23日の語りについてずっと考えています。さまざまな状況のなかでみなさまのお力をお借りし精一杯のものを差し出したと思います。100%満足できることはそうはありません。けれど自分のなかでなにかが違っていたという声がしてならないのです。
なぜ、語るかはひとによって違います。ものがたりによりますが、わたしは天地とつながり、ひととつながる そのありえない震えるような至福を感じたからこそ、語りつづけてきたのでした。けれども、23日はその天地とつながる脈動が希薄だった。それがなぜなのかは今はまだよくわかりません。場所が違っていたのかも知れません。わたしが回路を閉じていたのかも知れません。
すこしずつコンパスがずれてきたのなら、自分が進むべきまっすぐの方向に修正しなければと思います。7年前、語りについて感じた原点に戻るときなのでしょう。わたしは片手で魂の求めることをしようとし、もう片方の手であこがれのあとを追ってきたのでした。追わずにはおれなかったしそれもまたしあわせだったのです。けれどもそのあこがれは地に墜ちてしまいました。
ときに、悲しみがこみあげてきます。でも歩きはじめましょう。試みをつづけましょう。仮に間違えたにしても、しないよりはしたほうがいい。傷ついたとしても試みたほうがいい。いつかはほんとうに求めるところの近くに行き着けるでしょう。もっと慎重に、されど果断に、流されないで、自分のうちなる声を信じて
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