読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

龍(RON)第40巻 鳳花、同胞 村上もとか 小学館ビッグコミックス

2006-03-13 21:36:25 | 読んだ
いよいよ40巻。どこまで続くのか、というのが一番の興味。

龍(RON)、押小路龍は、第1巻で武道専門学校に入り「剣」の道に生きようとする。ということで「剣道」のお話かと思いながら読み進むと、昭和という時代に翻弄されるようになる。

押小路家は貴族(子爵)でなおかつ財閥、ということから龍は非常に恵まれた、つまりは「金」に無頓着な生き方ができる。
この「金」に執着しないヤツはなぜか金のめぐりがいい。

龍は、自分の出生の秘密を知る。
その秘密のひとつが龍は双子、その片割れが「鳳花(ファンホワ)」、そして「鳳花」は龍の「敵」となり、龍と中国清朝の秘宝「黄龍玉璧(おうりゅうぎょくへき)」をめぐって争うこととなる。

とまあ波乱万丈、そんなことあるか!という物語なのだが、龍という人間がバカバカしくも素晴らしく真っすぐなこと、そして龍の妻「田鶴てい」天性の女優という意外な設定とやけに明るいところが魅力で、とうとう40巻まできてしまった。

今号では「鳳花」が死に「黄龍玉璧」の函に何も入っていなかったというところまで、ソロソロ終わりに近づいたのか、という感じもする。

しかし、この物語、どう決着をつけるのだろうか。
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週間 司馬遼太郎 <週刊朝日連載>

2006-03-12 17:26:21 | 読んだ
週刊朝日で連載をしている。
オールカラーで8ページ。

1~6話までが「信長の道」という題で、「国盗り物語」にでてくる場所を写真、文、絵(安野光雅)で紹介している。
つまりは、司馬遼太郎の「街道を行く」をまたなぞって旅をすることと、司馬遼太郎が「街道を行く」の取材や他の取材で訪れたエピソードなどを紹介している。

私は安野光雅の絵が素晴らしいと感じ、またいつか行ってみたいと思って、この頁を破いて(切り取って)クリアブックに保存をしている。

今は(7話から)「世に棲む日日」の長州路を舞台にしている。

さて、私は毛利家や長州藩或いは長州人に対してあまりいい感じを持っていない。
といって、長州人からなにか悪さをされたわけではなく、これまで読んだ本を通じての感想なのである。

従って、幕末ものの本で長州を主にしたものといえば「大村益次郎」を描いた「花神」だけであって、読んだにもかかわらず大村益次郎を好きになれなかった。
なんだか「あわない」のである。
ということで、世に棲む日日、も読んでいない。
吉田松陰についてもあまり興味がないというか・・・

しかし、この週間司馬遼太郎を読んでいて、少し気持ちが和らいだ。
読んでみようかナ、と思うようになったのである。

近頃、司馬作品について思うことがある。
それは司馬作品は非常に素晴らしくいいものであるのだが、どうも、読者の受け取り方、特に経営者や首長などいわゆるリーダーの参考書として使われたりすることに対する違和感があるのだ。

司馬作品に登場する人物、そのほとんどが歴史上の人物であるが、その生き方とか戦いなどに望む手法や考え方を、現代のリーダーがそのまま使うことは「うまくない」のではないだろうか、と思い始めている。

ということを含めて、久々に司馬作品を、しかもあまり好みではない長州を描いた「世に棲む日日」を読んでみようと、早速購入した。

そうしたら冒頭の一行
「長州の人間のことを書きたいと思う」
である。

楽しみというか・・・読みがいがあるかもしれない。
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JAL1勝2敗 WBJLプレーオフファイナル

2006-03-12 17:01:20 | 観た、聴いた
昨日勝って、1勝1敗としたが、本日は負けてしまった。
本日は57-60で接戦、のようだが、前半17点差で勝っていたのに逆転された。

