ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「仮象の〝カミ〟」 20200214

2020-02-14 | Weblog

 

人間的価値の極相──「神、全知、究極解、超越項」。
すべては言語ゲームにおける〝関係項〟として生成する。

個と個を結び合わせる関係項の諸相が積み上がり、
その極点において仮想的に結ばれた集合的価値の表象像。

本質的には、人間的価値の極相の外部化された転倒像。
この転倒形式はさまざまなバリアントとして今も展開している。

                    *

While tacit knowledge can be possessed by itself, 
explicit knowledge must rely on being tacitly understood and applied. 
Hence all knowledge is either tacit or rooted in tacit knowledge. 
A wholly explicit knowledge is unthinkable. ── Michael Polanyi

 

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「One More Step」 20200213

2020-02-13 | Weblog

 


すこし言い残したことがある
ほんとはたくさんある

なにかはわからない
わからないけれど大事なsomething が生まれる
この予感のたしかさは疑うことができない
そんなふうにも思っていたのさ、ずっと

でも別の、これからの話をしたい
人生のなかでまだ出会えない存在
知らないままの感情、思い、考え、生き方
星の数ほどの未知のものに開かれていたい

手もちのカードがある
しょうがない、これでやっていく
用は足りる、上等だ
ましてやお見通しさ
なんて、思うわけないさ

バカタレやクソッタレはごまんといる
そのはんたいもごまんといる
出会わない未知の存在は億単位でいる

おまえはどっちだ
そう訊かれて答える必要はないさ
だれか決めたいやつが勝手に決めてくれるだろう

出会いはかぎられている
かぎられているだけじゃない

それを映すことができる視覚がなければ
どこにもいないのと同じになる

見逃していた、素通りしてきた
気づかないで見捨てていた
すぐそばに暮らしていたにもかかわらず

ずっとこれからも、アホのまま、間抜けのまま
トンマのままじゃつまらなさすぎるだけじゃない
かなしく、やりきれない

わからない、たしかめようがないものを
たしかめる方法について
だれかが教えてくれるわけじゃない

いきなり変わることはできない
変わるべき方角はあいまいだ
だから焦らないほうがいい
先走ったり、浮足立つことはいらない

でも、心に決められることはある

ミソもクソも一緒にしないために
未知の存在を見逃さないために
すこしだけ、かまえをゆるめてみる

だれにも見せなくていい
だまって、まなざしを柔らかくして

「記述のスペースをいつも空けておく」

世界を切り取って記述のなかに収納し尽さないように
切り取った記述からこぼれるものを見捨てないように

 

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「Instrument」  20200212

2020-02-12 | Weblog

        https://www.youtube.com/watch?v=JOWb1hScnKo

 

一つの楽器であること──
選ぶことのできない形、構造、音色、音域

一つの楽器であること、それは絶対的な拘束条件であり
同時に、その条件だけが与える絶対的な個性であり
その条件だけから開かれる音の可能性を意味する

それぞれの楽器が奏でる音色、音域は異なる
しかし楽器であることの属性、本質はただ一つである

音楽を奏でること──
聴かせること、聴かれること
よい音を響かせること
その可能性において存在するという絶対的本質

あるコードだけしか奏でられない楽器は存在しない
あるコードだけしか奏でられない、と信じる奏者がいるだけである

奏でられる音の可能性──
それは楽器みずからが思い描く音の可能性と相関する
相関しながら、無限に開かれていく領域がある

したがうべきスコアが先にあるのではない
奏でられ生きられた音の記憶からスコアが生まれ
奏でられ生きられていく音の可能性から
新たなスコアを記述する意志が生まれていく

ひとりでは奏でられない調べの領域へ──
アンサンブル、セッションだけが可能にする多重音声
そこにもう一つの無限の音楽が創発する世界が開かれる

音と音は交わり、交わることだけが奏でる音があり
多重に奏でられた調べと調べがさらに交わり、触発が起こり
交わりと触発が連続して、無限に開かれていく音楽の世界がある

