遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   朝 テーブルの上の月見草を見て驚きました。萎れたはずの月見草が咲いている!?生き返ったの??...よく見てもっと驚きました。咲いていたのはあたらしい花  花瓶の水だけで5センチも茎が伸び すこし淡い色になっていましたが ほんのり黄色のはなびらのあえかなうつくしさ......見ているあいだに一輪がしおれていき よく見ると つぎのつぼみがすでに膨らんでいるのです。

   カメラが見つからないのでお見せできないのが残念ですが 生命のちからって想像を絶するところがありますね。さてセンスというと日本語では 趣味がいい 洒落ているよいう意味で使われることが多いようです。けれども英語ではもっとさまざまな意味があります。

1 感覚(機能) 《五感の一つ》
2 (漠然とした)感じ,気持ち
3〈…という〉感じ,意識
4 (美・方向などに対する本能的な)センス,勘,判断能力
5 (知的・道徳的な)感覚,観念,認識
6 正気,意識
7 思慮,分別,常識

  どうやらsenseとは人間の持つ勘のようなもの 目に見えないものを感知する能力 ことに正しいものや美しいものへのアンテナ...のような意味がるようです。わたしは語り手としての修行のなかでこのsenseを磨くことがとてもたいせつだと感じています。

  文字を離れて自分のことばで語るというのは 即興で語るとは一概に言えませんね。作者のある文学作品などは作者への敬意をあらわすためにもそうそうにことばを変えるべきではないと思います。もちろん目で読むことを前提に書かれたものを耳で聞かせようとしたとき違和感があることがありますから 作者の伝えたいことを伝えるためにすこしことばを変えることは許されるのでは...と思ってはいます。
 
  自分のことばで語る...それは生きたことば そして自分の身体と心と魂をとおったことば...という意味ではないでしょうか。そしてそれはつなげる つながる...という意味でもあります。ものがたりが外側にあるのではなく自分とつながっていること ....そしてそのほかのものとつながっていること。語り手は自分のちからで語るのではなく そとから無限の力を引き出して語るのではないでしょうか?

  自分とつながる...それは身体的にいえば 氷のように冷たい水..と語るとき 自分の身体でその水を感じていることです。それは深い森の暗い洞窟から湧き出る水でしょうか...それともさらさら流れる雪解け水でしょうか...その水を身体で感じて語るとき はじめて聴き手は氷のように冷たい水を感じることができるのです。

  心とつながる....語り手はものがたりを語るとき そのものがたりを生きています。暗い森で迷子になった少女の気持ちを語るとき 語り手は知らず知らず幼いころの母と離れたときの不安な記憶をひきだして語ります。...そして深い森の出口 光さす道が見えたとき 語り手は自分の心のひきだしからなにをひきだすのでしょう....おなじものがたりを語ってもそれぞれいろあいも異なり印象も異なるのはそれぞれの語り手がこころの奥底から そしてそこからつながる無限の世界からくみだすものが違う..そのせいかも知れません。

  どのような人生を語り手が送ってきたか そうして今自分と世界とどのようにつながっているか ものがたりは森の澄んだ泉のように正直に写すのです。若いときには若々しい魅力があります。けれども豊かな人生経験をつみ なおそのうえに生き生きした感性を持つ熟年 老年の語り手こそ語りの醍醐味を味あわせてくれるのではないでしょうか。

  古来 語りは一族のなかで長老や特別のものがつかさどっていたものでもありました。さぁ われわれもこれからです。魂とつながる...については語りルネサンスに書いてみようと思います。もうすこし書きたいことがあるのですが 会社から呼び出しのTELがきました。みなさんの今日がたのしく充実した一日でありますように.....


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