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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



河内長野駅からバスに乗って20分で到着する観心寺には、2年前の6月に一度来たことがあります。



その際のことは以前ブログで紹介しましたが、秋の紅葉を楽しむために2回目の訪問をしてみました。

鎮守堂(重文)



今回は、霊宝館の中で国宝と重要文化財に指定されている文書2点の特別展示と、恩賜講堂の内部が公開されていました。

恩賜講堂



この恩賜講堂は、1928年(昭和3年)昭和天皇即位時に京都御苑に新築され饗宴に使われた会場を、大礼の後に解体しここに移築したものです。

牛滝堂の屋根



移築工事は、1929年11月~翌年5月、南河内地方の青年団などの奉仕により、牛車や人力で河内長野駅から観心寺までの急な山道を運ばれ、再建築されたと伝わっています。

牛滝堂



講堂の内部は通常非公開ですが、この日は特別に公開され、色彩の施された天井や、真珠のブローチようにも見えるシャンデリアが当時の豪華な即位大礼会場の様子を伝えていました。



さて、観心寺の金堂は、大阪府下最古の金堂建造物で国宝とされていますが、1984年に徹底した大修理がされたためか、今では新築された建物のようでした。



金堂の右手にある三重塔を建て掛けのままの堂とした建掛堂(重文)を南側から見てみると、萱葺きの屋根が見事です。

建掛堂



観心寺には楠木正成の首塚があることで知られていますが、金剛山の中腹の千早城から程近い場所にも、正成の首塚と伝わる墓地があります。

開山堂



楠木正成の首塚の右には後醍醐天皇(1288~1339年)の寵妃で、後村上天皇(1328~1368年)の生母、新待賢門院(阿野廉子1301~1359年)の墓所があります。

弁天堂



阿野廉子(三位の局)は、後醍醐天皇の隠岐配流に同行し、隠岐西ノ島にはその在所跡が伝わっていることは8月のブログで紹介しました

観心寺の境内



先日、吉野の後醍醐天皇の御陵に参拝しましたので、開山堂の左手にある後醍醐天皇の皇子、後村上天皇の御陵にも久しぶりに参拝しておきました。

本坊の門とモミジ



京都にある古刹の紅葉も見事ですが、大阪南部にある観心寺の紅葉もそれに引けをとらないくらい素晴らしいものでした。


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