ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「みんなの学校」 20200821  2013

2020-08-21 | Weblog

 

ピッピッピッピッと分列行進の笛の音が頭の中で鳴っています。

実直で折り目正しい小国民を輩出しつづけた伝統のドリルは、
若い世代の再生産メソッドとして大切に受け継がれてきました。

   「隊列を乱してはいけません」

イヤでイヤで仕方がない心の悲鳴を打ち消しながら、
〝気をつけ〟の姿勢のままオトナになってしまう子どもがいます。

成長のための大事なエクササイズだと真面目に信じながら、
 〝全体止まれ〟の獅子吼に魂を抜かれてしまう子どももいます。

   「これからは個性を育む教育が大事です」

じぶんが何を語っているのか本当はわからないままセンセイたちは、
伝言ゲームに似た上意下達の言葉を子どもたちに浴びせました。

誰が信じているかわからないコードを懸命に埋め込むように、
センセイはこわもての顔を作って一杯笛を鳴らしたのでした。

   「みんなちがってみんないい」

ちがっていいと同じがいいという相矛盾するメッセージが、
同等のレベルで語られると子どもの心は引き裂かれます。

引き裂かれた心は出口を求めて探索を開始しますが、
行進ドリルの現実は列から外れることを許しません。

   「いま笑ったヤツ、一歩前に出ろ!」

脳ミソに分列行進のアンカーが埋め込まれるのでしょうか。
心臓がドキンと鳴ってからだがピクピクッと反応します。

〝進め、止まれ〟の号令で校庭を一周二周と行進するごとに、
精神の淵をアンカーは深く深く降りていくようです。

   「あの子がいると列が乱れる」

沈んだアンカーはやがて子供たちの関係にも割って入ります。
センセイ不在でも機能するよう行進のコードは身体化します。

より深くアンカーを沈めて行進スキルに習熟した子供たちは、
隊列の順位を上昇して次世代のセンセイとして選抜されます。

   「全体駆け足、はじめ!」

うまく行進に参加できない子供たちは一人夜空を見上げたり、
語られることのない詩の世界を開いて自らを守ったりします。

伝統の行進ドリルに記述されたコードやプログラムでは、
魂の動き回るスペースとして狭すぎると感じるからです。

もう充分ですね。

どうころんでも結果はみえているようです。
疲れきった街、ひとびとの姿、すさんだ人と人の関係
いろいろなことがそのことを示しています。

〝詩の世界〟はだんだんと失われつつあります。
ぼくたちがいつでも帰還できる生きてゆくための拠点
その光景、スペースはどんどん過疎化し消えようとしている。

ぼくたちはなぜか立ち止まって空を見上げます。
わけもなく懐かしさの感情がそこに由来するからでしょうか。
自然の広がりのなかに、ほんとうのふるさとを告げられるからでしょうか。

青い空、流れる雲、月明かり、星のきらめき、風と光のささやき
ことばが教えるより先にぼくたちの心は動いていきます

なぜか目をそらすことが難しいシグナルがそこに明滅する
かたちのない、けれどだれもがそこに何かを探している
なにか、この世の〝ほんとうの幸い〟がひそんでいる
そんなまぼろしを感じるからでしょうか

レンゲ畑で大の字に寝転がったり
草笛を吹いて春の小道を一緒に歩いたり

ゆらぎ、まよい、ためらい、立ち止まり
笑い、悲しみ、そうした自分を何度もふりかえりながら

トンボを捕まえたり、石ころを蹴ったり、
河原の草をちぎって、鼻歌を歌い
冗談の出来を笑いあったりしながら
ゆっくり、楽しく歩いて行きましょう

外れて歩けばいい、ひとりでもいい
それがどうしたというのでしょう
隊列の外にはかぎりないシグナルが明滅しています

ただひとつのことがあたりまえのことになると
ひとつでないことがあたりまえのことでなくなる

ひとりで歩く、ふたりで歩く、みんなで歩く
道を外れて歩くことを笑わないようにしましょう
道草、寄り道、はぐれ道、そして、けもの道もある

たまには、いつでも、道草して帰りましょう
楽しく、おもしろく、ステップを踏んだりしながら

宮沢賢治先生ならそう言う気がします、きっと

 

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