ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「泳ぐ」 20200808

2020-08-08 | Weblog

 


「エピソードのクラスを相手にするためには、
この小さなパターンへのとらわれを打ち破らなければならない」
              ──G・ベイトソン『精神と自然』佐藤訳

    *

「泳げないからだ」から「泳げるからだ」になる──

このとき、泳げないからだはみずからを時間化し、
泳げるからだとの関係において泳げないからだを解体し、
「いま、ここ」を刷新するプロセスを生きることになる。

    *

小さなエピソードに波立つ感情のまま突き進めば、
〝関係〟はバインドされ、一つの関係構造の外に出ることができない。

ある〝関係〟、そしてそこに埋め込まれたからだの刷新をねがうかぎり、
どこかに〝関係〟を解除する位相を見出さなければならない。

変化へ向かうには確定項としての〝関係〟をいったん解除すること。
そのためには一つの包括的なまなざしを必要とする。

    *

ある固定された関係が指定する「関係域」は必然的に限界値をもち、
そのことで関係企投の可動域、可能範囲も限定されたものになる。

包括的まなざしは、生きられる「関係域」の外を含むスコープを
みずからに要求する。

関係という個と個、個と世界を結び合わせるパターンの創発可能性──
それが編みかえ、つくり変えることが可能であることの了解。
この了解は、経験的な累積を通してだれもが手にすることができる。

包括的まなざしはこの了解とともにあり、
「よりましな関係」の探索に踏み出す思考の拠点をつくる。

この包括的まなざしを手にすること、
それはそのまま関係世界を生きる〝人間的身体〟の創発的特性を知ることでもある。

 

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