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未熟なカメラマン さてものひとりごと

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岡山市 撫川・庭瀬を歩く(最終話)

2013-03-04 22:04:51 | 古い町並み

川野屋醤油醸造場はどこか郷愁を感じさせる風情があります。

 庭瀬往来を歩いていると、民家の向こうにあの羽釜うどんの幟が見えました。お昼はいっぱいだった駐車場も、この時刻にはもう空いているだろうと、県道につながる路地を進むと、なんだか懐かしい感じの屋根が波打つ川野屋醤油醸造場と書かれた古い建物がありました。横目に見ながら県道に出ると、タヌキが羽釜に入り、頭に木の蓋を乗せたとても大きな愛らしいキャラクターが見えます。駐車場は、予想通り空いていました。羽釜うどんの幟が目立ったため、店名はよく見ていませんでしたが、改めて見ると「あなぶき家」とありました。
 このお店は、店名でもわかるように、あなぶき興産グループの穴吹エンタープライズ株式会社が昨年の5月に、岡山県で初めてオープンさせた、讃岐うどんのセルフ店です。名物は、カルシウムの入った特製の麺。店内の特性羽釜を使って茹で上げています。コシはあの丸亀製麺より少し柔らかめで弾力があります。お値段もセルフならではの低料金、味もなかなかのものでした。

 こうしてお腹を満たし、陣屋町の町並み散策再開です。再び庭瀬往来に戻って東に進むと、前方の町並みのそれらしい雰囲気がだんだんとなくなり、この辺で終わりかなと、南方面の路地に目をやると、木製の大きな常夜灯が目に入り、そちらに進むことに。常夜灯あたり一帯は広く整備されていて比較的大きな水路もありました。案内板には、旧庭瀬港とありました。規模は当時のものと比較しかなり小さいもののようでしたが、近年、常夜灯と旧庭瀬港が復元されたということのようです。

ふと、背後に目をやると、立派な格式のある民家もありました。この辺で、本日の撫川・庭瀬散策を終了しようと、車を停めている庭瀬城址に戻ることにしました。途中で見る水路の多さとお寺の多さに感心しながら適当に路地を歩いていると、なんと方角を見失ってしまいました。これは困ったなと思っていると、遠くにある道標が目に留まりました。随分、東に来ていたようです。
庭瀬城址公園に戻り、次に向かったのが、吉備津神社です。ナビのまま進むと、信じられないような山道に入っていきました。途中で引き返そうと思いましたが、方向転換もままならず、覚悟を決めて前進あるのみで、急な山道を進むとなんとか山を越え、吉備津神社付近に出ることができました。
 
 吉備津神社、急な石段を登ると山門があり、国宝の本殿が見えてきます。近年改修が行われ、屋根がとても美しいのです。少ない梅は見ごろを過ぎており、被写体も他にはなくお気に入りの長い回廊を歩いて行くと、正面の行き止まりに、愛らしいネコが一匹いました。写真を撮ろうと近寄ると、のっそりのっそりと、足の下にやって来て坐り、リラックスしている様子。なんと人懐こいネコでしょう。人をまったく怖がる様子もありません。

こうして、本日の撮影を終了し、家路に着くことにしました。
 撫川・庭瀬の見どころとしては、他に犬養木堂記念館があります。このことはあとで気づきました。庭園もあるようなので、次回の楽しみとしておきましょう。

 撫川・庭瀬地区のように、国の重要伝統的建造物保存地区の指定を受けるほどでもなく小さな昔の情景を留めている町並みが、県内にまだまだあるようです。今後はそういうところを少しずつ訪ねて行きたいと思っています。 

 次回は、3月3日の香川県梅の名所巡りのお話です。



吉備津神社 回廊で見た人懐こいネコ
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岡山市 撫川・庭瀬を訪ねる その2

2013-02-25 22:27:02 | 古い町並み

庭瀬往来に設置された真新しい道標

(前回のつづき)
RSKバラ園から庭瀬駅にナビをセットすると、2.8キロと出ました。バラ園前を南に下り、次の162号線との交差点を左にとって足守川を渡るともう庭瀬です。このあたり信号も多くて道路もやや渋滞気味です。ちょうどお昼どきで、「羽釜うどん」と幟の立ったうどん屋は駐車場もいっぱいでした。よし、お昼はここにしようと思いましたが、最初の目的地、庭瀬城址はいったいどの方角にあるのかさっぱりわかりません。

