読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ローマ人の物語21・22・23 危機と克服(上・中・下) 塩野七生 新潮文庫

2006-03-06 21:53:10 | 読んだ
この3巻の文庫の帯には次のようなことが書いてある。

21巻 危機と克服(上)
皇帝が次々と倒れる危機 帝国は正念場を迎えた

22巻 危機と克服(中)
窮地の帝国を再建した「健全な常識人」皇帝

23巻 危機と克服(下)
元老院から報復を受けた実力皇帝の功罪とは何か

皇帝ネロが殺され、ユリウス・カエサルを祖とする「ユリウス・クラウディウス朝」が滅びた。

我々の感覚では「血」或いは「世襲」というのが<皇帝>ではないかと思うのだが、ローマ帝国の皇帝は世襲であっても、形式上は、ローマ市民(元老院、軍団)から「選ばれた」皇帝である。
従って、世襲というか「血」というのはあまり意味を持たないらしい。
ユリウス・クラウディウス朝だって、必ずしも父から子へという通常考えられるような世襲が行われていたわけでもない。

ということで、ネロが西暦68年に殺されたあと、ちょいとあやしい手続きではあったが、ガルバ・オトー・ヴィテイルスと3人の皇帝が継いだ。しかし彼らは殺しあって勝ったから皇帝になったのである。

この3人は西暦68年から69年の間に皇帝に就き殺されている。
従って、歴史上、特筆すべき何かをなしているわけではなく、ただ単に皇帝になっただけである。(といっても、皇帝になっただけでもたいしたものであるが)
皇帝になることが目的のようなものである。

しかし、ローマにおいては皇帝になることが目的だったり、皇帝の地位を保つことが目的であったりする皇帝は、否定されるらしい。

続いて皇帝になったのはヴェスパシアヌスである。彼は出自が良くないが、皇帝とは何か、ということを良く知っていた人らしい。
従って、彼の後に続く二人の息子も、それなりに賢帝であった。
彼はローマ帝国二番目の世襲皇系である「フラヴィウス朝」の祖である。
そして、このフラヴィウス朝の皇帝たちが、ローマ帝国の危機を収拾し、更なる繁栄の礎を築いたのだ。

このときのローマ帝国の危機とは
1.内政面では、皇帝争いによる内紛・内戦がおき混乱したこと
2.外交面では、属州兵の反乱と辺境の反乱、属州兵の反乱がおきたこと
3.ヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの消滅など災害があいついだこと
である。

これらのことをフラヴィウス朝の3人の皇帝「(父)ヴェスパシアヌス」「(長男)ティトゥス」「(次男)ドミティアヌス」はよく対応したのである。

ローマ人の物語を読むと、つくづく考えさせられるのが、「公」ということである。
皇帝という「地位と権力」を得た者は、「公人」として大きな義務を果たさなければならないということを、皇帝になった者も市民もよく知っている、ということである。
その義務を果たしたものが、歴史的に評価される。

従って、今の日本の民主主義は、やっぱり日本的民主主義なんだなあと思うわざるを得ないのである。
今、行政は「市民との協働」なんていっているが、これは当たり前のことなのである。しかし、実際は、市民は行政にまかっせっきりで不満たらたらだし、行政はその場しのぎの対応しかしていない。
「公の人」となったからにはその義務をはたすこと、そして市民もその義務を果たすことが「協働」なのではないだろうか。
先に「権利」ありきではない。

さて、この優秀な皇帝たちのフラヴィゥス朝が倒れたのはなぜか?
3代目のドミティアヌスの私生活の問題が主な原因ではないかと著者は述べている。
公人は、私生活さえもおろそかにしてはならないのである。

このあと、ローマは5賢帝の時代に入る。
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