もうあとはない、ガンバレJALラビッツ!
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JAL初戦を落とす WBJLプレーオフファイナル

2006-03-09 23:13:52 | 観た、聴いた
バスケットボール女子のリーグ「Wリーグ」のプレーオフファイナルの初戦が行われた。
昨年と同様 シャンソン(リーグ1位)とJAL<日本航空>(リーグ2位)との戦いである。
私は勿論「JAL」の応援である。

結果、74-73で一点差の負け。
惜しいというより、悔しい。

この一点差は、伝統というか今までの底力の差のようなものではないかと思うのである。

バスケットボールにはまったくの素人であるが、試合を見ていると、JALの側につまらないミスが多い。しかも、ココゾ!、というときにそれはおきる。

おきる、というよりもそれがシャンソンという伝統のチームの圧力なのではないか、と思うのである。
これに勝つには「気迫」しかない。

野球をやっていての経験から、技術が同じであるとき勝つには、選手の勝ちたいと思う気持ちの差、である。
ずっとリーグを戦ってきてのファイナル、技術も気迫も差がない。としたらもうひとつ「気迫」を上乗せするしかない。
それが、初戦は「伝統の力」による気迫の差が出てしまった。

JALは、昨年全日本選手権で優勝しながらWリーグファイナルは2戦以降いいところなしで負けてしまった。
いわばひとつ「泣き」が入っている。
この「泣き」がいい形で出てくれば、後の試合で逆転ができると思う。

今日の一点差が、すごい「差」と感じているのか「やれる」と感じているのか。
3戦先勝。一つ落としたがまだまだである。
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歴史読本4月号 徳川300諸侯の城を歩く 新人物往来社

2006-03-08 23:27:17 | 読んだ
まだ読んでいないのだが、今号は楽しみである。

「城巡り」というのは憧れである。
今後は「徳川300諸侯」の城であるから、それ以前のものはなく、いわゆる「城」として残っているものが多い。
これだけでもずいぶんあるし、それぞれの城が持つ歴史もあって、ここにも行きたい、アッチにも行きたい、と目移りしてしまう。

少しづつ読んで、行ってみたい「城」をあらためてピックアップしておこう、と思う。

でも、城巡りって、誰と行くかが問題なんだよね。一人で行くと気が楽でゆっくりできるのだが、チョイト重苦しい場合があるものね。
ということは、読んで行きたいと思っているうちが「はな」なのね。
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隠し剣 孤影抄  藤沢周平 文春文庫

2006-03-07 23:01:06 | 読んだ
剣の達人たちの話である。
全部で8編。

「邪剣竜尾返し」
「臆病剣松風」
「暗殺剣虎の眼」
「必死剣鳥刺し」
「隠し剣鬼ノ爪」
「女人剣さざ波」
「悲運剣芦刈り」
「宿命剣鬼走り」

いずれの剣士も「海坂藩」の中級から下級の武士である。
そしていずれも、颯爽とした天下無双の、いわゆるカッコイイ剣士ではなく、藩勤めと生活の波の中でもがいている者なのである。

そのあたりが、この作者の物語を読むところで好悪のあるところである。
私も、藤沢周平はあまり読まなかった。
理由は「暗い」からである。
出てくる人々も、舞台となる海坂藩も暗いイメージがあって「気が進まぬ」ところがあったのだ。

しかし、近年は「なんだか落ち着いていていいかもしれない」というように評価が変動してきている。これは、藤沢周平が変わったのではなくて私の心根が変わってきたわけで・・・(当たり前だな)・・・つまりは人の心のアヤのようなものの一つとして、こういう形もあっていいんだろうなあ、と思うようになってきたのである。

チョイト本線から外れているが一言。
前記のようなことは、心が広くなったわけでも、人間が大きくなったわけでもなく、ただ、拒絶することのエネルギーが小さくなってしまったことによるものなので、なんだか自分としてはさびしいところもあるのだ。

