goo blog サービス終了のお知らせ 

未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

日本のエーゲ海、瀬戸内市牛窓を訪ねて 令和元年9月2日(月)

2019-09-11 23:42:51 | 古い町並み
せっかくの休日、被写体を求めて出かけようと思いましたが、例によってなかなか行き先が決まりません。天気予報では、曇時々晴れになっていましたが、いまひとつはっきりしない天気です。
思案のあげく、瀬戸内市の牛窓町を久しぶりに訪ねることにしました。
山陽自動車道早島ICを下りて、国道2号線を岡山方面に進み、途中から岡山ブルーラインに入って、自宅から約1時間半で、最初の目的地牛窓オリーブ園に到着しました。

一般駐車場に車を停め、急な階段を登って展望台を目指します。登るにつれて眼下に瀬戸内海の美しい景色が広がってきます。息を切らしながら、展望台のある日本オリーブ㈱直営のオリーブショップに到着。1階はショップ、2階がカフェになっています。
とりあえず、5階の展望台に上がってみることにしました。晴れていたらどんなによかったことでしょう。正面に、前島、そのすぐ向こうに小豆島が見えます。
周辺は、オリーブの成木が2000本植栽されている独特の景観です。


牛窓オリーブ園

収穫はもう少し先のようです。


日本オリーブ 直営ショップ 乳液は我が家も愛用しています。


ショップからの眺望もなかなかです。


幸福の鐘付近から見る海


最上階5階からの眺望


左の島が前島、その横の小さな島が黒島、その横の島が中ノ小島、端の小島


右に見えるのが牛窓ヨットハーバー

牛窓といえば、日本のエーゲ海といわれていますが、その最初のいきさつをご存知でしょうか。その昔、牛窓オリーブ園を訪れたギリシャ大使館の関係者が、高台から見た海の景色が、故郷のエーゲ海に似ている、と言ったことが最初のきっかけになったようです。

ところで2010年の調査では、オリーブといえば、小豆島のある香川県と、牛窓の岡山県だけでしたが、現在では随分様相が変わってきているようです。
出荷量こそ、香川県がダントツの1位で9割以上独占していますが、栽培面積では以下の通りとなっています。(2015年調査)
(オリーブ栽培面積)
1位 香川県 小豆島
2位 熊本県 天草市
3位 広島県 江田島市
4位 大分県
5位 静岡県
など、11県に拡大し、栽培地のシェアでは、香川県は55%に下がっているのです。
それでは、岡山県はどうだろうと思いましたが、データは見つかりませんでした。


(牛窓ヨットハーバー)


西日本最大級とか


クラブハウス 船の形を模しています。

次に向かったのが、先ほどの展望台からも見えた、牛窓ヨットハーバーです。丘と海にずらりと並んだ白いヨット、とても日本とは思えない景観です。その収容能力は460隻で、西日本最大級とか。船体の形をしたクラブハウスがあり、こちらでは会議室やシャワー室、レストランもありました。

ホテルリマーニ

次に向かったのが、ホテルリマーニです。ランチをしようと思いました。ちょうどこの頃、雲の切れ間から強烈な陽の光が差して来ました。白い洋風の外観はさらに白く照らされて異国情緒たっぷりです。
船が行き交う瀬戸内の海を眺めながら頂くランチは、最高でした。最後にコーヒーとスイーツをいただいて、ゆったりした時間を過ごすことができました。女性のスタッフの方に、黒島ヴィーナスロードのことを尋ねてみました。干潮のとき、3つの島(黒島、中ノ小島、端の小島)に砂の道が現れ、歩いて渡れるようなのです。この方はブライダル担当で、結婚式の前撮りで行かれる方も多いと話されていました。砂浜を歩ける日と時間は、決まっており、このホテルから専用の船が出ているようです。



瀬戸内市立美術館に寄ってみました。


美しい外観です。


絵になります。


ロビーから


ランチは最高でした。コーヒーは南部鉄器の鉄瓶で注いでくれました。

本蓮寺

ランチのあと向かったのが、本蓮寺です。山門を潜ると右手に歴史を感じさせる石段がありました。
その先、中門(国重文)を潜ると、その向こうに、本堂(国重文)や三重塔が姿を現します。境内は、小規模ながらまるで奈良の寺院にでもいるような錯覚を覚えさせます。眼下に海が見え、日本で最も海に近い三重塔だとか。この本蓮寺、江戸時代、朝鮮通信使が4度にわたって宿舎として利用した、朝鮮通信使の遺跡となっています。



山門です。


お堂の屋根が素晴らしい。何焼きでしょうか?