ある一つの楽器であることの限定性
奏でられる音の無限定性
ふたつの相反する本質が〝楽器の生〟の全域を構成する

限定にとどまること、無限定に開かれること
ふたつのことを一つとして、自由であることの位相

〝楽器の意志〟だけが導く音の世界がそこにある

 

 

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「カミとヒト」(参)

2020-02-11 | 参照

 

――─佐々木正人『ダーウィンの方法』2005年

「思考するオフィス」(精神労働)と「思考しない工場現場」(肉体労働)という架空の分離、
 労働者を道具を調整する人から、機械の流れを維持する「装置」に変化させた仕事の細分化、
「確実で速いこと」を最上位の価値とする仕事の「ファストフード」化、
 選択すべきことが最初から決まってしまっている環境の「メニュー」化があらゆるところで進んでいる。
「現代の仕事場では経験が衰退」しているのである。
 

――─ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』船山信一訳

宗教―すくなくともキリスト教―は人間が自分自身に対してとる態度である。
またはいっそう正しくいえば人間が自分の本質に対してとる態度である。(略)
神的本質(存在者)とは人間の本質が個々の人間
―─すなわち現実的肉体的な人間―─の制限から引きはなされて対象化されたものである。(略)
そのために神的本質(存在者)のすべての規定は人間の本質の規定である。
 
人間は自分の本質を対象化し、そして次に再び自己を、
このように対象化された主体や人格へ転化された存在者(本質)の対象にする。
これが宗教の秘密である。
 
神を富ませるためには人間は貧困にならなければならず、
神が全であるためには人間は無でなければならない。
       

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「ゆらぎ」 20200210

2020-02-10 | Weblog

 

 


実存の未決性──〝ゆらぎ〟という本質的特性。
ためらい、迷い、とまどい、躊躇、はにかみ、はじらい。
存在を確定しようとする一般解からはみ出し、あふれ、こぼれる〝未決のゆらぎ〟。

つねに因果的記述とすれちがう実存の本質的形式。
あるいは、生命/非生命をわける決定的なゆらぎの特性。

「AはAである」という記述に収められない「あなた」の、「わたし」の実存。
未規定なゆらぎのなかに「希望-絶望」という言葉が生まれ、
いまも、かつても、これからも、生きられ、生きつづけられていく。

記述を確定しなくても世界に出会うことはできる。
むしろ確定させないことで世界はその本質をあらわにする。

実存のまなざしに映る世界はつねに意味と価値に深く彩られながら、
みずからを照らす新たな記述の現出を待つようにゆらいでいる。

「実存と世界は一つのアンサンブルを構成する」

ゆらぎにおいてだけ現象する不連続な変化があり、非線形的なジャンプが起こる。
このとき実存と世界の二重記述から新たなフォーメーション、
ゆらぎの相互性から新たな結び合わせるパターンが生成する。

「新たな音楽が生まれるように」

     *
なぜ・なに・どうしたら──「問い」を携え、ゆらぎのおいて生きる人間的実存。
一方に完全なる確定記述、「全問正解」をめがけるように動く社会的構成。
一般解、確定記述と現実論理にしたがうように展開する関係世界、関係のゲーム。
現実論理の本質──現実の局相を絶対性として切り取った一つの世界記述。
この絶対性を帯びて「実存」を呑み込むように展開する確定論理のなかで、
その「書き換え可能性」を見失わずに生きるには、つねに、人間的価値の生成的起源、
みずからの実存に内在する「始原のゆらぎ」へのまなざしを必要とする。
     *
「そこでだけ出会える出会いがあり、生成的な関係がある」

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「永遠の祭礼」

2020-02-09 | Weblog

 

