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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



太平洋戦争中に日本海軍の艦艇として活躍した駆潜艇二十二号のことを書いた本を読みましたので、長居植物園の冬バラと一緒に紹介しましょう。<・・・>が本からの引用部分、括弧内はROSSの補足です。

<駆潜艇二十二号(排水量約438トン、全長51メートル、幅6.7メートル、全速限度16ノット)は、軍艦といっても艦首に金色の菊の御紋章を戴いていないので、日本海軍の正式な艦種では、駆逐艦など「軍艦」の仲間には加えてくれない>

<水中聴音器、探信儀などの電波兵器や、爆雷(48発)、8cm水平兼用高角砲、13mm機銃などを装備して、敵潜水艦をやっつける専門の、特技艦としての性能を備えた軍艦であった>

<艦隊作戦行動中、艇体が小さいために敵機から子ども扱いされて、相手にされず、口惜しがって、やけに高角砲をぶっ放してみたが、それでも敵にとどかなくて地団駄を踏んだ>こともあったそうです。

<幹部士官や下士官たちも、あまり武張ったところがなく、七十四人の定員のうち、十七人もの応召の老兵がいたためか、当時の日本海軍のフネとしては、文化的で人間的な艇風が自然に醸されたようであった>

という駆潜艇二十二号ですが、開戦時に横須賀鎮守府部隊として東京湾の哨戒に従事、昭和17年7月にはラバウルを基地としてソロモン方面の船団護衛に当たっていました。その際のある日のできごとです。

<そのとき、後方上空の密雲の中から、聞きなれない爆音が近づいてきた。爆音はあまり多い機数ではないが、かなり低い。「オイ、来るぞ!」艦橋で、誰かが叫んだ>

<「空襲!対空戦配置ニツケッ!」艦長の号令と同時に非常ブザーが鳴り、戦闘ラッパが、明けがた静かな海に鳴り響いた。まだ高角砲も後部両舷の機銃座も、全員配置についていなかった>

<後部右175度方向の低い雲の中から、黒い敵艦爆双発機が一機、手品の舞台でも見ているように突然姿をあらわしたかと見るうち、50mほどにも低く舞いおりて、ひと刷け、機銃掃射で後部から前部へ薙いで飛んだ(中略)>

 

 つづく

参考文献:駆潜艇22号 吉永康平著



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