読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

聖断-昭和天皇と鈴木貫太郎- 半藤一利 PHP文庫

2006-09-07 23:01:43 | 読んだ
半藤一利の近代史、特に昭和の戦争を描いたものは、素晴らしい、と思っている。
毎年1冊は読んでいきたいと思っている。

昭和前期というか終戦までの日本を学ぶのは非常につらい、それは結末がわかっているからである。

破滅に向かってしゃにむに進んでいく日本人たち、どうして止めることができなかったんだろう?という素朴な疑問がわいてくるからである。
今の考え方やものの見方でもって当時の判断や思想を批判するのは簡単だが、それでいいのだろうか、当時のものの考え方や思想をよく理解しないで「平和」を破壊し戦争の犠牲者を多く出した、と批判するのは、的を得ていないあるいは将来に向かってなんの益もないことである。

さて、本書を読むまで鈴木貫太郎という人をよく知らなかった。
凡庸な人、とさえ思っていた。

とはいえ、なぜ2.26事件のときに命を狙われたのか、侍従長というのはそれほどまでの地位なのか、とも思っていた。

本書は鈴木貫太郎を通して終戦前夜を描いたものである。
当時の日本の、破滅へ向かう熱気を、どのようにして終戦へ変えていくのか、鈴木貫太郎がそれを行い、無事にというか上手にというか終戦とし、犠牲者をそこまでとした。

それは「遅すぎた」という批判をする人もあろうが、それは後日の話であって、終戦が早かったか遅かったかというのは、当時の状況をよく踏まえないと軽々にいえないことだと思うのである。

初めっから無駄な戦争だった、という人もいようが、日本のあるいは日本人の平和を暮らしやすい社会を求めてはじめた戦争でもある。
当時、日本だけでなく、いわゆる強国が弱国を侵略していたということが背景にあったのである。

戦って得る平和、ということがあるのではないだろうか?
犠牲の上に成り立つ平和というのがあるのではないだろうか?

とはいえ、戦争というものは悲惨である。
戦場において兵士だけが戦うものが戦争ではないのだから。

鈴木貫太郎は「老齢」ということを自分の弱点を強みに変えて難局を乗り越えた。
そしてまた、若い時分からの生き方身の処し方が「清い」ということと、人間関係に恵まれた(これも無理して作り上げたものではなく、人柄、ゆえの人間関係である)こと、そして信念がぐらつかないぶれないことが、最後の最後に大きな力となった。

若干、鈴木貫太郎に感情移入をしているきらいがないでもないが、この「聖断」は一度読んでおくべきものか、と思うのである。


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