国の重要文化財指定の本堂


三重塔


眼下に瀬戸内海の穏やかな海が広がる


朝鮮通信使も宿泊

しおまち唐琴通り

このあと、牛窓の町並み(しおまち唐琴どおり)を散策しました。特に白壁の土蔵や、歴史の有る建物が連なっているわけではありませんが、人が住むぬくもりが感じられます。
少し歩くと、ここからの振り返った景色が一番と書かれた、小さな案内板があり振り返ると、なるほど、右手上の方に本連寺の塔が見え、なかなか絵になるカットだと思いました。
街中で幟を立てている中年の男性に声をかけられました。
「どちらからお出でになりましたか?」と訊かれたので、井原からです!と答えると、以前、私の勤務する会社に仕事で行っていたとのことで、びっくりしました。。



江戸時代から昭和の町並み


どこか人のぬくもりが感じられる


ベストポジションです。


路地にあった井戸。現役です。


牛窓海遊文化館

牛窓神社

最後に向かったのが、牛窓神社です。牛窓海水浴場横の363段あるという正面参道(石段)を登るのが正式だとは思うのですが、駐車場もあるようなので、車で向かいました。
本殿前の空き地に車を停めると、テントで仕切られたお休み処には、冷水の接待がありました。蚊が多いようで蚊取り線香も炊かれていました。まずは手を清めようと、手水舎に向かうと、下の砂利には何と赤いカニが数匹いました。
面白いのが、横に大きく書かれた注意書き。
「手水舎では、顔・頭・体・足 洗わないでね」これには思わず笑ってしまいました。本当にこんな、ばちあたりがいるのでしょうか。
でも、参道の上り口横が海水浴場なので、海水浴を楽しんだ後、ひょっとしたら上まであがってきて、きれいな水を見て、つい洗いたくなった、というのも、少しだけわかるような気もしました。
(牛窓 おわり)



立派な拝殿


手水舎


カニがいました。


注意書きがおもしろい


立派な本殿です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高知県室戸市 吉良川の古い町並みを歩く 令和元年8月25日(日)

2019-09-04 21:46:55 | 古い町並み
北川村モネの庭マルモッタンで青い蜂ブルービーと青いスイレンに出会えて気をよくしたあと向かったのが、吉良川の古い町並みです。
室戸岬に向かう海沿いの国道55線をひたすら走ること20分少々、目的地に到着です。こちらは2回目の訪問でした。
前回は、町並みの一番手前にある大きな案内板のある駐車場に車を停め、町中まで随分歩いた記憶があったので、今回は事前に調べ、中ほどに位置した海沿いの第1駐車場に停めました。20台ぐらいのスペースがありました。

国道を横切り、小路を進むと、白い土蔵が視界に入ってきます。その土蔵、他では見ることのない独特の仕様になっています。
漆喰の白い壁を何層もの水切り瓦がぐるりと取り囲んでいるのです。

通り(旧土佐街道)に出ると、人影はほとんどありません。真夏の暑い時間帯なので無理もありませんが、個性的な造りの町並みには独特の存在感があります。
しかし観光客と思しき人は、たったひとり、私と同じようにカメラを手に、歩いていました。
町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
資料によりますと、この白い漆喰壁の町並みは、吉良川で廻船業が盛んになった明治中期に形成されたようです。吉良川産の備長炭を舟で京阪神に運び、帰りに日用雑貨品を積み込み、富を得た商家が、浜地区と呼ばれる旧道沿いに家を建てたのだそうです。

一番、趣が感じられるのが、御田(おんだ)八幡宮への参道の入り口付近です。坂道の向こうに石の鳥居が見え、両側に漆喰の商家が立ち並ぶ、景観的にもこのあたりが一番だと思います。
ただ、一軒、おしゃれなカフェがありました。実は、前回も入ろうかどうしようかと迷ったのですが、今回も時間の関係で入ることをあきらめました。
最後に、路地を山側に上り、民家を撮影することにしました。いしぐろと呼ばれる独特の石垣で、浜辺や川原で拾い集めた石を積み上げているのです。

