写真は過橋米線発祥の地といわれる蒙自・南島の中心にある石像。最近、つくられたばかりのよう。
【受験生の夜食】
過橋米線には、雲南では有名な誕生秘話があります。
科挙と呼ばれる官吏登用試験が行われていたころのお話。
超難関のこの試験を突破するためには『論語』などのさまざまな経典を暗記するなど、何年、いや何十年にもわたる刻苦勉励の日々が求められます。一説によると、合格者の平均年齢は36歳とか。当然、妻子ある人も大勢いました。
昆明より南、蒙自県にある風光明媚な湖、南湖。この小島で勉学に励む受験生、張浩には美しい妻がいました。妻は毎日、橋を渡って夫のもとに食事を届けます。けれども夫が食べるころには、美味しい料理も冷めてしまうのでした。ただでさえ、食欲の落ちている夫は痩せていくばかり。
あるとき、家のものが鳥をしめて、土鍋でチキンスープを作り、妻のもとへ届けにきました。まだ野菜などの具は入っておらず、スープはいつもより温かく感じます。よく見ると、スープの表面には鳥の油が黄色く浮き上がり、それが蓋の役割を果たして、スープの熱気を閉じ込めていたのです。その日、夫には熱々の料理を届けることができ、彼も喜んで食べてくれました。
以後、賢い妻は熱々のチキンスープに、米でできたうどん・米線(ミーシエン)と刻んだ野菜を添えて、夫への食事としました。食べる直前に薄切りの素材を入れ込んでも、十分、火が通っておいしく食べられるのです。
食事をもりもり食べた夫は見る見る健康を回復し、勉学もはかどって功なり名をとげたということです。(一説には、地方各省が実施する100人に1人しか受からない年もあったという「郷試」に合格し、挙人となったそうだ。)
この話を伝え聞いた村人たちは「橋をわたって食べるチキンスープの仕立ての米線」を「過橋米線(グオチャオ・ミーシエン)」と呼ぶようになりました。
上記がもっとも有名な伝説ですが、ほかに建水説、文山説、近年では階級闘争説なるものまであるそうなので、次回ご紹介したいと思います。
【受験生の夜食】
過橋米線には、雲南では有名な誕生秘話があります。
科挙と呼ばれる官吏登用試験が行われていたころのお話。
超難関のこの試験を突破するためには『論語』などのさまざまな経典を暗記するなど、何年、いや何十年にもわたる刻苦勉励の日々が求められます。一説によると、合格者の平均年齢は36歳とか。当然、妻子ある人も大勢いました。
昆明より南、蒙自県にある風光明媚な湖、南湖。この小島で勉学に励む受験生、張浩には美しい妻がいました。妻は毎日、橋を渡って夫のもとに食事を届けます。けれども夫が食べるころには、美味しい料理も冷めてしまうのでした。ただでさえ、食欲の落ちている夫は痩せていくばかり。
あるとき、家のものが鳥をしめて、土鍋でチキンスープを作り、妻のもとへ届けにきました。まだ野菜などの具は入っておらず、スープはいつもより温かく感じます。よく見ると、スープの表面には鳥の油が黄色く浮き上がり、それが蓋の役割を果たして、スープの熱気を閉じ込めていたのです。その日、夫には熱々の料理を届けることができ、彼も喜んで食べてくれました。
以後、賢い妻は熱々のチキンスープに、米でできたうどん・米線(ミーシエン)と刻んだ野菜を添えて、夫への食事としました。食べる直前に薄切りの素材を入れ込んでも、十分、火が通っておいしく食べられるのです。
食事をもりもり食べた夫は見る見る健康を回復し、勉学もはかどって功なり名をとげたということです。(一説には、地方各省が実施する100人に1人しか受からない年もあったという「郷試」に合格し、挙人となったそうだ。)
この話を伝え聞いた村人たちは「橋をわたって食べるチキンスープの仕立ての米線」を「過橋米線(グオチャオ・ミーシエン)」と呼ぶようになりました。
上記がもっとも有名な伝説ですが、ほかに建水説、文山説、近年では階級闘争説なるものまであるそうなので、次回ご紹介したいと思います。