さて、この8編のなかのお薦めは
「臆病剣松風」
「女人剣さざ波」
「宿命剣鬼走り」
の3編である。

この短編集には続きがあるらしいので読んでみようと思うが、なにしろ、これらを読み終えて颯爽とした気分とか、晴れ晴れとした気分にはなれないので、そのあたり、天候と自分の気持ちとを計って決めたい。
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ローマ人の物語21・22・23 危機と克服(上・中・下) 塩野七生 新潮文庫

2006-03-06 21:53:10 | 読んだ
この3巻の文庫の帯には次のようなことが書いてある。

21巻 危機と克服(上)
皇帝が次々と倒れる危機 帝国は正念場を迎えた

22巻 危機と克服(中)
窮地の帝国を再建した「健全な常識人」皇帝

23巻 危機と克服(下)
元老院から報復を受けた実力皇帝の功罪とは何か

皇帝ネロが殺され、ユリウス・カエサルを祖とする「ユリウス・クラウディウス朝」が滅びた。

我々の感覚では「血」或いは「世襲」というのが<皇帝>ではないかと思うのだが、ローマ帝国の皇帝は世襲であっても、形式上は、ローマ市民(元老院、軍団)から「選ばれた」皇帝である。
従って、世襲というか「血」というのはあまり意味を持たないらしい。
ユリウス・クラウディウス朝だって、必ずしも父から子へという通常考えられるような世襲が行われていたわけでもない。

ということで、ネロが西暦68年に殺されたあと、ちょいとあやしい手続きではあったが、ガルバ・オトー・ヴィテイルスと3人の皇帝が継いだ。しかし彼らは殺しあって勝ったから皇帝になったのである。

この3人は西暦68年から69年の間に皇帝に就き殺されている。
従って、歴史上、特筆すべき何かをなしているわけではなく、ただ単に皇帝になっただけである。(といっても、皇帝になっただけでもたいしたものであるが)
皇帝になることが目的のようなものである。

しかし、ローマにおいては皇帝になることが目的だったり、皇帝の地位を保つことが目的であったりする皇帝は、否定されるらしい。

続いて皇帝になったのはヴェスパシアヌスである。彼は出自が良くないが、皇帝とは何か、ということを良く知っていた人らしい。
従って、彼の後に続く二人の息子も、それなりに賢帝であった。
彼はローマ帝国二番目の世襲皇系である「フラヴィウス朝」の祖である。
そして、このフラヴィウス朝の皇帝たちが、ローマ帝国の危機を収拾し、更なる繁栄の礎を築いたのだ。

このときのローマ帝国の危機とは
1.内政面では、皇帝争いによる内紛・内戦がおき混乱したこと
2.外交面では、属州兵の反乱と辺境の反乱、属州兵の反乱がおきたこと
3.ヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの消滅など災害があいついだこと
である。

これらのことをフラヴィウス朝の3人の皇帝「(父)ヴェスパシアヌス」「(長男)ティトゥス」「(次男)ドミティアヌス」はよく対応したのである。

ローマ人の物語を読むと、つくづく考えさせられるのが、「公」ということである。
皇帝という「地位と権力」を得た者は、「公人」として大きな義務を果たさなければならないということを、皇帝になった者も市民もよく知っている、ということである。
その義務を果たしたものが、歴史的に評価される。

従って、今の日本の民主主義は、やっぱり日本的民主主義なんだなあと思うわざるを得ないのである。
今、行政は「市民との協働」なんていっているが、これは当たり前のことなのである。しかし、実際は、市民は行政にまかっせっきりで不満たらたらだし、行政はその場しのぎの対応しかしていない。
「公の人」となったからにはその義務をはたすこと、そして市民もその義務を果たすことが「協働」なのではないだろうか。
先に「権利」ありきではない。

さて、この優秀な皇帝たちのフラヴィゥス朝が倒れたのはなぜか?
3代目のドミティアヌスの私生活の問題が主な原因ではないかと著者は述べている。
公人は、私生活さえもおろそかにしてはならないのである。