庭瀬駅方面に進み、途中で検討をつけて右折すると、クランク気味の道路が極端に狭くなってきました。とにかく進入禁止の標識だけに注意して進むと、池のようなところに出ました。なんと一発で目的地に到着したようです。周辺の道路は、下水道工事で工事車両が出たり入ったりとしていましたが、なんとか公園の空きスペースに駐車することができました。いざ、散策スタートです。
資料によりますと、庭瀬は、岡山市北区南西部の一地区で、旧庭瀬町は1937年(昭和12)に撫川(なつかわ)町と合併し吉備町となり、1970年(昭和45)に岡山市に編入されました。庭瀬地区は庭瀬川左岸にあり、右岸の撫川地区とは対向集落をなした、とあります。この庭瀬川がどこで、どこからが撫川地区でどこからが庭瀬地区なのかよくわかりませんでした。

庭瀬城址は、公園になっていて、夏の池には大賀ハスがきれいな花を咲かせるそうです。次に撫川城址に向かいましたが、ここは、まったくの住宅地の中にあり、こんなところに城跡があるとは想像もつきません。それでも住宅街を抜けるとそれらしきものが目に入ってきました。小さなお堀があり、最近できたのでしょうか、真新しい石橋を渡ると撫川城址です。庭瀬城址と比べると随分規模も大きいようです。堀にかかる石垣が、なんとか往時の面影をとどめています。
 撫川城址を出て、次の目的地、庭瀬往来を目指しました。このあたりは水路が多く、昔は地の利を生かしてイグサの栽培が盛んにおこなわれていたようです。途中道に迷いましたが、新しい道標を頼りに道を進むと、庭瀬往来に出ました。平成16年から、地元と岡山市が協力して「庭瀬・撫川歴史と文化のまちづくり協議会」が発足し、町並みの整備事業に取り組んでいます。

 庭瀬往来を歩いているとお寺が多いことに気づきます。通りに立派ななまこ壁やむしこ窓(虫籠窓)、黒漆喰壁や木格子などが残る約40軒の伝統的様式の建物が見えます。「薬」と木をくり抜いて作られた薬屋の看板の町家の奥を除くと、伊東ゆかりのポスターが貼られていました。レトロな道具類がずらりと並んでいて、よくこれだけ集めたもの、と感心しました。一番趣きがあるのが、味噌・醤油製造元の川野屋あたりでしょうか。風格のある町屋が三軒続くたばこ屋あたりも見事な景観です。ふと、通りの向こう側にあの羽釜うどんの看板が目に入りました。(つづく)



めずらしい板をくりぬいた薬の看板
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ベンガラ色の家並みが続く吹屋を訪ねて=岡山県高梁市=

2012-09-11 22:38:15 | 古い町並み

町並みから吹屋小学校に向かう坂道の脇にある食堂の田舎そばは絶品です。

9月2日の日曜日、青空が見えたので、久しぶりに高梁市吹屋の町並みを訪ねました。醍醐桜(場所の確認)と勝山の町並み、神庭の滝などの真庭市と、どちらにしようかと直前まで迷っていましたが、結局、近場を優先し、吹屋にしました。近年、道路が整備されたので非常に行き易くなりました。広い駐車場も整備されて、受け入れ態勢も十分です。

途中で、広兼邸の案内板が見えたので、先にそちらへ寄ってみることにしました。カーブの多い狭い山道を進むと、山の中腹にこつ然と姿を見せる広兼邸。その石垣の重厚さと存在感は圧倒的で、まるで城郭のようにも見えます。横溝正史の小説「八つ墓村」の映画化に伴い、たびたびロケ地として使用されていることは有名な話です。駐車場から、坂道を登ると、脇の石垣から赤と白の花をつけたハギが交互に垂れ下がり、季節感を感じさせてくれます。そして正門の前まで来て、眼下に目をやると、素晴らしい眺望です。下の駐車場にボンネットバスが入ってくるのが見えました。吹屋では、片山家住宅が、国の重要文化財に指定されていますが、同じ江戸時代後期に建てられたこの広兼邸が、どうして指定されないのかいつも不思議に思います。見学を終えて、駐車場まで戻るとボンネントバスにお客さんが乗り込んでいました。当然のことながら、エアコンは無いので窓はすべて開放。扇子やうちわは必需品のようです。

