先日の図書館遠征で写真を載せた道の真ん中に立つケヤキの木。
説明のプレートがあるのに気がつき写してきました。
いやぁ、目立つところにあるのに見落としていた。
そうか、歩きながら視線は道路わきではなく、前方に立つケヤキにいっていたのかもしれないな。
あるいはプレート後方の木々に。
「昭和5年頃の琴似本通りの図」を今見ているのですが、
現在ある建物と比べてみると面白い。西区役所あたりは「亀久の湯」となっている。
話には聞いていた「琴似劇場」や「火の見やぐら」の位置も想像できる。
大きな沼地もあったんだ。
○条○丁目とは表記されてないので私の(あそこかな?)とはズレがあるかもしれませんが、なかなか興味深い。
そうそう、それでそのケヤキの木。
すっかり葉も落ち冬姿になってます。
これが樹齢100年を超える木なんだ。
ということは、生育環境によって違いはあるでしょうけど、ケヤキの大木で幹の太さがこれ位だと、
100歳前後と想定してもいいのかな。
ムシコブで登場してた我が家の近くのケヤキの木もなかなか太いのよね。
メジャーとか、幹を両手で抱きかかえて太さチェックし比べたいよな。
あ、しない、出来ない、やりませんけど。
近くには木工所が何か所か。はっきりとした住所も区画もわからないので扇の湯付近はあてずっぽうです。
浄園寺に行くのには小さな橋を渡ってなんて、今の様子からだと想像もつきませんね。
水上通りの「水」とは川のことだそうですから、
なんにもないところにそんな名前をつけるはずもなく、
小川が流れていたんですね。
貴重なお話、ありがとうございます。
奥様にも宜しくお伝えください。
家内曰く、記憶の限りでは、沼地は知らないそうですが、今の浄園寺の前の南北の通りに沿って小川は流れていたそうです。
浄園寺側に行くのには小さな橋を渡っていたとのこと、琴中側から流れてきていたとのことですから、もっと昔にには付近に沼地やメムもあったのでしょうね。
昭和ひと桁台の当時の話を聞けるというと今は80代後半の年齢のひとでしょうか、うまく伝承してくれているといいのですが。琴似にもまだ居るのではないでしょうかね。
ちなみに私の母親(80代半ば)はずっと札幌でして(生まれは停車場通り)、当時の駅前通りの様子などを聞き出すようにはしているのですが・・・結構面白い話が聞けますよ。
昭和50年に第1回西区民マラソン大会開催という記載を発見しまして、どこをどう走ったのかと。
そんなこともあったんですねぇ。
地図に載っていた大きな沼地が現在ではどこになるのか、
それが気になってます。メムと関連あるのかなと。
家内が小学生の頃は(昭和30年代後半)、西市区役所のあたりはうっそうとした雑木林で夜は恐い位でして、道路沿いだけが商店と民家だったそうです。琴似映画館なども覚えているそうですよ。
みどりさんの写真を見せたら懐かしがって当時の話をさんざん聞かされました。
そういえば、昔は宮の森消防署や裏参道の25丁目にあった円山消防署にも火の見やぐらや半鐘がありましたね。