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記述の体系としての一つの社会体、共同世界。
個と個を結び合わせる関係項、確定されたことばがそこにはあふれる。
しかし社会体が用意し、個に示す確定項の系によって、
人間的生の全域が記述されつくされることありえない。
──子は母を生むことができない
記述されないものへの感知から新たな創発への予期が立ち上がる。
この領域へのまなざしを失うとき、
世界は一般解、確定された記述命題で埋め尽くされることになる。
一般解、記述命題によって埋め尽くそうとする関係世界。
もちろんそのことにもたしかな理由と根拠がある。
しかしこの理由と根拠には、ひとつの留保が必要である。
合意と承認──そのことの意志と自覚がなければすべては自明化し、
動かせない前提として心深く沈められていく。
すなわち、完全記述、〝全問正解〟を僭称する社会的構成の屹立。
現実論理の本質──現実の一つの局相を絶対性として切り取る世界記述の一形式。
社会体を生きるかぎり、社会体が用意した記述の系について学び、身につけることは、
人間がつくるゲーム世界を生きるプレーヤーとして必須の条件を構成する。
しかしそれがすべてではない。
記述の可変性、変化しうることのうちなる根拠を見失うとき、
リアルを構成する一切は確定されていく──現実論理の泥沼
意識的判断がどうであれ、そのことに内なる Backstegeは耐えることができない。
Backstageの内なる声を素直に受けとめるとき、ある種の〝倫理〟が立ち上がる。
絶対性を帯びてつねに確定記述、世界像の確定項へ向かおうとするものに対して、
つねに記述の書き換え可能性「ありうる」を見失わずに確保するには、
人間的価値の生成性の起源、人間的実存の本質へのまなざしを必要とする。
このまなざしの本質を知ることは、すなわち記述を確定させないという内的〝倫理〟と一つでありうる。
「記述のスペースを開けとけ」
あるいは、
「スキマがないと死ぬ」