ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「記述」 20200817

2020-08-17 | Weblog

 

We live in our description of reality. ──Gregory Bateson


われわれはみずからが記述する世界を生きている──

生きる世界、リアリティをとらえるまなざし、感覚、情動、意識。
意味として、価値として、固有の色合いに染め上げる、うちなる世界記述の作動。

世界は記述する存在によってはじめて生成し、
記述する存在の死とともにその姿を消す。

記述にはつねに「われ欲す」「われ感じる」が同伴している。
ただしくは、記述主体としての「われ欲す」「われ感じる」。

そして、記述は動いていく。

しかし動いていくもの、記述を担う唯一の主体への視線はしばしば失われ、
世界は完結した姿として、それ以上の記述は存在しないかのように記述は確定される。

「これが世界の姿」──共同化された世界像を示され胸に刻む。
胸に刻むことで人間的関係世界の一員となることは不可避的でもある。

関係世界を生きることが導くこの不可避性において、
世界を記述する主体へのまなざしが見失われるとき、
同時に、関係世界から世界記述の唯一の〝資源〟も失われていく。

完全記述された世界像──人、社会、自然、関係のコードをめぐる確定項の屹立。
この記述主体の消去を求める全体主義的動向はあらゆる関係世界に潜在している。

なんどもでも思い起こさなければならない。
世界の姿を現出させるもの、この世における唯一の記述主体としての〝わたし〟。

Why?

みずから記述したものに魅せられたように、呪われたように、
記述する手の作動をみずから止めてしまわないために。

生きることの全権をなにものかに委譲してしまわないために。

 

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