このあと、ローマは5賢帝の時代に入る。
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美味んぼ94 医食同源対決!! 雁屋哲+花咲アキラ 小学館

2006-03-05 23:06:14 | 読んだ
いつまで続くのか?
というのがもっとも大きな興味となってしまったこの漫画。

今回は
第1話 いやしのカニ料理(2編)
第2話 医食同源対決(4編)
第3話 温かいスープ
第4話 降り積もる鍋
第5話 牛肉の切実(2編)
である。

ついに「究極のメニュー」と「至高のメニュー」を完成させる方向に進むようだ。

しかし、それらのメニューは「その時点」だと思うので、多分、永久に続くのだろう「求道者」ということがかいてあったし・・・

一応「ケリ」をつけて、山岡と海原の父子も和解するんだろうなあ、とは思うのだが・・・つまり、今回の第5話で「牛肉」の輸入問題に取り組んだように、いまや日本の「食」というのは、金に物を言わせて「美味」を追求するだけではなくなってしまった。
「美味」を追求するには、「環境」「国際関係」そして何より日本人のこれからの「生き方」を真摯に考えなければならない状態になってきている。

こんな状況において、後世に残すメニュー、などとのんきなことを言っていられなくなったのではないだろうか?

いずれにしろ、食や美味、ということは終わりのない話であるので、これまでと違った針路をとるのもいいのかもしれない。

最近の美味んぼには若干失望気味だったが、今号ですこし明日に光が見えたような気がする。
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将棋界の一番長い日 NHKBS

2006-03-03 23:30:21 | 観た、聴いた
毎年1回の放送である。筋書きがないので紅白歌合戦よりスリルがたっぷりある。

さて「将棋界の一番長い日」というのは、将棋界のA級という最高峰の棋士リーグ最終戦の日である。
この結果によって、誰が「名人」の挑戦者になるのか、そして誰と誰がB1級(組)に降級するのか、が決定するのである。
勿論、この日の前に決定している場合があるのだが、それは実力が拮抗している10人であるので、そうそう早く決着がつくわけもなく、最終戦は大きな注目であり、一年の総決算の「長い日」なのである。

将棋界は、確実に自律と自立、自己責任の成果主義なのである。
将棋の勝負には「情」はないのである。

そんなことはない。どっか見えないところで勝負に「情」があるはずだ。
なんて思っている人もいるだろうが、情に流されて手を緩める、とその後勝てないらしい。
勝負というのはそういうもの、らしい。

従って、例えば今日、既にA級残留が決定していて名人挑戦には関わらない人が、これを負ければ降級、という人と指して、まあ緩めて負けたとすると、来期或いは他の棋戦で勝てなくなる。

そういう厳しい世界を見るのは感動する。
そして、そういう厳しい世界にはもう生きることが出来ない、と思うのである。
今の時刻(23時30分)まだまだ勝負が続いている。
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勝海舟 日本の100人 006 デアゴスティーニ・ジャパン

2006-03-02 23:14:34 | 読んだ
創刊号の「徳川家康」以来、第6巻「勝海舟」である。

高校時代、山岡荘八の「徳川家康」を読んで、徳川家康のファンになっていた私は、徳川幕府の幕引きをつとめた「勝海舟」に興味を持った。
丁度、NHKの大河ドラマで「勝海舟」があり、その原作となった子母澤寛の「勝海舟」を図書館から借りて読んだのであった。

そして、勝海舟のファン、になったのである。
以来、氷川清話を始め、勝海舟に関する本をずいぶんと読み、いよいよ勝海舟にほれ込んでいき、できる限りその考え方を真似するようにしている。
しかし、まね、は、まね、であって・・・

ということから、思わず勝ってしまったこの本。
あらかたのエピソードは知っており、カラーの年表、がいいなあ、と思ったのであった。
そしてまた、久しぶりに勝海舟に接して、心の中のささくれ立ったかけらが、落ちたような気がする。
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青春のうた 第3号 1970年代・中期①

