関係の快(信)と関係の毒(不信)──
関係のエロス(快)を求める人間的欲望の本性において
双方向へ相転移しうる関係本質、その可能性
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ある共通感覚が存在するとき
相互の差異は相互に〝資源〟として生かされ
関係的生成の位相が開かれていく
ある共通感覚が不在、あるいは消えるとき
相互の差異は関係的意味をめぐる審議対象として
相互のまなざしの前景を埋めていく
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「あなたは一体何者?」
この問いが意識の前景を覆うとき
第三の位相は出現の機会を与えられない
あるいは、関係の背後に消えていく
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関係的生成──その産出力が活性を帯びるとき
相互の視線は相互の存在(への信)を経由しながら
第三の位相において交わり、多重の記述を生み出していく
相互の存在は、このとき、相互にとって〝触発〟として生きられていく
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関係の快から関係の毒へ
関係の毒から関係の快へ
関係を構成する結びあわせるパターン
この構造には相転移点が同伴している
たずねられたら
時点的なリアルに従って言葉が選ばれる
good-bad fine-sad
しかしそれだけではない
関係的位相はそれだけでは完結しない
相転移点を経由してもメモリは保たれる
時点的リアルを貫いて動いているものがいる
この内的作動は知っておいたほうがいい
どんな必然のちからが動いたとしても
関係の本質は切り取った現象のなかに閉じ込めることができない
「関係は相転移する」
この本質から視線を外さないかぎり
関係記述は原理的にピリオドが打つことはできない
なにが相転移の引き金を引くのか
すべては人間的意志にかかわっている
現象のリアルを超えてつながっている
すべてをつなげていく内的作動がある
存在可能、関係可能の死をみずから選ばないかぎり
関係世界にはつねに未踏の展開領域がある