した藁はどうされるのか。
ほとんどは貰われていく。
なんでも十津川村の玉置から貰いにくるという藁は玉置神社の注連縄用途である。
この稲はカオリマイ(香米)。
藁が長いので用途に向いていると話す。
そう話すご主人は内原の氏神さんに注連縄を結って架けるという。
氏神さんはどこにあるのか。
この山奥に神社があるとはまったく気づかなかった。
氏神さんは矢高(やたか)神社。
あのトイレがある地より下った処に鎮座するという。
ついさっきまで飲食していた場より下った処にまさかの神社である。
この日はそこへ行くことはなかったが、ご主人曰く、民宿津川のご主人も縄結いにきていた神社である。
また、1月7日は山の神。
奥山にある山の神でゴクマキをしているという。
ところで干していた「ハデ」の稲穂は何時頃に下ろすのか。
たいがいは9月の彼岸過ぎ。
下ろすには天候による判断がいる。
天気の良い日が連続するころを見計らって下ろすと話していた。
(H28. 9.10 EOS40D撮影)
その映像に刈り取った稲穂をハデに架けている姿が映し出される。
干す竿は10段くらいある。
そこに架けている稲架けの名は紹介されなかった。
名は何というのだろうか。
ネットで調べてみれば「ハザ干し」だった。
能登のハザ干しのような形態は日本各地で見られるようだと伝えていた。
現況は知らないが、長野県の北部・木曾谷(木曽福島町黒川谷)・伊那谷南部。
支える木材は「ハザアシ」と呼ぶ地域もあるが、伊那谷では「ハザクイ」だった。
水平の竿を「ハザ木」と云うのは石川県能登。
「ハザ」は漢字の「稲架」を充てているようだ。
能登の放送から数日後。
またもや多段のハザカケを報じる映像があった。
場所は山形県のとある地。同じように10段くらいの竿が並ぶ。
ここは十津川村の内原(ないはら)。
滝川よりほんの数km走ったところにある集落地。
山間地の道は近いようで遠い。
深い渓流に沿ってアスファルト道が続く。
かつては砂埃が舞う地道だった。
奥へ行くにつれて谷間は深くなる。
その最上流にある集落が内原(ないはら)である。
その手前に奥里(おくさと)の集落がある。
奥の里よりもさらなる上流が内原。
そこより数kmも行けば笹の滝に入る分岐路に着く。
入るといっても車路ではない。
歩きで滝を目指す。
今回の目的地は滝ではなく「ハダ」である。
支流滝川に架かる橋を渡れば急勾配に建つ集落がある。
稲刈りを終えた集落に点在する多段型のハザ架け場。
ずっとこの場に佇んでいたい原風景がここにあった。
2年前の平成26年8月末に訪れたときだ。
山間傾斜地に建つ集落にある構造物の用途はなんであろうか。
それを確かめたくて訪れた内原(ないはら)。
今では使うことのない橋を渡る。
その橋は朽ちていないがなんとなく故郷を思い出す情景を描く。
その橋を入れて対岸にある稲架けを撮る。
近くまでいけば架けた稲穂がよく見える。
2年前に拝見した構造物は稲架けをする道具であった。
水平に何本かの竿がある。
太目の支柱に水平の木材もあれば金属ポールで設えた構造物もある。
また、稲架け構造物はあるが、稲架けがまだのところもある。
想像していた以上に感動する景観に引き寄せられるように足が動く。
民家の奥に畑がある。
そこで腰を屈めていた老婦人に声をかけた。
83歳のおじいさんが数日前に梯子を架けて刈り取った稲を架けていたという。
しばらくすれば旦那さんが戻ってきた。
実はこの場にくるまでに出合っていた。
対岸に軽トラが停まっていた。
何やら作業をしていたが、離れていたので声はかけられなかった。
そこでされていたのは稲刈り。
午前中もしていたが、ついさっきも見にいっていたという。
ご主人がいう干した稲の色である。
青い色は今朝刈り取ったばかりの稲。
青い色という稲の色は実際には緑色。
全国どこへ行っても、或はニュースや報道で伝える色は緑色ではなく、常に「青々としている」表現だ。
それはともかく稲を架けて干す構造物、或はその作業をご主人は「ハデ」と呼んでいた。
稲穂があるのは稲刈りバインダーのおかげ。
「ハデ」は9段か7段が基本。
偶数はないと言い切る。
木製の「ハデ」は大工さんに作ってもらった。
費用がかかるので金属パイプを買ってきて組んだという。
青いのは今朝に刈り取ったが、他は先週やその前に刈り取った稲穂。
なるほど。
稲刈りして架けた時期は干す期間によって色変わりするのである。
「ハデ」に稲を架ける順序は下から、である。
上からであればいちいち垂れた部分を手で避けて架けなければならない。
そんな面倒なことは誰しもしない。
見て当然の順序である。
ところで、だ。
梯子に登った旦那さんに稲束を渡していたという奥さん。
手が届かなくなる高さになればどうしているのか。
高齢者には無理がある手渡し。
どのようにしていたのか、それから5日後に訪れた際に知った。
「ハデ」に架けて天日で干す稲架けは昔からこの地でしている。
ここ内原の集落では当家を含んで2軒である。
かつては奥里もしていたらしい。
ここより下った滝川。
そこでもしていると話すが、それは拝見していた。
奥里はかつて7戸。
今は5戸になったという。
ここ内原集落は11戸。
昔は30戸もあったというから相当数の人たちが住んでいた村。
他家がしているという「ハデ」の景観も撮っておこうと思って急な坂道を歩いてみる。
以前は3軒でしていた「ハデ」架けも今は2軒。
ご主人が作付け、栽培してきた稲の品種は粳米のアキタコマチ。
糯米の方はヒデコだそうだ。
これらは早稲の品種。
十津川村はどこでも早稲になるらしい。
こうして干した藁はどうされるのか。
ほとんどは貰われていく。
なんでも十津川村の玉置から貰いにくるという藁は玉置神社の注連縄用途である。
この稲はカオリマイ(香米)。
藁が長いので用途に向いていると話す。
そう話すご主人は内原の氏神さんに注連縄を結って架けるという。
氏神さんはどこにあるのか。
この山奥に神社があるとはまったく気づかなかった。
氏神さんは矢高(やたか)神社。
あのトイレがある地より下った処に鎮座するという。
ついさっきまで飲食していた場より下った処にまさかの神社である。
この日はそこへ行くことはなかったが、ご主人曰く、民宿津川のご主人も縄結いにきていた神社である。
また、1月7日は山の神。
奥山にある山の神でゴクマキをしているという。
ところで干していた「ハデ」の稲穂は何時頃に下ろすのか。
たいがいは9月の彼岸過ぎ。
下ろすには天候による判断がいる。
天気の良い日が連続するころを見計らって下ろすと話していた。
(H28. 9.10 EOS40D撮影)