松尾芭蕉(1644~1694年)は、三重県伊賀市で生まれ、幼少の頃から29歳まで伊賀市上野赤坂町で過ごしたと言われ、その生家が観光名所となっています。
上野市駅前の銅像
その後1672年に江戸に出た芭蕉は、野ざらし紀行、鹿島紀行、笈の小文、更科紀行、奥の細道などの紀行文を残す旅に出ていますが、その途中たびたび伊賀上野の生家に立ち寄っていますので、実兄のいた故郷を大切にしていたようです。
芭蕉生家
先日、伊賀上野に立ち寄った際に芭蕉生家を訪ねてみると、300年以上前に芭蕉が暮らした家にしては新しいように感じました。
芭蕉生家
よく聞いてみると、芭蕉生家は1854年の安政の大地震で伊賀上野の街と共に被災、幕末に復旧された時点でかなり改築されているようです。
芭蕉生家
生家の西門の外には、芭蕉句碑があり「古里や 臍のを(緒)に泣(なく) とし(年)のくれ(暮れ)」とあり、生家に立ち寄った芭蕉が、自分のへその緒を見つけて、生母をしのんだ句のようです。
芭蕉句碑
芭蕉の実兄から続いた松尾家は、明治までこの地に住んでいましたが、1885年にこの家を売却して転居したようです。
上野城内にある芭蕉翁記念館
説明によれば、内部の間取りはよく保存されていて、芭蕉が住んでいた当時と余り変わってないそうです。
芭蕉の書斎、釣月亭
さて、生家に入った右手にある表の間は、公用に使い、その奥の4畳と庭に面した8畳の座敷はプライベートな用途に使っていたようです。
芭蕉生家、表の間
奥の8畳座敷に面した庭の隅には小さな土蔵もあり、火災の多かった江戸時代、貴重な財産はそこに収蔵していたのでしょう。
つづく
参考文献:松尾芭蕉(阿部喜三男著)
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