このあと、吹屋の町並みで食事を摂ることにしました。お目当ては田舎蕎麦。私の勤務する会社でとても蕎麦好きの方がいて、どこの蕎麦がおいしいか、いつも話題になりますが、この休憩所の田舎蕎麦が最高とのことでしたので、今一度、その味を確認しておこうと思ったからです。(ということですが、実はこちらのお店、個人的には3度目になります。)季節的にざるそばでもと思いますが、こちらでのメニュー、田舎蕎麦はあってもざる蕎麦はありません。この田舎蕎麦、具がいっぱい入っていて、素朴ですがなかなかの味わいです。450円というお値段もうれしいですね。時刻は午後2時を過ぎていましたが、お店には先客が5名いました。

お腹が膨れたので、町並みの観光の定番、吹屋小学校と、遠目にラフォーレ吹屋を見た後、町並みを散策しました。
通りの真ん中あたりに、ブルーシートをかけて修復している建物があって、町並み全体を撮ろうと思っても、どうしても視野の中に入ってしまうので、とても残念に思いました。町並みには少ないながらも、観光客の姿がありました。少しカーブして下る通り。ベンガラ色に統一されて続く町並みには、いつもながら心を癒される感じがします。



吹屋の町並みには心を癒される感じがします。
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高知県室戸市安芸市を訪ねて その1-吉良川の町並み-

2012-07-17 20:55:19 | 古い町並み

粋な暖簾のカフェ

連休中の天気予報は、曇り時々雨でかんばしいものではありませんでしたが、暑い夏の季節、このくらいの方が、カンカン照りよりはましかも、と出かけることにしました。今回の訪問先は、高知県安芸市です。武家屋敷の残る土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる家臣たちの屋敷跡、岩崎弥太郎の生家、安芸市のシンボル・野良時計、そしてモネの庭で有名な、北川村の「モネの庭マルモッタン」です。そして、いろいろ調べて行くうちに、もう少し先の室戸市吉良川町に、重要伝統的建造物群保存地区の「吉良川の町並み」があることに気づきました。これははずせないな、ということで、まず一番遠い吉良川の町並みを訪ね、そのあとモネの庭、そして安芸市を訪ねるという、かなりの強行軍となってしまいました。

笠岡ICから高速に乗って、南国ICで降りますが、流れに合わせて走ると、井原からこの間の所要時間が約2時間、ここから、吉良川町までさらに1時間半かかってしまいました。瀬戸大橋を渡るころには晴れ間ものぞいていましたが、トンネルを抜け南に行くにしたがって、空はどんよりとして、今にも雨が降ってきそうな天気になってきました。ということで、降らないうちにひとつでも早くにと、とにかく焦っていました。
55号線は、ときどき右手に太平洋が見え、なかなかの快適道路です。
そして、やっと吉良川の町並みに到着しました。大きな「重要伝統的建造物保存地区」とかかれた看板が目を引きます。ここに20台ぐらいの駐車場がありました。
町並みは、とても閑散としています。私の他に観光客の姿は一名のみでした。こちらの町並みの一番の特徴が、水切り瓦と呼ばれる壁の途中にある何層もの瓦。太平洋に直に面している町。そういえば、昔、甚大な被害をもたらした室戸台風というのもありました。これらのはげしい暴風雨から家々を守るための、このような先人の知恵と工夫が随所に見受けられます。
他の重伝建地区に見られる町並みとどこか趣が異なります。観光客をあて込んだ喫茶店やお土産物のお店は、ほとんどありません。現代の静かな町並みという感じですが、ところどころ白壁の土蔵や町屋が点々とあるぐらい。と思いきや、一軒だけ、旧家と土蔵を活用した、とてもしゃれたお店がありました。時間があれば、是非、おいしいコーヒーで一服したかったのですが、なにせ、天気が気になり、ここはパスすることに。この白い漆喰壁の町並みは、吉良川で廻船業が盛んになった明治中期に形成されたようです。吉良川産の備長炭を船で京阪神に運び、帰りに日曜雑貨を積み込む。富を得た商家が、浜地区と呼ばれる旧街道沿いに家を建てたのです。
町並み館でいただいたパンフレットに、「石ぐろ」と呼ばれるこの地方独特の石垣が載っていました。それではと、路地を少し入り坂道を登ると、この「石ぐろ」を配した通りや民家が随所に見受けられました。

