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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



戦艦大和の内務科分隊長(攻撃を受けた際の応急指揮官)だった今井賢二氏は、戦艦大和の定員2500名のうち砲術科員が950名、機関科員が800名、その他が750名、そのうち防御を受け持つ内務科には70名しか配属されていなかったと書いています。日米海軍の防御体制と鶴見緑地の水鳥を一緒に紹介しましょう。

 

当時の日本海軍には「攻撃は最大の防御なり」という思想があり、戦闘中被弾して火災が発生しても砲術科員、機関科員は持ち場を離れて消火活動することが許されなかったくらい防御は軽視されていたそうです。

 

今井氏は、ミッドウェー海戦でも、日本の航空母艦防御部門は極めて貧弱な体制であったのだろうと書いています。

 

一方、米海軍は、防御部門が充実していて、戦闘中被弾し火災が発生すれば、攻撃を中止してでも消火活動するように決められ、最新鋭の消防設備を使った消火訓練も徹底していたといいます。

 

1942年5月8日、珊瑚海海戦でのアメリカ空母ヨークタウンは、日本軍の爆弾が命中して大火災が発生(日本側は撃沈と報告、1回目)しますが、消火活動で鎮火させ、5月27日にハワイ真珠湾に戻って修理を受けています。

 

応急修理された空母ヨークタウンは、3日後の5月30日にミッドウェー海戦に出撃、その艦載機が日本の空母、赤城、加賀、蒼龍を撃沈しますが、飛龍の航空隊からの爆弾が命中し大火災を起こしています。

 

飛龍の航空隊は、その大火災を見て撃沈と報告(2回目)していますが、ヨークタウンでは懸命の消火活動がおこなわれ火災は鎮火するのです。

 

飛龍からの第二次攻撃隊は、鎮火したヨークタウンを別の空母と見て再び攻撃、魚雷で撃沈と報告(3回目)していますが、それでもヨークタウンは沈みませんでした。米空母の防御機能がいかに優れていたか判ります。

 

翌朝、日本の伊168号潜水艦がアメリカ空母を発見、魚雷攻撃で撃沈したのがヨークタウンでした。米海軍空母の被弾防御態勢は、日本軍に4回も撃沈したと勘違いさせるほど優れていたのです。

 

敵の艦船を沈める攻撃と、味方の艦船を沈没から救う防御とは同じ価値があることを日本海軍は理解していなかったということでしょう。

参考文献:戦艦十二隻から「戦艦大和ミッドウェー防御戦闘」今井賢二著



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