写真上はサントニーニョ教会。内部もサンゴの白い石でできているせいか、明るい。軽石のようにふわっとした小さな穴が見えるところが大理石とは違っている。
写真下はその教会近くの木陰で結婚式向けの写真撮影をする様子。白い鵜ウェディングドレスが南国の光によく映える。
【サントニーニョを片手に踊る】
サントニーニョ像といえば不思議なお祭りがあります。毎年1月第三週の日曜日にグランドフィナーレを迎えるシヌログ祭りです。
セブ島どころかフィリピン最大の祭りとも称されていて、当日はフィリピン全土からダンサーが集結し、思い思いの衣装で手にサントニーニョ像を手に持って踊るのです。踊りの審査もあるそうです。
祭り期間中にはサントニーニョ教会に祀られている本物の像を船にのせて海を渡ったり、町をめぐったりする神輿の渡御も行われるとか。年に一回、ご神体を移動させることで神様にお遊びいただき、人々はその先ぶれや余興としてパレードをする、というのは日本の神社の大祭と構造は同じです。https://ceburyugaku.jp/69911/
ただ、かわいらしい子供の人形を手に大人が踊るというのは、ご神体が愛されキャラなゆえに起こる現象といえましょう。
たとえば手に大仏さまや観音様のミニチュアをもって踊るのは考えにくいですよね。日本にはお面や着ぐるみの伝統もありますが、昨今のゆるキャラブームはともかく、普通は鬼やきつねや獅子や龍、天狗などに神が変化したものが踊る、という風にワンクッション設けています。
そもそも日本のご神体は圧倒的に祟りをもたらすもの。そのご機嫌をそこねないために神様をもてなす意味もあるので「祭りのパレードは神輿の前の先ぶれとして、邪気を払って神様が通りやすくする意味合いがあるものと位置づけられています」と『風土記』にも出てくる神社の宮司から聞いたことがあります。つまり、日本でご神体を模した人形を手に持って踊ったりしたら、天変地異がおきてしまいそう。
ところがサントニーニョはひたすらかわいい。呪わしさがない。
マゼランがセブを訪れてから44年後に、スペイン艦隊がセブ島にやってきたときをはじめ、幾度か侵略者が街を破壊したのですが、マゼランが送ったサントニーニョ像はそのたびに無傷で発見されたことから、「奇跡」の像として、より一層信仰を集めるようになりました。
日本なら、大事にしないとまた街が破壊されるかも、という恐れが動機となりそうですが、そこがセブの市民の陽気さなのでしょう。
話はそれますが、日本が生んだキティちゃん。私にとってはあのおおきくて無表情な顔は、かわいさを通り越して怖さも感じます。でもサントニーニョ像は、どんなに見てもこわくない。しかも神秘性も損なわれてはいないのです。
マントの赤と縁取りの金、子供の姿からは、ひたすら温かいパワーを感じます。まあ、私と相性がいいのでしょう。日本にもこんな神様がいたらなあ。