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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日の記事からの続きですが、アラビア石油から分譲契約解除の申し入れを受けた大阪市は、1967年(昭和42年)8月に南港を重化学工業用地とする計画を変更し、企業用団地と住宅地ポートタウンの整備計画を発表しています。

ポートタウン



アラビア石油が予定通り進出していれば、現在の南港は石油化学工場がひしめきあう堺臨海石油化学コンビナートのようになっていたのかもしれません。



南港埋め立て計画は、このあとも順次追加されて最終的に937ヘクタールとなり、この面積は神戸ポートアイランド1,2期合わせた826ヘクタールを100ヘクタール以上も上回っています。



埋め立てとともに南港のコンテナ埠頭の整備も進み、大阪万博の前年となる1969年(昭和44年)に完成、フェリー埠頭も1971年(昭和46年)7月にオープンしています。

一部のフェリーがコスモスクエアに移転して寂しいフェリーターミナル



また1978年(昭和53年)には、ポートタウンの一部が完成、住民の入居が開始されているので、ポートタウンは今年31周年となるようです。

ポートタウン



1980年(昭和55年)12月には埋め立て工事とすべての埠頭が完成、翌1981年にはニュートラム南港ポートタウン線も開業しているので、ニュートラムは今年が28周年となります。

ポートタウン東駅



さて、バブル全盛期1988年に決定された「テクノポート大阪」計画に基づき、大阪市は南港にATC、WTCなどの巨大ビルを次々と建設しましたが、バブル崩壊でその全てが破綻したのは有名な話です。

左がATC中央がWTC



2000年以降、土地の定期借地権方式による分譲を導入し、コスモスクエア駅前には大規模なマンションの建設も始まっていますが、南港地区937ヘクタールとトンネルで繋がった北港地区(夢洲と舞洲あわせて780ヘクタール)の今後の発展は、大阪府庁のWTC移転にかかっていると思います。

港湾施設とWTCとポートタウン



南港と北港あわせて1700ヘクタール(17平方キロ:中央区と城東区をあわせた面積とほぼ同じ)もある埋立地の有効利用を図るため、大阪市は全力を上げて大阪府庁をWTCに誘致する行動を起こすべきでしょう。


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