読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第4号 1970年代中期②

2006-03-15 00:00:05 | 読んだ
1.夢の中へ/井上陽水

井上陽水の歌は「傘がない」を評価したのだが、世間的というか私の周りでは好評ではなかったので、当時、自分の感性を疑ったものだった。
そのごこの「夢の中へ」が出たが「いい曲ね」という評価にとどめた。しかし大ヒット、いよいよ自分というものがダメだなあ、と思い始めたのであった。
この曲は本来の井上陽水からしたら「異質」なんではないか、と思っていた。
そうは思いながらもギターを弾いてうたってみると大いに「ノル」歌である。できればハモったりすると、なんとも気持ちのいい歌になる。

2.めまい/小椋佳

小椋佳の歌をじっくり聞いたのは、高校1年の倫理社会の時間であった。
「青春」というアルバムを聴いてその感想を書く、というような授業であった、と思う。
「しおさいの詩」や「さらば青春」は知っていたが、何しろ当時は「吉田拓郎」を神様とあがめようとしていた時期、小椋佳の歌は「キレイ」すぎた。
従って、倫理社会的な感慨はなかったような気がする。(鎌田先生ごめんなさい)
しかし、長ずるに従って小椋佳は心の中にしみこんでくる。
「めまい」は1975年の発表であるので、高校卒業後であり、少しは「おとな」になってきたので、ちょっと気になる曲であった。
勿論、この詩についてはよくわからなかったけれどね。
でも、ギターで前奏をコピーなどして、思いは深いのである。ただし、小椋佳の歌を自分で歌うと、あまりのギャップに幻滅してしまうのである。小椋佳は聴くに限る、と思うのである。

3.私は泣いています/りりィ

今回のCDでは一番心に残った曲である。
当時は、コードが3つで、メロディーも難しくなく、くり返しが多い、「単純な曲」と思っていたが、いまきくとそうでもない。
シンプルなつくりではあるが、そののなかに、りりィのしわがれた声と相俟って、心を打つ響きがある。
この間奏が大好きで、この間奏に詩をつけたらいいのにと思っていたが、やっぱり本線がしっかりしているから間奏がいいんだなあと、今になって思いなおしたりしているのである。ただし、このCDのバージョンでは私の好きだった間奏のバージョンではなかった。

4.冬の稲妻/アリス

いい曲を歌うのにあまり売れないグループ、というのが当時の印象であった。
そのまま消えていくのかと思っていたら、この曲でブレイクした。
循環コードで作られているが、メロディーと歌唱力でそう感じさせない。なによりリズム感がはっきりしていていい。
とはいえ、この歌が出た当時はアリスも「売れる」という世界に行っちゃったなあ、なんて、思っていたりしたのだから笑わせる。
絶頂期にコンサートにいって「ハンド・イン・ハンド」とかいって、隣の人と手をつないだ。今思い出しても恥ずかしいなあ。

5.スローバラード/RCサクセション

この歌ははっきりいってよく知らない。
「ぼくの好きな先生」でデビューしたRCサクセションは注目のグループであったが、その後、田舎の青年の前から情報が消えた。
注目のグループとはいっても、熱烈に思っていたわけでもないので、そう気にもしていなかったのではあるが・・・
そのごロックのほうに行って、益々私とは距離が離れてしまったわけで。
今回、聞いてみて「いい曲」だとは思ったが、それ以上には至らない。つまり青春時代に聞いていないことが原因だと思う。

6.我が良き友よ/かまやつひろし

始めてこの曲を聴いたとき「吉田拓郎は何でこんな歌を作ったんだろう」と思った。何を言いたいんだろう?この裏に何かメッセージがあるんだろうか?などと考えたものである。
すでにこの曲が発表されたときはバンカラは廃れ行く時代だった。
とはいえ、私、高校3年間、真冬以外は「ゲタ」をはいて学校へ行き、その辺をうろついていましたけどね。ひどいときにはゲタをはいて野球をしたりした。
というわけで、この歌の一部には共感するが、全体的には我々よりもっと上の世代の歌なのかと思っている。
それにしても吉田拓郎、当時はまだ29歳くらいではないか、よくこんな歌の発想ができたなあ、と今でもこの歌を聴くと感心しているのである。

コメント (2)
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