ひとり、まただれかが
なまえを呼ばれ

みえない腕に抱かれ
呻吟の海を渡り
コスモスの闇を抜ける

生きる理由であるもの
超えることのできない誘い

呼ぶ声は心臓深く突き刺さり
肉を焦がし

きよらかな光が凝集し
はかない視覚を洗い

そのまなざしの子宮に
太古の祭礼が屹立する

むせびにふるえ
無限の光が氾濫する

永遠の律動に騎乗し
遠く近く
熱く冷たく

涙がこぼれ
かなしみが溶け出し

未知の分娩を幻視して
祭礼ははるかに駆け上り

夢に濡れた夜に
精霊たちの白熱が貫通する

轟音となった細胞の共振は
緊縛されたセルフを道連れに
陶酔の極北へ加速する

昇天の熱が夢を溶かし
かなしみを埋めた辺境に
せつない嗚咽が木霊し

太古と永遠とむすぶ時のさざ波が
孤独のひだを洗い
ちいさな死がくちびる重ねる

彼岸をめがけるように
喪神の祭壇に踊る
可憐な宇宙の巫女たち

酷薄な刻印をうがたれた
コスモスの生け贄なのか

はかないまなざしの内側を照らす
祝福の閃光なのか

幻想の涙に濡れ
無限の闇が身震いした

永遠をつむぐ祭礼が
忘却の愛撫に抱くように

はるかな時の流れにそって
ひとりひとりの
孤独な小径を刻んでいく

ちいさな心臓を捧げた陶酔に
なんどもわかれの挨拶を交わし

いつか夜の果てにたどり着いたとき
巫女たちは戻るものなのか

みえない戒律にうながされ
惑星のせつない歌とともに
滅びていくものなのか

それともかなしみの向こう側へ
抜けて行くものなのか

巫女たちの祭礼は
しきたりに導かれるように

透明な足音を響かせ
いまも
数億の夜を過ぎていく

 

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「ニーチェの言葉」 20200208

2020-02-08 | Weblog

        *
真理は醜い。私たちが芸術をもっているのは、
私たちが真理で台なしにならないためである。(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)
        *

知っている、わかっている、わすれてはいない
おれたちは真理に愚弄され、ずっとたぶらかされてきた

真理はつまらない、クソのにおいがする
おれたちは真理にたどりつくために生まれてくるわけではない

真実ってなんだ、カミか、ホトケか
世界のはじまり、すべてのおおもとか

そうじゃない、その逆だ

むしろ生みの親はおれたちだ
おれたちが先に生まれ、真理を産み落とす

子は母を産むことができない──
これは真理ではない、原理さ

真理は人間の数と同じだけ生まれる
産み落とし、それを真実と名づける事実があるだけだ

あとから生まれながら
おまえたちを生んだ、従えとのたまう

おれたちの生は真実に台無しにされてきた
台無しにされっぱなしでいいわけがない

わかるか、わかれよ

真理に目がくらむクソが星の数ほど生まれてきた
大量発生してクソのことばで世界を埋め尽くす

この逆転の構図、逆規定のからくり
それがすべての惨劇をつくってきた

要請-命令-操作-制御-専横-蹂躙-絶対支配
すべては真理の僭称と独占と脅迫からはじまる

おれたちは知る必要がある、知って暴かなければならない
したり顔で、わけ知り顔で、真理を語るクソの動機を
そのうらに隠されたほんとうの目的を

おれたちの心がたどりつきたいのは真理ではない
おれたちの生はそんなふうにはできていない

真理に沸き立つ生は存在しない
からだは別の原理で動いている

ステップの踏み方はからだが決める
ステップもジャンプもそのつど
からだが沸き立つ方角へ向かう

それを知り、決めるのは真理ではない
おれたちのからだだけがそれを決める

ただ一つ、真理の適切な用法がある

星の数ほどある真理を串刺しにする真理
支配と専横に走る真理の本質を知り
そのことを決して許さない、そう心に決めた
からだを守ることに徹した、つつましい反-真理
  *
からだのメッセージは明示された言葉としては現われない
ざわめき、もやもや、いらだち、ためらい、ふるえ、ゆらぎ
それはつねに真理として確定されることを拒む表情をしている

