鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

雨音が、悲しみ呼び起こす夜に・・・。

2021-04-14 22:31:01 | Weblog

午前中、雷鳴など聞こえるも、午後になって、雨も止み・・・されども、宵の内、本降りの雨。

午前中は、読書。

 

宵の雨音を聴いていたら、無性に、母に会いたくなった。

幻のように、声を思い出すけれど・・・でも、二度と聞けないんだ・・・あの声。

・・・母の声は、私とよく似ていて、以前、電話などでは、よく母の友人から、間違えられたりもしたけれど。

聴力が、殆ど無くなり、電話のベルさえも、聞こえなくなり、母が、電話に出ることも、ここ数年は、なかった。

母の声が、聴きたくなったら、自分の声を聴けばいいのかもしれない・・・などと、バカなことを思った。

他人には、似てる声だけれど、やはり母の声は、母の声だし、私の声は、私の声だ。

 

時々、こんなふうに、母の不在を自覚するたびに、動悸がして、呼吸が苦しくなったりする。

 

気を紛らわすために、本を読んだり、録画したドラマを見たり、甘いものを食べたりしてみたけれど、全然、気持ちが落ち着かない。

仕方が無い。

ある程度、時間が経過しないと、回復しないこともあるだろう。

 

最近、思うことだけれども・・・。

私は、もう随分前に、失職してから、働いていない。

もし、失職しなかったら、たぶん、まだ働いていたかもしれないし、仕事をしていたら、こんなに長く、母の側にいることは、できなかっただろう。

仕事を失ったことで、随分、長いコト、落ち込んではいたけれど、これは、天?からのプレゼントだったのかもしれない・・・と思うようになった。

 

この何年かの私の生存意義は、母の世話をすること・・・まあ、殆ど、何もせず、夕食の支度だけは、義務感があって、私が母にしてあげられたのは、食事の提供だけだったような気もしているけれど。

それでも、お勤めなどしていれば、食事の支度だって、時間はかけられないし、柔らかく煮たり、裏ごししたり、すり下ろしたり・・・という手間のかかる食事は提供できなかったと思う(体力ないし・・・)。

 

世間では、認知症介護は、物凄く大変だし、施設に預けなければ、自分達の生活が、立ち行かなくなる・・・という話も聞いている。

母は、物忘れは、多かったし、この数か月は、込み入った話になると、わからなくなったりしたけれど、認知症ではなかったことは、有難いことだった。

 


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