2006-03-01 22:47:07 | 読んだ
第3号である。この本は、というかCDは待ち遠しい。

1 あの日にかえりたい 荒井由美
 
 ご存知ユーミンである。初めてこの人の歌を聞いたときは、「なんだこれ?」と思ったのであった。声も音程も素晴らしいとは言えず、ルックスもそれほどでもなかった。そして歌もなんだかチョット違っていた。
 ホンワカしているというか、パステルカラーのようにつかみ所がないというか、それまで聴いていたのは、しっかりした「主張」が主だったことから違和感を感じた。嫌悪ではなくて違和感である。
 で、そういう印象ですごしていたうちにこの「あの日にかえりたい」がでて、「これはいい」と思った。それまでは歌を聴いてもしっかりした映像が思い浮かばなかったが、この曲は鮮やかな夕陽が目の前に広がったのであった。
 荒井由美侮れない、と思ったのであった。

2 裏切りの街角 甲斐バンド
 
 気になっていたグループであったが、いまひとつ、踏み込めない何かがあった。デビュー曲の「バス通り」の♪バスどおーり♪の部分だけがやけに耳についていたものだった。
 甲斐バンドもしくは甲斐よしひろの歌って二曲しか歌えない。そのうちの一曲がこの「裏切りの街角」である。前奏が好き。そしてサビの♪しとしと五月雨♪の部分も好き。この歌はいい、と思う。
 もう一曲というのは「そばかすの天使」である。

3 知らず知らずのうちに ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
 
 この歌はあまり好きではない。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドといえば「スモーキング・ブギ」が強烈だった。単純明快でいいノリ、当時は徐々に「うた」が詩も曲もややこしくなっているような感じがしていたので、こんなに「簡単」でいいのか、と思ったものだった。
 その後ダウン・タウンも難しくなってきたのだが・・・。この「知らず知らずのうちに」も簡単なコード進行でいい。

4 22才の別れ 風

 始めてこの曲を聴いたのは、かぐや姫の「三階建ての詩」である。
 このアルバムには「なごり雪」も入っていて、この二曲は秀逸だった。このほかにもいい歌がいっぱい入っていたが・・・
 だから「風」の22才の別れというのは、ああそうだった、と思ってしまう。
 前奏のギターが好きだ。そして歌では♪17本目からはいっしょに火をつけたのが 昨日のことのように♪の部分。
 伊勢正三の詩というのは、具体的なようでふわっとしていて、新鮮だったなあ。そして曲も思いもかけないコード進行で、それなのに歌いやすくて・・・いいカンジなのである。

5 雨の物語 イルカ
 
 この歌も伊勢正三の作詞作曲である。イルカに伊勢正三の歌はよく似合う。「なごり雪」をはじめとして「あの頃の僕は」「海岸通」など。
 この雨の物語は、あまり思い出がない歌だが、サビの♪窓の外は雨 雨が降ってる♪のところは、詩もメロディーもそれぞれでは、ごくありふれている、というかそれほどのものでもないのだが、二つが一緒になるとなんともいえないいいモノになっている。そして、伊勢正三の声よりもイルカのほうが落ち着いて「あっている」と思うのだ。

6 サボテンの花 チューリップ

 この歌は、チューリップがすでにブレイクしていて「何をだしても売れる」という時期に出されたもの、と記憶している。従って、出た当時は「なんだかアコースティックしているなあ」という印象であって、ちょっと軽いかなあ、というものであった。しかし、徐々にいい歌だなあと思い始める。
 チューリップの歌といえば「銀の指環」「夏色のおもいで」「夢中さ君に」といった初期の底抜けに突き抜けた歌と「青春の影」やこの歌のようにしみじみとしたもの、いろいろあってよかったなあ。
 もしどこかのグループに入ることができたら、絶対チューリップとおもっていた時期があった。
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