ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「dialogue」 20200807 

2020-08-06 | Weblog

 


 「昔も今も場の空気を読むことは共通していて、最後まで主体が浮上しない」
 「誰かが決めるのを待っているということ?」
 「ひたすら待ちつづける」
 「謙虚で奥ゆかしくて、ある意味で自己滅却の悟りの境地だ」
 「自分だけならいいけど、他者にもそれを要求する」
 「主体を行使するニンゲンがいれば、そいつは間違ったヤツにみえる」
 「場の空気が濁るような気がするのかもしれない」
 「場の汚れに関しては敏感さが増している」
 「ナショナルな分別の公準か」
 「しかし分別全開のつもりが、実態としては主体の壊死が進行している」
 「壊死しても何かが代入される」
 「デジタル空間には思考や感情のモデルが氾濫している」
 「自意識としては死んでいない」
 「死んでいるけど死んでいない」
 「死んでいないけど死んでいる」
 「ある時点まではナショナルな達成目標が燦然と輝いていたから、それはそれで機能したわけだ」
 「しかし、その有効期限はずっと以前に尽きた」
 「図式的にみれば、信頼に足る不動の集合的価値の結節点が想定できていた時代はあったよね」
 「実存的な揺りかごか」
 「そう。オラが村、お天道様、ご先祖様、故郷の四季、トトロが棲んでいる鎮守の森のような結節点が信じられていた時代までは一枚岩的な安定感はあった」
 「明らかに今とはちがう」
 「自分は俗塵にまみれていても、この世あの世を含めた善きもののシンボルが一緒になってうごめく魑魅魍魎の世界」
 「見事にクリーンアップされてしまった」
 「その意味で、かつては人の生活は二重底になっていたたわけだ」
 「そうだと思う。一方の世界が最悪最低でも、片方において救いを求めることができる何かがあると信じることなく信じられていた」
 「実際はでっちあげでも、そういう幻想が生きられていたということか」
 「でも終わったわけね」
 「スーパーフラット化した」
 「そうしたものの残照を引きずる世代は退場しつつある」
 「ある時代までは何もかもがうまく運んでいた、ようにみえた」
 「うまく行かない場合には、戻る場所が想定されることなく想定されていた」
 「単純にいえば、実存の基盤は揺るぎない〝かのような社会〟が存在した」
 「近代化、合理化の大嵐の中でも、避難場所はあったわけだ」
 「紆余曲折があるとしてもね」
 「磐石にみえたから、いろいろ勝手なことも言えたし、勝手な振舞いもあった」
 「しかし、無意識的に信じられていた磐石なものが、実は磐石じゃなかったことに皆が気づかざるをえない時代が訪れてしまった」
 「精励のはてのアウトプットが想定外のものだった」
 「それだけじゃなくて、いつのまにかスーパーフラットなシステムの自動化した流れに抗えない地点に立ってしまった」
 「システムに貢献する以外に何もできないという地点?」
 「いわばテロも損壊を与えることも不可能」
 「代替案が出せなければね」
 「出せない、絶対にね。この路線では」
 「思惑とは無関連に、すべての営みはシステムへの貢献へと連結されていく」
 「そのことの意味を審議する暇もなく、時代の進行は加速していた」
 「いつの間にかまったく別の世界を生きていたわけか」
 「愕然とする余裕もなく課題が次々と与えられていて、息も絶え絶えの状態というのが現状」
 「個人の信念のありようはいかようにもあり得るけど、ただ最後の決済プログラムは一元化されている」
 「決済プログラムは内面にも転写されている」
 「査定は厳格で酷薄だけど、うまくやればちょとした果実が手に入る」
 「それをだれが手に入れて、だれがあぶれるか」
 「勝てば官軍。負けるのはしかたがない論理。自己責任論の全面展開」
 「救われない」
 「それがこの時代の一般意思を形成している」
 「自分もステークホルダーの一員という形で時代全体に串刺しにされている」
 「オリジナルな欲望や感情が見当たらない」
 「探す以前に、据え膳に魅入られた自分がいる」
 「決然と働く以外にない、の論理」
 「乗り遅れたらおおごとだ」
 「それ以外の物語、無限に創発する人間の可能性が朽ち果てていく」
 「それがオチ?」
 「腹減ったな」

 

 

 

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「時間」 20200806 

2020-08-06 | Weblog

 

「いいかい。先のことを予測して動くことができるというのが動物の際立った特徴なんだ。
ネコがネズミに飛びかかるときには、着地の瞬間にネズミがどこまで走っているか予測を立てて、
それに合わせてジャンプのしかたを調節する。そういうことが動物にはできる。
そういうことができるからこそ、逆に動物の動きが予測できないものになってくるんだなあ。
この世でただ一つ、予測できないものに。
……人間の法律というのも、考えてみると妙なものだな。人間の動きが規則的でなくちゃいけない、
予測できるものでなくちゃいけないという考え方がベースにあるわけだ」
                                                                                                      (G・ベイトソン『精神の生態学』佐藤訳)
      

すべての思考と行動は固有の「時間」と溶け合っている。
いまここに「あること、to be」から「ありうる、can be」へ。
この移行する時間的厚みのなかに、からだは住みついている。

生きられる時間──
それはつねに切り取られた時間、「ここ、at here」の連鎖ではなく、
つねに「ここから、from here」を孕む途切れのない展開のなかにある。

生命はつねにそれぞれの時間的展開を予期的に宿すように、
「いま・ここ」を構成し、固有の生と時間、世界を生きている。

それゆえ、「ある」を書き留め、「事実」として確定したい心は、
時間化した実存と世界のあり方と必ずすれちがうことになる。

この〝すれちがい〟は、人間が生きる関係世界において多発し、
「実存の時間(世界)」と「客観的時間(世界)」を混同することから必然的に生じる。

 

 

 

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