ノイズとしてすべて切り捨てることもできる
耳をふさいで〝自由を呪う道〟も人間世界には開かれている
いやだね、からだはいつもそう断言する生を生きている

 

 

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「ADIEU」 20200207

2020-02-07 | Weblog

 


刻まれたものを消すことはできない

刻まれたものとして
消すことができないままに

混入するノイズを払って
そのものとして生かすために
くぐらなくてはならない儀式がある

一つの光源として、きよらかな光をたもつために

流れ込む乱れた時間
たしかに生きられた時を苛む感情の乱流がある

光を濁らせる
そこに踏み入ってはならない
絶対的に回避すべきデカダンスの領域がある

現在を照らすもの
照らす光の強度をもつものを
もちつづけるものとして

生きられた地平を生きられた姿のままに
もてなす儀式と作法がある

 

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「メタ経済──分配の論理」(参)  20200206

2020-02-06 | 参照

 

G・ベイトソン『精神の生態学』(佐藤訳)──

「個人の収支は加算減算的であるけれども、社会内の富の流れの全体的な動きには、
それを(不完全な)バランス状態に保つホメオスタシス機構が複雑に働いている。
つまり、「経済的柔軟性の経済」という、一つのメタ経済があって、
それが生理的柔軟性の経済と似た積算的な働きをしているように思われるのである。
このより大きな経済の単位がドルではなく、
富の分配のパターンであろうことに注意されたい」

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「平尾誠二」(参)

2020-02-06 | 参照

        https://www.yebizo.com/jp/archive/forum/dialogue/01/dialogue.html


「精度を求めれば求めるほど、選択肢を広げることが求められなくなる」
「良いプレーヤーというのは、距離が近づいても選択肢を保てるプレーヤーなんですよ」
「僕ら日本人は「やらなければならない」ことが強くあればあるほど「やりたい」気持ちが減っていく」
「人間のイメージする力が一番豊富になる時、もっとも深読みが冴えてくるのはいつかといえば、
 楽しいこと、嬉しいことを考えている時です」
「イメージの膨らみを練習に繋げていくこと」
「イメージする力を高める、予期・予測する力を養うためには、
 その手法を知るよりも、好きにさせるほうが手っ取り早いし確実です」
「そんな連中が集まると、いろいろな想定やアイディアが出、
 そのなかから一番現実的なものを選択してやっていくことが自然にできていくようになると思います」
「考えさせる練習にはいろいろな選択肢が含まれているから、
 あまり怒ったりせずにともかく思考が動くようにしてあげないといけない。
「動く思考とは、こうでもないああでもない、どっちでいくべきかといった流動的な思考です」

「自分が見ている映像だけではなく、相手が見ている自分の映像というものも自分で作れないとだめですよね。
 ……予期的な映像はつねに関係性のなかでしか立ち上がらない」

 

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「ゆらぎ──時間的身体」 20200205

2020-02-05 | Weblog

ことばが教えるのではなく、ことばに教えたいことがある。
      *
すべての思考や行動は「時間」と溶け合っている。
いまここに「あること(to be)」から「ありうる(can be)」へ。
この移行する時間の厚みのなかに、われわれのからだは住みついている。
この時間のなかで、感じること、思考し、迷い、判断し、展開を読み、決断すること。
生命的作動の一切はこのゆらぎの時間なかで現象している。
ピンナップとして切り取られ、書きとめられ、「このこれ」と特定できる時間ではない。
      *
ことばはつねに確定されたかたちとして存在することを求められている。
このことにもたしかな理由がある。
時間を単位化して、「ここ」「そこ」と特定可能、交換可能なかたちに変換すること。
そのことで人間的な共同性、集合的な関係のゲームが可能になる。

