鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

旅の記憶③・奈良(1988年/奈良シルク・ロード博)

2022-07-13 21:22:23 | Weblog

終日、雨降ったり、止んだり。

霧雨・本降り・雷雨・・・と、バリエーションの多い降り方。そこへ時々、薄日なども差したりして。

気温30度に届かずで、空気は、ヒンヤリした感じもあり(午後などは、少し蒸してきたような感もあり・・・だったけれど)。

猛暑の後の涼しさ・・・。生き返ったような・・・。

 

モト・首相が、銃撃暗殺される・・・と言う事件があって、或る意味、劇場型というか、あの狙撃場面にいたほぼ?全員が、統〇教会の信者だとかで???だとか、現政権への同情票を得るために仕組まれた茶番だとか・・・。

気づいている人は、気づいているのかも・・・。

有名な???(メンが割れちゃあおしまいだと思うのだけれど)クライシスアクター達も、現場で確認された画像が、検証されているし。

気づている人は、気づいちゃったのかも・・・。

 

・・・と言う訳で、その舞台となった場所が、奈良県だったということで。

 

コレは、或る意味、呪術的な・・・そんなイメージがあった。

 

まあ、そんなこたぁ、どうでもよくて。

私は、願わくば、奈良に住みたいと常々思っていて、どういう訳か、奈良を始め、関西圏に住むのが夢だった。

夢は、叶わず、関東から、離れることはないと思うけれど。

 

そんな奈良だけれど、まだ3回しか訪れていない。

中学の修学旅行、母退職記念旅行・・・そして、母がまだ務めていた頃、訪れた『奈良シルクロード博(1988年)』だった。

新幹線で、京都まで。そのあとは、近鉄奈良線。

宿泊は、奈良ホテル(もっとも、新館の方だけれども)。

 

訪れたのは、丁度今頃。夏休み前の梅雨の真っ最中。

旅の始まりは、今日のような様々なパターンの雨降りの中。

そのせいか・・・急に、この『奈良』への旅を思い出してしまった。

 

前々日、新幹線のチケットを紛失(燃えるゴミと一緒に出してしまった?)した母は、真っ青に。

旅行会社に連絡して、再発行して貰えたのだけれど。

 

・・・最初から、ケチがついて、いろいろとケンカの絶えない旅になったのだった。

 

宿泊先の奈良ホテルでも、夕食は、(たぶん・・・みなさん)フレンチ。

でも、母は、フレンチは食べられない(バターがダメ)。

一皿2000円だか、3000円のボンゴーレ・ビアンコを注文した。

天下の奈良ホテルで、何が悲しくてパスタを食べねばならぬのか・・・と、ちと憤慨はしたものの・・・(他の母娘連れのお客さんも、パスタメニューを注文していた)。

朝食は、茶粥で、正直食べなれないし、当時、私は、朝食をとる習慣がなかったので、それ程、美味しいとは思わなかったし、奈良博の会場でも、ランチは、美味しくなかった。

 

それでも・・・。

古代王朝ロマン、荘厳な社寺、広い奈良博の会場などめぐり、楽しかった。

 

今を去ること、34年前の思い出である。

 

そんな昔のことを思い出しのは、あの日の雰囲気が今日の雨に似ていて、同じ時期だったこともあるのだけれど、今日のネットニュースで、古代奈良朝の悲劇の王子・有間皇子・大津皇子の人形の画像あって、その出来に驚いたためでもあった。

永瀬卓氏製作の人形である。

母の好みそうな人形たち・・・。

 

悠久の奈良・・・。

母ともう一度訪れてみたい場所でもある。

 

 


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