今月の文藝春秋のメインは<総力特集>「昭和の海軍」〔エリート集団の栄光と失墜〕である。
半藤一利、秦郁彦、戸一成、福田和也、平間洋一の座談会である。
海軍の主だった人たちを時系列に挙げて検証をしている。
いわゆるマニアを超えた人たちの座談なのでナカナカ面白い。
出席者の中には、提督たちにじかに会った人もいるが、そういう人たちももう数少なく、そして提督たちは戦後寡黙だったこともあって、なかなか真相というものはつかめない状況にあるみたいだ。
もっとも歴史というのは、その時代に生きた人よりも知らない人のほうが、醒めて的確な判断をするものだと思う。
そういう意味では、福田和也がこの出席者の中では、情にとらわれないでいる。
ということは、まだまだ情が入る歴史になっているのではないかと思う。
海軍は、何故戦争に走ったのか?
負けないまでもいいところでやめる算段はなかったのか?
もっといい作戦(たとえば航空戦力の強化)はなかったのか?
などと検証をしているが、負けるべくして負けた戦争である、というのが私の考えであり、負けて新しい日本となった、という歴史の考え方もあっていいのではないかと思うのである。
先の防衛庁長官が「しょうがない」と発言し辞任をしたが、いまだに日本では戦争の評価が定まっていない、というか醒めたあるいは科学的な眼による歴史というのはまだまだなんだなあと、この座談会を読んで思ったのであった。
6月号の昭和の陸軍と併せて読むと、歴史、ということだけではなく「組織」がどのように陳腐化していくかがよくわかる。
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海軍の主だった人たちを時系列に挙げて検証をしている。
いわゆるマニアを超えた人たちの座談なのでナカナカ面白い。
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もっとも歴史というのは、その時代に生きた人よりも知らない人のほうが、醒めて的確な判断をするものだと思う。
そういう意味では、福田和也がこの出席者の中では、情にとらわれないでいる。
ということは、まだまだ情が入る歴史になっているのではないかと思う。
海軍は、何故戦争に走ったのか?
負けないまでもいいところでやめる算段はなかったのか?
もっといい作戦(たとえば航空戦力の強化)はなかったのか?
などと検証をしているが、負けるべくして負けた戦争である、というのが私の考えであり、負けて新しい日本となった、という歴史の考え方もあっていいのではないかと思うのである。
先の防衛庁長官が「しょうがない」と発言し辞任をしたが、いまだに日本では戦争の評価が定まっていない、というか醒めたあるいは科学的な眼による歴史というのはまだまだなんだなあと、この座談会を読んで思ったのであった。
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