しかし生きられる時間、生きられるからだは、
つねにある状態から別の状態へ移りゆく動的な作動として現象している。
「ここ(at here)」、ではなく、「ここから(from here)」。
さらに、からだだけではなく、からだに相関して、
目の前に広がる「世界」も時間的なゆらぎのなかに存在している。
ことばはこのことをうまく表すことができない構造的な限界がある。
限界を超えて語りすぎ、理解しすぎ、走りすぎないように──
      *
「いいかい。先のことを予測して動くことができるというのが動物の際立った特徴なんだ。
ネコがネズミに飛びかかるときには、着地の瞬間にネズミがどこまで走っているか予測を立てて、
それに合わせてジャンプのしかたを調節する。そういうことが動物にはできる。
そういうことができるからこそ、逆に動物の動きが予測できないものになってくるんだなあ。
この世でただ一つ、予測できないものに。
……人間の法律というのも、考えてみると妙なものだな。人間の動きが規則的でなくちゃいけない、
予測できるものでなくちゃいけないという考え方がベースにあるわけだ。」
(G・ベイトソン『精神の生態学』佐藤訳)
      *

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「未来からの回想」 20200204

2020-02-04 | Weblog

「かつて-いま-これから」という時制の構成は、
人間の実存的「現在」の時間的本質、意識経験にそなわる秩序性を意味する。
この秩序性を意図的に解体して再構成してみる。
この思考実験はもとの秩序性への帰還を前提に行われる。
(解体したまま戻れなければ一つの病理におちいることになる)
しかしいったん解体して得られた経験は保たれ、「現在」の意味を少しだけ変化させる。
       *
デスクの前を、女性が通り過ぎる。仕事への意欲に満ちた、はつらつとした二十代半ばの女性。
天気がよく、オフィスの窓から差し込む陽射しがまぶしい。女性はその光の方に歩いていく。
窓際に並んだ書棚に置かれた書類を取りにいくところらしい。なんの変哲もない、職場のありふれたひとコマ。
男は退屈にまかせて想像してみる。この女性がいつか将来結婚して、子を産み、育てていく日々の姿を。
そして、その子になりきって、未来から逆向きに今日いまの情景のことを考えてみる。
二十年後、三十年後、あるいはもっと後に、いま男が見ている小さな情景が、
彼女の子供にとって一体どんな意味と重さをもつことになるのかを。
決して見ることができない遠い過去の若い母親の姿を、もし男がいま見ているように女性の子が見ることができるとしたら。
それはその子供にとっては奇跡の情景ということになるだろう。
だとすれば、男はいまその奇跡を目撃していることになる。
神々に媒介されない奇跡。その必要もないミラクル。男はそう思い至って、もう一度女性の姿を追った。

 

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「欲望論」 20200203

2020-02-03 | Weblog

         https://www.youtube.com/watch?v=V3kmekP76gI&list=RDV3kmekP76gI&start_radio=1#t=3

 


「きれいになったねと言われたら?」
「すごくうれしい」
「なんか特別な感覚ね」
「わかる」
「このとき人間的価値をめぐる情動が動いて反応している」
「どういうこと?」
「承認されること、価値を認められること、称えられること」
「いつもそれを求めているってこと?」
「イエス。自己申告じゃなくて、自分以外のほかの人からね」
「でもそれだけじゃない」
「あの人から、という指定性が加われは異次元のものになる」
「うん」

「自画自賛じゃ満たされない」
「きれいって、とりわけ優先度が上位のものね」
「人間的価値っていろいろあるけどさ」
「ほかの人との関係のなかで輝いていたい。それが本質かな、人間の欲望の中心は」
「それでもって、うれしい感情を味わいたい、味わい尽くしたい」
「だからその反対だと絶望は深い、とか」
「そのためにいろいろ努力もする、人間はね」
「立派だと言われるより、きれいだねと言われるほうがうれしいな」
「だよね」
「なんか、存在まるごと感がそっちのほうがある」
「でもそれ以上の特別なことばもある」
「なに?」
「きみが好きだ」
「それ以上の言葉はないかも」
「でもね、好かれたい、愛されたい人でなきゃね」
「もちろん」