室戸は、昔から台風銀座と呼ばれ、風雨にさらされてきました。いしぐろは、台風の暴風雨から家を守り、雨がやめば、早く乾いて家を湿らせない生活の知恵なのだそうです。
たった30分ほどの滞在でしたが、雰囲気は十分堪能することができました。今度来れるのはいつの日か、そう思いつつ、最後の目的地、高知市五台山の竹林寺に向かいました。



国道沿いの吉良川まちなみ駐車場 右手奥が古い町並み、左が太平洋です。


小路に入るとすぐに目に入る白壁の水切り瓦


板戸がしっかり閉じられています。誰も住んでいないのでしょうか?


往時をしのばせる町並みです。


御田八幡宮への参道 絵になります。


素晴らしい白い漆喰壁です。水切り瓦がとてもきれいです。


おしゃれなカフェがありました。


少し覗いてみました。


中庭がありました。落ち着いた佇まいです。


お気に入りの一枚です。白壁がきれいに塗りなおされています。


民家の石垣です。石を割って積み上げています。


帰りに海辺を覗いてみました。室戸岬灯台まで20分、14kmです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い町並みを歩く 岡山県倉敷市玉島 令和元年6月17日(月)

2019-07-14 20:57:46 | 古い町並み
岡山県のアジサイの名所とし知られている倉敷市の種松山西園地を訪ねました。
アジサイ園の規模としては、さほどでもありませんが、水島工業地帯や瀬戸内海を見下ろす眺望はすばらしいものがあります。
春には、山全体にソメイヨシが咲き乱れ、多くの市民で賑わいます。
こちらには、アジサイを目的に訪れたのは初めてでした。
アジサイ園の斜面には、遊歩道が何本か設けられており、海を眺めながらの散策は、とても気持ちのよいものです。



【種松山公園西園地】


この公園には、13,000本のアジサイがあります。


アップで撮ってみました。


アジサイは傾斜地に植えられています。


ほんとにきれいですね。


ゆっくり歩くと気分も癒されます。


遠くに海が見えます。素晴らしい眺望です。

続いて向かったのが、倉敷市玉島地区の古い町並みです。
倉敷の古い町並みというと美観地区の、倉敷川周辺、本町、東町をすぐに連想してしまいますが、それらは、外観は昔の面影を維持しているものの、多くは土産物や雑貨を売る店、レストランに生まれ変わっています。
それに比べ、玉島地区の町並みは、重要伝統的建造物群保存地区には指定されていないものの、通りのところどころに往時の賑わいを感じさせるような立派な町屋が多く残りどこか生活感があります。それらを全部一箇所に集めることができたなら、とても見事な町並みを形成することができるでしょう。
とにかく町全体がレトロな雰囲気に包まれています。
特に溜川(ためがわ)の水辺の風景は、何ともいえません。
高い土手のようなものはなく、川と昭和レトロな家並みとの一体感は独特の美しさを感じさせてくれます。


【玉島の古い町並み 矢出町】


江戸時代、最初に船着場が築造されたのがこの辺りだそうです。
左の建物が当時の大庄屋・柚木家(ゆのきけ)の旧宅「西爽亭」です。


長屋風の建物がありました。

【通町商店街】


商店街の入り口にやってきました。


平日ということもあったのでしょうが人影がありません。
ちょっと寂しいですね。昭和レトロ感が漂っています。


右手に本町の町並みがみえました。こちらもいい感じです。

路地に迷い込んでしまいました。

空き地で、アゲハチョウを見つけました。


こちらは、なあに?と振り返るシャムネコ

【溜川(ためがわ)】


どこをどう歩いたのか運河のような場所に出てきました。溜川です。


ドラム缶で浮かせた橋を見つけました。その名も「ドラム缶橋」というのだそうです。
横一列にドラム缶が三本、タテに35列あります。全長48m。
歩いてみると、思った以上に安定していて怖くありません。昭和48年に架けられ61年に改修されたそうです。


