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おばあさんのポーポ・上

2010-11-07 17:20:06 | Weblog
写真は昆明の繁華街の道ばたでうっていた「手作り飴・バイタン」。白くて噛むと、粘ついて歯にくっつく。自然の甘みが優しい。口に入れなければ適度に固いので、馬蹄形の金属で上から抑え、トンカチで圧力を加えてかち割って、売る。

【夕暮れ時の風物詩】
 夕暮れ、雲南の都市部を歩くと、リヤカーに大鍋を積んだ、あるいは竹駕籠を背負ったおばあさんに出会うことがありました。たいていは、とてもゆっくりとした足取りで「ポッローウ!」や「バイターン!」などと、語頭に弾みのつけ語尾を伸ばし、音階が上がっていくような独特の口調で客寄せをしています。そして、社宅や学校の前、はたまた人通りの多い4つ角など、おばあさん毎に決まった場所に停止して、集まった人におやつ風食べ物を売るのです。

 そういうおばあさんはたいてい、福の神のようなニコニコ顔でそれほど生活に困った風情が見られません。他の露天売りの人とは一線を画していて、人とのふれあいと、ちょっとの小遣い稼ぎの楽しみのため、という感じなのです。(今のところ、都市部の年金は勤めていた企業が倒産、などがなければ手厚い。今まさに、これも危うい、と専門家は警鐘を鳴らしていますが。)

 ちなみに「ポッロウ」らしき言葉は、「紅肉(標準中国語でホンロウと発音する)」と書くらしく、豚のバラ肉の細切れを唐辛子と醤油、花山椒などでこっくりと味付けしたご飯のおかず、「バイタン」は「白糖」らしく、水飴をひたすら練り混ぜて真っ白にしたものを、適当な大きさに切って量り売りしたもの。味からすると、もち米に麦芽を入れて作った昔ながらのスタイルなのではないでしょうか。

 日本でも、子供の頃に、似たような味の飴をなめたことがありました。なんといった名前だったか? 気になったので調べて見ますと、このスタイルの飴は、江戸時代に盛んに作られていて、中国から伝わったこの「唐飴(からあめ)」と、ポルトガルわたりの砂糖でつくった「金平糖(こんぺいとう)」の2種類が当時、拮抗していたそうです。

 ともかくなめると、とても懐かしく、癒されました。おばあさんの手作りらしく大量生産ではないので、防腐剤などは混じってはいないのでしょう。
(ちなみに上着のポッケに入れたまま忘れはて、帰国の途につこうとしたら、空港でこの飴がひっかかり、係員に尋問されてしまったことも。白い得体のしれない感じが何らかの「麻薬」と間違えられたようです。)

 さて、「らしい」の連発となってしまうのは、おばあさん達は、たいてい、とてもきつい雲南語で、しかも文字が読めない方もいるので、作り方や名称について聞き取ることができにくいためです。

 ちなみにバイタンのおばあさんは今夏、行ったときにも、小西門近くの辻に夕暮れにやってきて、同じ飴を売っていました。やはりニコニコしていました。

参考文献:八百啓介「近世における飴の製法と三官飴」『北九州市立大学文学部紀要74号』(2008年、p37-p47)
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