「部分じゃなくて全体、存在まるごとね」
「うん。かわいいとか、かっこいいもそれに近い」
「でも求めるものはいろいろある」
「満たされることって無限にあるかも」
「たとえば?」
「できなかったことができるようになる」
「新しいゲームに出会いたいな」
「自転車に乗れるようになる。逆上がりができるようになる、とか」
「新しい運動パターンを獲得する」
「関係の意味が変化する」
「感じ取れなかったものが感とれるとれるようになる」
「素敵さに気づく、とか。逆もあるけど」

「ようするに感動したいってことでしょ」
「そうね」
「なんか存在が拡張されるような感じかな」
「生きる可能性がひろがるよろこび」
「うれしい、面白い、楽しい。どうして?」
「自由を享受するよろこび。たぶん」
「ようするに、生きることの可動域が広がる感覚かも」
「気づかなかったじぶんの能力や魅力や可能性に目覚める、とか」
「錯覚かもしれない」
「思いこみということもある」
「でも、単なる思いこみや内的な泡立ちが変化をもたらす、そんなこともある」
「好きだったものが嫌いになる。嫌いなものが好きになる。なんで?」
「関係が変化する。自分と世界との関係のかたちが変化するそんなことかな」
「構造を固定して一定の見方にこだわれば世界に変化は起きにくくなる」
「バインド状態」
「でもバインドすることで行動や目標がクリアになるということもある」
「目鼻がくっきりした世界の姿」
「変わればいいってもんでもない」
「ふらふらするより毅然としていたほうが立派にみえることもある」
「ある。けれどその代償も大きいと考えたほうがいいな」
「なぜ」
「人間的な自由にかかわるかな」
「古代や中世にはなかった。自由って、近代の発明品ですか」
「江戸時代にもあったけど、それは意識されなかったかもね」
「自由という観念が存在しなかったわけか」
「そう」


「自由には使わない自由もある。つかわないで取っておく、予備の自由の領域ね」
「考えたこともないな」
「この領域は無限の広がりがある」
「だから」
「この無限性を捨ててしまうことになりかねない。どう?」
「かもね。うっかりしているとバインドされまくりの世界になっちゃうとか?」
「いや、そういう傾向は人間世界では顕著だよね」
「うっかりじゃ済まないね」
「使わない自由も含めて、自由は保全されなければ大変なことになる、とか」
「楽しいだけじゃ足元をすくわれる」
「楽しさが生まれる条件、自由の条件をきちんと押さえておく必要がある」
「自由が消えると可動域が一定に固定される」
「うん。可動域が固定されると、人間はロボットと同じになる」

「できる/できない、すき/きらい、とか。世界にはいろいろラインが引かれている」
「ラインを一定に固めると思考や行動は安定するけど、可動域はそのまま」
「つねにラインは引かれている」
「ラインを引かないと一歩も動けない、考えられないってこともある」
「つまり世界を区分するコードをたずさえて人間は生きてる」
「よい/わるい、ほんとう/うそ、きれい/きたない、よい/わるい」
「ひとつにまとめると、すき/きらい」
「すきを言いかえると、じぶんにとって〝よきもの〟になる」
「この〝よきもの〟は、ほかの人も認めるものじゃなくちゃいけない」
「それがさっきの人間の欲望の本質?」
「そう思うな」
「それってモラル?」
「そうみえるけどちがうな。人間の欲望は他人が認めるものに向かう本質がある」
「じぶんが手にするものが、そのままみんなにとって〝よきもの〟となるもの」
「みんなが認めるもの憧れるもの、最上級のものをまっ先に手にするとき、よろこびはMAXになる」
「ざっくりいえば、それって普遍的な価値ってやつかな」
「そう、そんな原理が働いている気がする」
「欲望は私的、個別的なものだけど、それが普遍的なものをめがける属性をそなえている?」
「うん。個別と普遍、正反対のもの対立的なものじゃなくて、個別から立ち上がるものとしての普遍」
「そうかもしれない」
「でも、それだけで話はおわらない。その展開には条件がある」

