一方に主観(認識)があり、もう一方に客観(認識対象)がある
この前提に立つかぎり、認識は認識対象にいかに〝的中〟するか
その精度、的中率が問われ、競われることになる
ただしく客観を捉える、誤らず世界を認識し記述すること
世界認識、世界記述はつねに「客観」をめがけるように動いていく
[主観-客観]
しかし、この主観と客観という構図を前提にしたとき
避けられない決定的な問いが浮上する
世界認識(世界記述)の精度、確度、的中率をいかに判定するのか
その判定者とはなにか、だれか
ある普遍的認識(普遍記述)がありうるとして、
それをそれとして査定し判定する存在とはなにか?
根本原理──主観は主観の外に出ることができない
この根本原理に照らせばあらゆる主観は判定者の資格をもたない
にもかかわらず、正しい認識、まちがった認識という判定はなされる
世界認識、世界記述する主体は主観以外にはいない
そして根本原理に忠実に考えるなら、その判定者は主観以外には存在しない
ここから導かれる結論──
われわれの世界認識、世界記述の構造の本質はこうなる
「主観はみずからに客観という項を与えて思考し、認識し、記述している」