川にせり出した民家がどことなく絵になります。


美しい水辺の風景です。水彩画のいい被写体になりそうです。


新橋の水門です。石造りの水門と橋の調和が見事です。


水島港付近までやってきました。

次は、お目当ての古い町並み、仲買町と新町を歩きます。


【玉島の古い町並み 仲買町】



橋を渡って仲買町にやってきました。


三叉路のところに存在感のある建物。旧玉島信用組合のビルです。1935年に建てられました。


町並みです。道路はご覧のように狭く、やっと車が交わせる道幅です。


玉島味噌醤油合資会社 

仲買町は、玉島港で荷揚げされた物品を卸売りする仲買人が多く店を構えたことからこの町名がついたそうです。通りには、江戸時代から明治時代の風格ある建物が軒を連ねています。


菊地酒造の建物。地酒日本酒「燦然(さんぜん)」はフランスの日本酒コンクールで金賞を受賞したそうです。(2019.6.3)


白神紙商店-室屋(越前屋跡)
明治4年、初代白神仲次郎が屋号「むろや」として始めた紙の卸問屋です。


通りの向こうに見える小高い山は、住吉山公園です。


石段を登ると仲買町を俯瞰することができます。


【古い町並み 新町】

新町は、かつて潮止堤防の上に築かれ問屋街として栄えました。


西国屋の土蔵は風格があります。


小路が奥に続いています。


向三宅邸


新町の町並みです。


通りを抜けると、ご覧のような美しい山車を見つけました。

【羽黒神社】

栄町商店街で赤い鳥居のある自動車道を登ってみました。羽黒神社です。
神社のある羽黒山は、その昔、瀬戸内海の小さな小島だったそうです。



三基の神輿が安置される神殿


羽黒神社本殿(左)


マスコットは、からす天狗にちなみ、ゆるキャラ「はぐろん」です。


ご覧のような急こう配の石段

古い町並みの散策を終え、最後に向かったのが、円通寺です。

【円通寺】


円通寺の下側にあるのが、国民宿舎良寛荘です。


円通寺にやってきました。大きな日本庭園がありました。


池に赤いスイレンが花を咲かせていました。


円通寺本殿です。良寛が修行したお寺として知られています。
茅葺きの屋根が特徴です。


良寛堂も茅葺きです。


本堂入り口です。


最後までご覧いただきありがとうございました。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日記 鞆の浦の古い町並みを訪ねて 令和元年6月11日

2019-07-10 00:20:59 | 古い町並み
久しぶりに鞆の浦を訪ねました。
時刻は昼過ぎでした。
家を出たころは、まさに曇天でしたが、鞆の浦に近づくころ、あっという間に青い空が広がりました。
願ってもない撮影条件でした。

【明王院】
鞆の浦への道すがら、国宝の本殿と五重塔を持つ明王院に寄ってみました。


山門です。

明王院は福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院です。
寺の創建は、平安時代前期と言われています。


国宝 明王院本堂 鎌倉時代の建立です。


国宝 明王院五重塔 南北朝時代の建立です。


五重塔の後ろにアジサイの花が咲いていました。


本堂と五重塔をセットで撮ってみました。

【鞆の浦】 

お馴染みの看板です。


鞆港 お馴染みの景観です。


レトロな町筋 


常夜灯前です。
も少し近くで撮りたかったのですが、ベンチで数人の地元のお年寄りが談笑をしていたので遠慮しました。一等地で長時間居座るのは、困りますね。
もともと観光客用のベンチだったと思うのですが...


太田家住宅の前では、プランターにハナショウブが植えられていました。


医王寺からの眺望です。空のブルーがとても美しいですね。


中心に常夜灯を入れてアップで撮ってみました。


鐘楼前のベンチから見る鞆の浦は最高です。


弁天島と向こうに仙酔島 中央のホテルが目立ちます。


鞆城跡に建つ福山市鞆の浦歴史民俗資料館です。


こちらから見る鞆の浦も絶景です。


太田家住宅付近の甍です。小さく常夜灯も見えます。


町並みの一角のお店の前でポニョを見つけました。


鞆の浦の代表的景観です。さっきのご老人が見えないように一番下から撮りました。


太田家前の町並みは、とても美しいですね。


街角のレトロな雰囲気のお店です。軒先に大きな竹輪がぶら下がっていました。


福山市営渡船場の2階にあるカフェshionのカウンター席で一休み


アイスコーヒーをいただきました。


平成いろは丸が仙酔島から帰ってきました。


仙酔島に遠足に行っていたようです。大勢の園児の姿が見えました。

今回の所要時間は、2時間ほど。散歩にはもってこいです。
癒されに出かけてみませんか!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史と文化の香る町 備中の小京都・高梁市を訪ねて その1 頼久寺周辺を歩く 令和元年(2019)5月7日(月)

