──G・ベイトソン「目的心対自然」「目的の意識がヒトの適応に及ぼす影響」佐藤良明訳
目的をひた走る意識が立脚するのは、精神の全体ではなく、
そこから切り取られた非循環的なシークエンスである。
それは、システムというものの特徴であるループ構造を欠いた存在であります。
Purposive consciousness pulls out、from the total mind、
sequences which do not have the loop structure
which is characterictic of the whole systemic structure.
会社の重役室にいるスミス氏の頭の中には、会社の目的……
以外の考えが入り込まないよう、頑強な予防線が張られている。
もっとも現実には、思考を百パーセント具体的な目的に向けて絞り込むなどということは、
人間に可能なことではない。……
しかしスミス氏に理想として期待されるのは、あくまでも、修正されざる、純粋な、
脱人間化した「意識の思考」である。
Mr.Smith is expected to act as a pure、
uncorrected consciousness― a dehumanized creature.
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エコロジー問題を決裁する〝最終法廷〟
この法廷は人間(の知恵)ではなく自然の側にある
(最後の審判、裁きは自然が下す)
類的総和としての知恵が試されている
自然の法、自然の思考をみずからに組み込み
人間的自然との適切な合流点を見出すこと
ベイトソンが〝精神〟と名づける「全体的思考」
この言葉にecologyという概念の本質が暗示されている
この位相において思考と実践を展開せることができるか否か
閉域で完結するローカルな思考と欲望の私闘、パイの奪い合い
加点と減点のクソゲームに明け暮れる関係世界
根本的な修正の契機はただ人間の側が負っている