野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



8月1日に大阪南港(咲洲)から夢洲に渡る海底トンネル「夢洲トンネル」の開通式があり、北港と呼ばれていた夢洲、舞洲地区と南港地区がつながっています。

ATC前の帆船あこがれ



さて、南港の埋め立ての歴史を調べてみると、今から82年前の1927年(昭和2年)、大阪築港第二次修築計画に盛り込まれた南港埋め立て構想からスタートしたようです。

コンテナ埠頭



実際に、ニュートラムの南港口駅から西地区の埋め立て工事が開始されたのは、1933年(昭和8年)7月からで、埋め立てが完了した土地を大和川国際飛行場とし、そこに木津川河口にあった飛行場を移転させる計画でした。

船の後が木津川河口



それまでの繋ぎの仮設空港が伊丹空港だったのですが、本命の大和川国際飛行場は日中戦争、太平洋戦争に突入したために、1944年(昭和19年)に63ヘクタールが埋め立てられたまま工事が中断しています。

フェリーターミナル



工事が再開されたのは、1958年(昭和33年)からで、大阪経済の地盤沈下を解消するため、重化学工業用地として574ヘクタールを整備することが決定してからでした。

フェリー



翌年には、アラビヤ石油から330ヘクタール(100万坪)の敷地分譲の申し込みがあり、埋め立て事業に拍車がかかっています。

港湾施設とWTC



アラビヤ石油の進出で勢いついた大阪市は、1960年(昭和35年)に、1、2区337ヘクタール、3区368ヘクタール、合わせて705ヘクタールと面積を増やす計画を発表しています。

関西電力南港発電所の煙突



埋め立てには手間取りましたが、1、2区337ヘクタールは、予定通り1965年に完成する目途が立っていました。

ポートタウン東駅前



ところが、1期工事完成直前の1964年(昭和39年)、突然アラビア石油から国の石油政策の変更を理由に分譲契約解除の申し入れが出てきたのです。

つづく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )