2007新潮文庫の100冊から選んだもの。
あらすじは、裏表紙に書いてあるとおりなので、そのまま書き写す。
町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ主観をこの目で見るために。夏休みを迎え、僕らの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ---。いつしか少年たちの『観察』は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが・・・。喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。
ぼくはこの「清新」というところに惹かれたのであった。
そして、そのとおり「清新」な印象は受けたのではあったが、物語としてはまあ予想どうりの展開で、それほど新しさとか驚きのようなものもなく、スタンド・バイ・ミーのような感じがしたのであった。
といいながら、なにが清新だったのかというと、読み終わったあとの気持ちである。
やっぱり「少年もの」はいいなあ、という気持ちである。
「死」というものに興味を持つ少年たちが、死を考えることで「生きる」ことの意味を考える。
このパターンは多くあると思うがその考え方はさまざまである。
近頃の日本では「死」ということに対してものすごく「敏感」であり「恐れ」が大きい。
それは「死」が身近ではなくなったからではないかと思う。
しかも多くの人に看取られて死ぬのではなく、病院でいわゆる必死の治療の結果死ぬことが多く、そのうえ本当に「必死の治療」だったのかということがその死後も問題となることが多い。
つまり「死」というものは自然なものではなく「人為的」なもののように考えられている。
昔の人は「畳の上で死にたい」という願いがあったくらいに、自然な死に方に憧れ「死」を恐れていなかった。
それは、生きている間に多くの人の死に立ち会ったからではないだろうか。
この物語に登場する少年たちは「死」というものに対してあまり恐れず、それより「どう生きるか」ということに重心を置く生方をするのではないだろうか。
少年たちはすばらしい夏休みをおくったと思うのである。
少年たちの物語や青春の物語のよさは、なんといったって生活について考えることがなく、その分、人生とか今の自分とか将来の自分とか、あるいは他者に対する目、がすごく正直であるということではないかと思うのである。
生活とか自分の立場についてはほっといて、登場人物たちが自分自身はニュートラルの位置にある、と確信をしているところがすごく魅力的なんだと思う。
この物語は1992年に書かれたもので、すでに「古典」の域に入っているようであるが、描かれていることは普遍的なことであり、古い話ではない。
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あらすじは、裏表紙に書いてあるとおりなので、そのまま書き写す。
町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ主観をこの目で見るために。夏休みを迎え、僕らの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ---。いつしか少年たちの『観察』は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが・・・。喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。
ぼくはこの「清新」というところに惹かれたのであった。
そして、そのとおり「清新」な印象は受けたのではあったが、物語としてはまあ予想どうりの展開で、それほど新しさとか驚きのようなものもなく、スタンド・バイ・ミーのような感じがしたのであった。
といいながら、なにが清新だったのかというと、読み終わったあとの気持ちである。
やっぱり「少年もの」はいいなあ、という気持ちである。
「死」というものに興味を持つ少年たちが、死を考えることで「生きる」ことの意味を考える。
このパターンは多くあると思うがその考え方はさまざまである。
近頃の日本では「死」ということに対してものすごく「敏感」であり「恐れ」が大きい。
それは「死」が身近ではなくなったからではないかと思う。
しかも多くの人に看取られて死ぬのではなく、病院でいわゆる必死の治療の結果死ぬことが多く、そのうえ本当に「必死の治療」だったのかということがその死後も問題となることが多い。
つまり「死」というものは自然なものではなく「人為的」なもののように考えられている。
昔の人は「畳の上で死にたい」という願いがあったくらいに、自然な死に方に憧れ「死」を恐れていなかった。
それは、生きている間に多くの人の死に立ち会ったからではないだろうか。
この物語に登場する少年たちは「死」というものに対してあまり恐れず、それより「どう生きるか」ということに重心を置く生方をするのではないだろうか。
少年たちはすばらしい夏休みをおくったと思うのである。
少年たちの物語や青春の物語のよさは、なんといったって生活について考えることがなく、その分、人生とか今の自分とか将来の自分とか、あるいは他者に対する目、がすごく正直であるということではないかと思うのである。
生活とか自分の立場についてはほっといて、登場人物たちが自分自身はニュートラルの位置にある、と確信をしているところがすごく魅力的なんだと思う。
この物語は1992年に書かれたもので、すでに「古典」の域に入っているようであるが、描かれていることは普遍的なことであり、古い話ではない。
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