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ドイツ編8 東の香り、リューベック4 欧州ハンザ博物館へ

2019-04-13 15:05:04 | Weblog

写真上はリューベックの街並み。全体にレンガ造りで高い尖塔を持つ教会が町の中央及び東西に建つ。ハンザ同盟第1の都市として隆盛を極めたこの町では、それぞれの職業組合ごとに立派な教会を建てたことによる。ドイツは全域で世界大戦で爆撃を受けたたため、中世以来の街並みが広範囲で残っていることはあまりないが、この地は爆撃が全域にまでは及ばなかったため、よく保存されている。

写真下は船員組合レストランで食べたポテトの炒め物。ベーコン、キノコとポテトでかりかりに炒め、その上にパセリ(?)が載っている。基本的にどの料理にもポテトを使った料理がつく。塩味がほどよく、ビールのつまみによく合う。

【蒸気機関車も】
リューベックは東ドイツ圏だったのか、と調べてみると予想に反して西ドイツの領域でした。ただここから東ドイツへ向かう蒸気機関車が走っていたので(今も蒸気機関車は走っている)、東ドイツの文化などが流入していたのでしょうか?

 日本でテレビや映画を見ていると共産圏の東ドイツと民主主義の西ドイツはきっぱり国境で分けられていたように感じていたのですが、あいまいで共産圏が入り込んだような都市もあった、ということなのでしょうか? 実際、当地にある欧州ハンザ博物館のリューベックの地域をあらわす言葉として、頻繁に「ボーダー」という言葉が何度も使われていました。

ポーランド映画などを東西の違いは、人の生死をも分けるほど厳しいものだったように思っていたのですが、この地の状態は一体、どう考えればいいのでしょうか?

(つづく)
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