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かぼちゃの花炒め③ コロンブス前の雲南の書籍にあるかぼちゃ

2015-08-30 10:29:25 | Weblog
写真は雲南中南部の文山でよく食べたかぼちゃのスープ。スープはチキン風味の薄い塩味。いろいろな炒めものや辛い食べ物に疲れた舌を癒やしてくれる。ただ、これだけで食べると物足りない。バランスの問題だ。

【『滇南本草』のかぼちゃ】
次にコロンブス以前にかぼちゃが存在していたか。
新大陸到達より56年前の1436年(明の正統元年)。昆明市の東北部にある嵩明県の石羊山出身の蘭茂が『滇南本草』を著しました。
このなかに、かぼちゃを意味する「南瓜」が出てきます。この箇所を見てみましょう。

「南瓜:一名、麦瓜。味は甘く平、性は微寒。脾と胃の二経に入る。横行絡分、小便を利する。(中略)。動気ある者は多く食するはよろしからず。」
(本草必読叢書『滇南本草』陸拯・李占永主編、2013年1月、中国中医薬出版 の白文を書き下しました。)

たしかにあります。そのために『滇南本草』の成書以前に南瓜があった、というわけです(※2)。
ここでは南瓜は「味が甘く、苦みや渋みのない。体の気がぐるぐる回っている人は、多く食べるのはよくない」。
なるほど、かぼちゃの味と体への作用はよくわかります。ただ見た目の特徴には触れられていないため、本当にカボチャのことなのか、決め手に欠けます。

さらに問題が。
この本は蘭茂が母の病気を治そうと雲南の薬草や医療に役立つ食物の効能を調べて著したそうです。雲南の少数民族に伝わる薬草もかなり入っていて500年を経てもなお、医者が手にする重要書の一つとなっています。
ただ来歴を調べると、難しい事実にぶつかりました。
コピー機のない時代のこと。雲南に暮らす多くの人がこの本を書き写しました。そのため原本がわからなくなった上、明末の戦乱で書き写したものも多くが紛失、もしくは灰になってしまいました。それぞれの残りをかき集めて、混乱の静まったころ、篤志家が善本を作ろうと苦戦したものの「内容の差異が甚大」な書物がおおざっぱに分けても3種はできてしまいました。さらに清初までにまとめられた本には図が一つもないため、書かれた名称が何をさしているのか、確定するのが難しいのです。

ちなみにご紹介した上記の文は、清の時代初期の雲南叢書本と呼ばれるものを元としたものです。

※次週の更新はお休みします。
日本はかぼちゃがおいしい季節になりました。有名なかぼちゃプリンを作る店主は「この時期の、北海道のかぼちゃが一番、おいしい」とホクホク顔でした。
コメント
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