 

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「Song for the Asking」 

2020-02-02 | Weblog

 

ソレがなくとも生きていくことはできる

ソレは生きる絶対的な条件とはいえない

 

ソレそのものが存在するわけではない

ソレはただ絶対的条件の外に透明な体験を結ぶ

 

ソレがない生をあなどり呪う理由は存在しない

ソレがなくとも生が枯れてしまうわけではない

ただ枯れてしまうという感性的作動だけがある

 

ソレをソレとして語ることはできない

ソレをひとつの実体として示すことはできない

カタチでもなく表象でもない、ただ体験としてだけ

そのつど、いちどかぎりの触発としてソレは現象する

      *    

ソレは楽器と楽器が奏でるアンサンブルの調べに似ている

ソレは空間のなかにも時間のなかにもマップすることができない

ソレはただ聴かれること奏でられることの体験のなかにだけにある

 

ソレはひとつの楽器が奏でる調べとはちがっている

ひとつの楽器が奏でる調べはすべてひとつの楽器に帰属される

 

けれども忘れてはならないことがある──

ひとつの楽器という限定おいてはじめて楽器は楽器でありうる

ひとつの楽器であることを生きるかぎりにおいて

ひとつの楽器はべつの楽器と出会いアンサンブルを奏であう条件をつくる

      *

ソレが現象するとき、いつも、かならず連れ立っている原理が存在する

ただアンサンブルへ向かう意志が生成するときだけソレは現象する

 

聴かれなければ奏でられない 

奏でられなければ聴かれない

 

聴くことなく奏でられることない生をあなどり呪う理由は存在しない

ただソレがなければ生が枯れてしまうという感性的作動があり

そこでだけ保持され、生きられ、沸き立つ人間的生の位相がある

 

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「Regret」 20200201

2020-02-01 | Weblog

 

ループする時間が告げる──

知っていたはずのこと、だれよりも知っている、だれよりも深く胸に刻んでいたはずのことが、

ほんとうはまったく知らないことでしかなかったこととして明らかになる。

だれよりもそのことに敏感なつもりが、つもりでしかなかったこととして。

ただの思い上がりにすぎなかったことが告げられる。

いま、そのことを思い知る以外のなにごともなしえないことを。

手を振ることができない時間。失われた時間ではない。

見過ごし、見逃し、見捨てていた時間。あとの祭りの手あてするすべのなさ。

巻き戻せない時間。引き返せない、二度と帰れない、出会うことのない場所。

絶対に帰れない場所へ帰りたいと願う架空の願いだけが心を埋めていく。

なにより貴重で大事だったはずの時間の貴重さ大事さに気づけないでいたこと。

あたりまえのようにそこにいてそのように感じ、ふるまい、生きたこと。

そのように生きる以外になにもなかったことがそうではなく生きられたはずだというふうに。

決定的に足りないものがあったこととして。

あたりまえのように過ぎた時間が取り返しようのない貴重なものに変異する。

そしてそう考えること自体が思い上がりでしかないこととして。

 

もの苦しさは時制を狂わせる。かつて-いま-これからという構成が崩れていく。

前に進むことを許さないように時間がかぎりなくループする。

ここを一歩超えると気が狂うかもしれないという強度で異常さが満ちてくる。

なぜか。未来によって埋めるしかないものであるとしても未来がそこにはない。

読みかえる方法はない。ただそのことを味わいつくす以外になにごともない。

しかしそうすることができないことに身をよじる以外ないとき、

気を狂わせるという道がすぐそばに開かれている。

時間を必要とする。

意味を変換することではない、その意味をまっすぐに受け入れる位相が生まれるまで。

 

 

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