この石は、浜辺や河原で拾い集めたものだそうです。こうして急ぎ散策すること約30分。とにかく、雨が降らなくてよかったと、次の目的地「北川村 モネの庭 マルモッタン」に向かいました。(つづく)



御田八幡宮への参道付近は、景観が素晴らしい
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伊予の小京都・大洲 最終章 ポコペン横丁から大洲城へ

2012-06-16 12:24:21 | 古い町並み

見ているだけで懐かしくなる。(ポコペン横町)

臥龍山荘を堪能したあと、町並みを散策しながら大洲城まで歩いて行くことにしました。まず遭遇したのが、ポコペン横丁なる一角。懐かしい昭和30年代の町並みが少しだけ再現してあります。楽しいお店もいっぱい。子どものころに遊んだ玩具や、琺瑯看板。駄菓子やいろんなこまごましたものが販売されていました。ひときわ目を引くのが、ぺこちゃん人形。ポコペン神社の中にあり、こちらでは、おみくじも引けるようです。この横丁、毎週、日曜日だけの営業です。
そして、その隣にある赤いレンガの建物群が、おおず赤煉瓦館。もと大洲商業銀行です。すでに、百年以上経過しているのに、このようにきれいに残されているのが驚きです。ベンチに座っていると、異国の地に来たような感じです。
このあと、前の通りに出ると、作家司馬良太郎も宿泊したという「油屋」というお店。なかなかの風格です。パンフレットを見ると、地元の食材をたっぷり使った、薬膳スープカレーが売りとか。そして町並みを意識した外観の伊予銀行の前を通り、アーケードのある本町筋の商店街を抜けて大洲城に向かいます。この商店街からは、その姿を望めませんが、しばらく歩くと、これは市民会館でしょうか。斬新な建物ながら、相当、色あせています。そしてその背後にそびえるのが、真っ白い城壁の大洲城です。皮肉なことですが、ここから見ると、市民会館とのコントラストでお城の白壁が際立ってみえます。
 今日は、天気が良いので、のども乾き、石垣のある角のお店の自動販売機で小休止、この石垣もかつてのお城の遺構のようです。
 そして勾配のある坂をゆっくり進むと、やっと天守に着きました。風が吹いてとても心地よい感じがします。このお城、もともと鎌倉末期に築城され、先の天守は慶長年間に建てられたといわれています。
その後、何度か大規模改修されましたが、明治維新の後、場内のほとんどの建築物が破却処分されたそうです。本丸の天守・櫓は一部保存されるも明治21年老朽化により、ついに天守は解体。その後、115年あまりを経て、大洲城を愛する地元住民の寄付により平成16年に復元されたものです。



木造で復元された天守が美しい

一番驚いたのが、木造で復元されていることです。近年のお城の再建というと鉄筋コンクリートしか知りませんが、この大洲城、すべて国産の木材を使用しているそうです。このような太い木材が、現代でもあるのかと、そちらのほうに感心しました。木造でこの高さゆえ、建築基準法にかかったとか。中の階段は、松江城などと同じく、上に行くほど、かなりの急こう配となっています。
天守から見る町並みは爽快です。真下に見える肘川には、鵜飼を見る遊覧船が何艘も係留されていました。大洲は、日本三大鵜飼の町、昼鵜飼もあるそうですので興味も湧きます。ちなみに、日本三大鵜飼とは、1に、岐阜県岐阜市の長良川鵜飼、2.ご当地愛媛県大洲市の肱川鵜飼、3に、大分県日田市の三隅川、といわれていますが、3は諸説あるようです。そしてこの地で最も有名なイベントが、8月下旬から10月下旬の期間、肱川の河原で行われる、いもたきです。その歴史は古く300年の伝統があるそうです。東の空に月が浮かぶ頃、心地よい夜風とともに、鍋を囲んでいただく、さといも、油揚げ、こんにゃく、しいたけ、鶏肉。申し込みは、いもたき登録店で、料金は、1人1500円からで、お酒の持ち込みは自由、となっているようです。各グループ、話は大いに盛り上がり親睦の和がいっそう広がることでしょう。
このあと、まちの駅「あさもや」まで引き返し、大洲をあとにしました。(おわり)



鵜飼と、いもたきは大洲の象徴
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