2019-05-18 23:44:42 | 古い町並み
私の住んでいる井原市のお隣の町、いつもは通過点の高梁市を訪ねることにしました。天気がよかったので頼久寺庭園を久しぶりに撮影したいと思ったのです。



井原市から高梁市に入ったところにある段々畑に放牧された和牛


【頼久寺】

城郭のような頼久寺の外観


山門 頼久禅寺と表札がありました。


山門から入って境内の左手に見えるのが薬師堂

自宅からの所要時間は、40分ほど。車は直接、頼久寺駐車場に入れることができました。
時刻は、10時半過ぎ、連休明けの平日とあって、参拝者もぐっと少なく、ほぼ独占状態で撮影をすることができました。


この庭を作庭したのは、武将茶人でもあり作事奉行でもあった小堀遠州といわれています。遠州作と伝えられている庭園は全国あまたありますが、この頼久寺庭園は、父のあとを継いで備中国奉行となった遠州がこの寺を仮の住まいとしていたようですから間違いないでしょう。
この枯山水庭園の一番の特徴は、何といっても書院左手の山畔に配されたサツキの大刈込みです。
大会の波「青海波(せいがいは)」を表現しています。ただサツキも生き物。人の手による剪定で、過去の写真と比較すると微妙に形が変わっていることがわかります。
そして、庭一面に敷き詰められた、美しい波紋を描く白砂。中央に鶴島、後方に亀島を配しているのも遠州の庭の特徴です。
この頼久寺庭園、江戸初期の作庭当時に近い状態で保存されているため、遠州の世界観を今に伝える貴重な庭園となっています。



庫裏から入ったところで書院を見る


桃山期の面影が残る美しい枯山水


庭一面に敷き詰められた美しい波紋を描く白砂は大海を表しています。


鶴島 石の配置によって鶴を表現しています。その背後に亀島があります。


鶴島から書院方向を見る


サツキの大刈込み 大海の波「青海波」を表しています。


丸窓から見る庭園


書院からの眺め

【石火矢町ふるさと村 武家屋敷 旧折井家】
次に、向かったのが歩いて5分ほどの石火矢町ふるさと村です。土塀が連なり往時の面影を残しています。時刻は11時15分ごろでしたが、この一角に校舎があるのでしょうか、通りを歩く大勢の高校生と遭遇しました。この通りには二つの武家屋敷があります。最初に入ったのが、旧折井家でした。
長屋門に入るとすぐ右手に、元仲間部屋の受付があります。そしてその先に質素な母屋があり、中を覗くと主人、妻、子息の3体の人形が並んでいて、初めての人はドキッとするでしょう。母屋のさらに奥に庭園に面して、きれいな資料館が建てられています。
この武家屋敷は今から約180年前の天保年間に建てられたもので200石前後の武士が住んでいたようです。



石火矢町を紹介する立て看板


土塀のつづく通りは風情があります。


旧折井家長屋門


座敷に置かれた人形にはドキッとします。


平屋の質素な作りです

【武家屋敷 埴原家】
次に向かったのが、もう1軒の武家屋敷・旧埴原家です。門を入ると左手に受付があります。入館料は旧折井家と共通で400円でした。建てられたのは江戸時代中期から後期にかけて、120石から150石取りの武士の住宅です。
旧折井家と比較し、随分立派に感じます。座敷に上がると、違い棚、付書院には火燈窓、数寄屋風の珍しい造りとなっており、市の重要文化財の指定を受けています。
二つの武家屋敷を見たあと、高梁キリスト教会堂も気になっていましたが、先に天空の山城、備中松山城に向かうことにしました。つづく



埴原家入り口


座敷 数寄屋風の見事な設えです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする